世界中に、Happy を smile を!

どんなときも笑顔で!元気よく!毎日カンシャ!
みんながhappyでsmilyな世界になりますように。

私の中の変化

2006-12-26 02:07:13 | その他

考えていたこと。

前までは、国際社会のことに興味があった。一番。
MDGsで一日1ドル以下で暮らす人の人数を半分にしよう。
IMRと妊産婦死亡率を下げよう。
子供兵や人身売買、HIV/AIDS、国連は、WHOは、ユニセフは…、って。
そんな本ばかり読んでたし、そうゆう問題が一番おおきな問題だって思ってた。

そして、どんな問題も、結局「貧困」にたどり着いて、結局八方塞になる気がする。
紛争が起きる、インフラが整備されてない、教育のレベルが低い。だって、国家が貧しいから。


最近考えること。
それは、日本のなかの「貧しさ」について。

日本はこんなに豊かな国なのに、給食費さえ払えない子がいる。
物にあふれた人にあふれた、電気で輝く、繁華街に、今日のご飯も練る場所もなく、さまよい生きる人たちがいる。

「降りていく」生き方に、ついて。
(べてるの本も読んだ。あと三日で見学に行く。行くのが、楽しみだ。)

弱さを認める。そんな考え方。


日本にも、身近なところにも、「貧しさ」はあり、自分が認めようとしていなかった「弱さ」がある。
そして自分の中にある、偏見、上目線、強さ主義。
認めたくなかった、自分の弱さ。


能力主義の世界で生きてきた、私。
高校でも、理数系で男子にかなわないのが悔しくて必死に勉強した。
(医学部に合格したら、上にはもっとかなわないくらい頭のいい人はいっぱいいたけれど。苦笑)
大学での4年間の部活は、そうゆうはっきりとした「能力主義」であり、学年関係なく、「いいところ」だけでなく「悪いところ」もはっきりと指摘され続けた。自分も指摘しあい、競争することが強さだと思っていた。
(スポーツは上を目指すなら、そうあるべきなのかもしれないが)
勝ちを目指し続け、相当なストレスを抱え、それでも「笑顔」で「元気に楽しく」やれないやつはダメだ、と言われ続けていた。


自分で言うのおかしいが、確かに私は頑張ってきた、と思う。
強くありたかった。強く、ありたかった。

性格的に言えば、「人にはっきり自分の考えを言える人間」になりたかった。
実際、中高までの自分と、今の自分は大きく変わったと思う。
「なりたい自分」に近づくために努力したし、「人に心を開いていく」ことが出来ずにいた中高のストレスと、変わったからと言って、「人にはっきりものを言い過ぎてしまう」ことによって生じてしまう(ことが実際ある)ストレスは、大して、変わらないのかもしれない。
とにかく、私は、「自分の足で立つ」「自分の考えでものが言える」「行動を起こせる」『強い』人間になりたかった。弱さは切り捨ててきた。切り捨てるべきだと思ってた。


「出来ない」とやる前に言う人が、嫌いだった。
「やろうと、挑戦したり、努力もしてないのに」
「逃げだ」って。
以前のブログのタイトルにも、ありありと表れる、私のスピリット。
No challenge and progress, No dreams come ture!  苦笑
夢を叶えるためには、挑戦と進歩(向上)が必要だと思ってた。


そんなことない。自分だって、弱いくせに。


自尊感情の喪失が問題だ、と、村上さんはおっしゃっていた。
「自分を大事に思う気持ち」が大事だと、セックスワーカーに対するHIV/AIDSの啓発を行っている方が、おっしゃってた。


私も同じだ。
自分の事を認められず、「弱さ」を受け入れられず、より「強く」ありたいと、この社会のひたすら上を目指す流れに、乗っかってた。
いつか、無理がくるだろうのに。


考え直す、タイミングなんだと思う。
多分、べてるに今度行くことも、ホームレスのボランティアに行ったことも、自分を大事にしようと訴えるという話を聞いたことが胸にひっかかったことも、上を目指し続けた部活から一歩離れた今であることも、考え方が変わってき始めているのを感じる。

 

勝ち組とか負け組み、デキルとかデキナイとか、
社会ってそうやって格差や偏見や決め付け(レッテル?)が広がっていくけれど、それでいいの?っていう気がしてならないし、

自分は自分の価値判断基準をどこにおいて、
「どの視点」から物をみるか、もっと考えなくちゃ、と思った。


弱さを理解できるようになりたいし、弱さに寄り添えるようになりたいと思った。

それは逃げでも、怠けでも、諦めでもなく。希望の中で。


路上とクリスマスケーキ~後半の部~

2006-12-26 01:28:32 | 参加したイベント

2006年12月23日夜7時から

北村年子さんをお招きして講演会(勉強会)だった。
前半の部と打って変わって、非常に胸に響く、内容の濃い、あっという間の2時間半だった。

北村さんはバリバリの仕事してます!て感じの、きれいな人。
でも話し出したら、その細い体に似合わない、あったかくも、たくましい、関西弁。

詳しくは北村さんの著書、読んでください。
私では説明しきれないです。

北村年子さんの著作
大阪・道頓堀川「ホームレス」襲撃事件“弱者いじめ”の連鎖を断つ  太郎次郎社
 95年大阪道頓堀川「ホームレス」殺人事件を追って、「死んでしまった人」「殺してしまった奴」の双方に心を寄せながら、弱い者が弱い者を攻撃するやりきれなさを、北村さんは現場に身を投じて解きほぐそうとする。加害書の青年“ゼロ”の闇に届きたい、と願う彼女がたどりついたのは、人を選別する社会、自尊の感情を根こそぎ奪うこの社会の「闇」だった。……


何に泣いたって、高塚門トビラ事件、路上生活者と一緒に歩いていた時の「公衆便所」という侮辱された言葉、子供の偏見のない質問、そして北村さんの過去の罪の意識とそこから願う「もう誰にも死んでほしくない」という強い言葉。

いじめられた経験をもち、街にたむろする子供たち。社会から排除されている「ホームレス」の人たちの気持ち、分かるはずなのに。
なのに、なぜ命を奪ったのか?

「何が彼らにそうさせたのか」
「なぜホームレスの人たちは、そこで生活しなければならなかったのか」
「彼らが手を出していたとき、誰も止めるチャンスはなかったのか」
『社会の共犯性』『怒りを表現せず、黙って、流す』
『弱いものがより弱いものをはけ口にする』

考えたこともない、考え方だった。ショックだった。


なにか、おかしいんじゃないのか。
問題が大きすぎて、抱えきれない。聞くだけでも抱えきれない。
衝撃が大きすぎて、まだ自分の中で、うまく言葉に出来ません。

どうしたらいいのか、わからない。


最後の北村さんの言葉、
「生きたくなる言葉を与えれば、いつか自分にも(その言葉が)帰って来る」

どんな悲惨な内容でも、最後に希望を伝えたい、と。

 


尊敬する先輩が教えてくれました。

へこむ自分さえも許す、と。

 

弱い自分を、認めてあげなきゃ。