突然ですが、インドのコルカタに行ってきました。
(2013年5月の話です)
▼これまでのあらすじ
-------------------------------
【インド旅】シッキム王国を目指して 旅のルート決め
【インド旅】シッキム王国を目指して 入域許可証と交通手段
【インド旅】シッキム王国を目指して ダージリンで寄り道
【インド旅】シッキム王国を目指して インドの自由が丘 ガントク
【インド旅】シッキム王国を目指して チベット寺院と絶景めぐり
-------------------------------
途中下車というか、飛行機の経由です。
折角なので、1泊くらいしていくか、というノリ。
コルカタを訪れるにあたり、
事前に地域情報をまとめてたんだけど、
なんだか悲しい歴史を持つ街ですね・・・
イギリス人に占領されて、食い物にされて、
平和だった漁村が激動の舞台に、って感じかな。
とりあえず、写真ペタペタ貼ってきます。
※写真に全くやる気が感じられないのでご注意ください。
ハウラー駅
ハウラー駅の目の前の橋
フーグリー川の船に乗る
夕日きれいだった。
このフーグリー川だけ見れたら、満足でした。
ここはガンジス川ともつながっているらしい。
ウィリアム要塞
ここが観光スポットのメインっぽい。
全然インドっぽくないね。
内部は博物館っぽくなってるんだけど、
興味ないんで、中には入りませんでした。
交通手段はバスメイン
バスの中にお寺。インドっぽい。
路面電車もあるよ。
こんなとこですかね、コルカタ。
イギリスとかキリスト教とか観たい人は、
もうちょっと見るボリュームあるかと。
もっと汚い街を想像してましたが、
デリーやバラナシに比べたらずっとキレイでした。
食べ物も美味しい。魚料理が食べられます。
交通の便も良いし、歩くのも楽しい。
観光地としては悪くないんじゃないかな。
どうにも悲しいイメージが付きまとうのは、
やっぱり私見絡めて見てしまうからかも。
折角調べたので、
コルカタの歴史っぽいのまとめときます。
真面目な方や歴史大好きな方が見ると、
不快に感じる可能性があるので、ここでお引き取りください。
真面目な人はもういないね、ふざけるよ?
ではどうぞ。
~~~~~~↓コルカタの歴史っぽいのここから↓~~~~~~
~~~1690年頃~~~
イギリス人「紅茶うめぇwwwwwwwww
インドからもっと紅茶仕入れようずwww」
「ボンベイ(現ムンバイ)の港は開かせたし、
次はお茶の産地、ベンガル地方に乗り込むかww」
イギリス人「おう、ここで商売させろやww」
インド役人「どーぞぉ?(ホジホジ
インド商人「おい!勝手に人のシマ荒らしてんじゃねーぞ!」
「でーてーけ!でーてーけ!」
イギリス人「ふ・・こんな土人どもに用はないわ・・」
「隊長!あそこに村がありますぜ!」
「ヒャッハー!村だー!」
イギリス人が目を付けたのが、
当時小さな漁村だったコルカタ村・・
ここでイギリス人はシムシティ無双を発揮し、
小さな漁村はメガロポリスになったのでした。
~~~1756年頃~~~
インド人 (イギリス人、調子乗っててウゼェ・・)
ムガル帝国「よし!黙って見ているわけにはいかん!
コルカタを、とりもろす!!」
イギリス人「おk、ぶっ殺す」
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ…
インド人 「え、ちょ、まっ ぐはぁげぼぉっ!!」
イギリス人「ついでにフランス領だったとこも貰うわwww」
インド人 「すいませんでしたもうやめてください。」
イギリス人「だが断る
お前ら調子乗ってっから、これからは貿易相手じゃなく、
本格的に占領して支配させてもらうわwwwwwwww」
インド人 「ちょw
こうして小さな漁村だったコルカタ村は、
イギリスによるインド植民地化の拠点となり、
全インドの政治の中枢機能を持つようになったのでした。
~~~1945年頃~~~
世界 「戦争オワタ\(^o^)/」
インド 「イギリスさんおつかれっしたー、
じゃ、俺ら独立しますんでー」
イギリス「インドさんもおつかれっしたー。
これからも紅茶買わしてもらいますわー」
※1947年インド独立
※詳細は割愛させてください
イスラム教徒「俺らもインドから独立するわwww
ヒンズー教徒の人出てってねwww」
ヒンズー教徒「だが断る」
イスラム教徒「おk、ぶっ殺す」
「ドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラ…
ヒンズー教徒「うわらば」
こうしてイスラム勢力地域から追い出された、
大量の難民がコルカタに押し寄せたのでした。
「市長!大量の難民がコルカタに押し寄せています!
