幸隆の国から

歴史の跡、自然、いい湯などを訪ねて出掛けたときの記録。
また、四季折々、日々の雑感です。

デジタル社会の今昔・AI

2022-03-13 | デジタル

最近、電子機器、家電などのカタログに、AI(artificial intelligence・人工知能)という言葉がよく登場する。

身近なものでは、エアコンのリモコンにもAIの表示が見られる。

 

私が”AI”について初めて知ったのは、40年以上前に遡ることになるだろう。

その頃、仕事柄、大学や公的な研究機関の、電子、通信関係の研究室をたびたび訪れていた。

国のプロジェクトとして、第五世代コンピュータの研究開発が始まった時期も、重なっていたような気がする。

私自身は全くの門外漢であったが、AIに関する研究者の方たちからお話を聞くチャンスがあった。

遠い昔になるので記憶は断片的になっているが、「知識ベース」、「推論」、「LISP(言語)」などが記憶にある。

チンプンカンプンであったが、あのころの人工知能の研究では、「知識」ということに着目されていたのかもしれない。

「人間のように知識をコンピュータに持たせる」という考え方が強く印象に残り、私のなかで”AI”のイメージとなって固まった。

確かに人間のアタマは、学習あるいは体験して得た知識をもとに、次々と知識を増やして「かしこく」なっていく。

「知能」という限りは、そのレベルは向上していくのが当然だと期待される。

そんなわけで、私の思いは、コンピュータの力で知識を吸収・増殖させていく能力が「人工知能」となる。

 

さて、そうしていくと、よく言われることではあるが、「AIは人間を超えられるか?」ということになってくる。

私は、あり得ないことだと考えている。

それは、私が、古い知識しか持ち合わせていないからに違いない。

人工知能は、今後大いなる進歩をするであろうことは分るが、残念だが、その先が見えないのである。

限りなく進歩したところで、「核のボタン」を人工知能の手に委ねるようなことはないと信じたい。

 

 

 

 

 

 

 



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