住居も食糧もインフラも、何もかも足りません!!」
「おk、都市計画を見直し、居住区と商業地区を・・
「いや、市長、うちら、インフラとか技術もってませんやん!」
「はっ!あれ?イギリスさんはどうした?」
「いや、市長、うちら独立しましたやん!」
「え・・・じゃーどうすんの?これ。」
「もう我々の力ではどうしようもありません!」
「ちょwww
こうして、小さな漁村だったコルカタ村は、
インド植民地支配の拠点として繁栄した後、
大量のベンガル難民が押し寄せ、
巨大なスラムを抱え込むことになったのでした。
~~~おまけ~~~
マザーテレサ「すべてを貧しき人々のために」←ノーベル平和賞受賞
(↑キリスト教徒の外国人 コルカタの貧困をみて覚醒)
・・インド人さんマジで何やってんすか・・
▼参考文献
・地球の歩き方(笑)のコルカタのページ
・wiki先生
・その他インターネッツ
※注:この記事には私見が多く含まれています。
異論のある方は自分で調べてね♪
~~~~~~↑コルカタの歴史っぽいのここまで↑~~~~~~
と、いうわけで、
雄大なフーグリー川の流れを取り巻く、
レンガ積み上げただけのインドっぽい建物と、
西洋建築バリバリの、時計台やら要塞やら。
大量のインド人と、騒音、怒号。
ワケわからんほとごった返すバザー。
ここが漁村のままだったら、
全然違う景色が広がってたんだろうなぁ・・
ま、夕日キレイだったし、いっか。
長くなったので、今日はここまで。
この旅は、もう少しだけ続くかも!
(2013年5月の話です)
▼これまでのあらすじ
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【インド旅】シッキム王国を目指して 旅のルート決め
【インド旅】シッキム王国を目指して 入域許可証と交通手段
【インド旅】シッキム王国を目指して ダージリンで寄り道
【インド旅】シッキム王国を目指して インドの自由が丘 ガントク
【インド旅】シッキム王国を目指して チベット寺院と絶景めぐり
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途中下車というか、飛行機の経由です。
折角なので、1泊くらいしていくか、というノリ。
コルカタを訪れるにあたり、
事前に地域情報をまとめてたんだけど、
なんだか悲しい歴史を持つ街ですね・・・
イギリス人に占領されて、食い物にされて、
平和だった漁村が激動の舞台に、って感じかな。
とりあえず、写真ペタペタ貼ってきます。
※写真に全くやる気が感じられないのでご注意ください。
ハウラー駅
ハウラー駅の目の前の橋
フーグリー川の船に乗る
夕日きれいだった。
このフーグリー川だけ見れたら、満足でした。
ここはガンジス川ともつながっているらしい。
ウィリアム要塞
ここが観光スポットのメインっぽい。
全然インドっぽくないね。
内部は博物館っぽくなってるんだけど、
興味ないんで、中には入りませんでした。
交通手段はバスメイン
バスの中にお寺。インドっぽい。
路面電車もあるよ。
こんなとこですかね、コルカタ。
イギリスとかキリスト教とか観たい人は、
もうちょっと見るボリュームあるかと。
もっと汚い街を想像してましたが、
デリーやバラナシに比べたらずっとキレイでした。
食べ物も美味しい。魚料理が食べられます。
交通の便も良いし、歩くのも楽しい。
観光地としては悪くないんじゃないかな。
どうにも悲しいイメージが付きまとうのは、
やっぱり私見絡めて見てしまうからかも。
折角調べたので、
コルカタの歴史っぽいのまとめときます。
真面目な方や歴史大好きな方が見ると、
不快に感じる可能性があるので、ここでお引き取りください。
真面目な人はもういないね、ふざけるよ?
ではどうぞ。
~~~~~~↓コルカタの歴史っぽいのここから↓~~~~~~
~~~1690年頃~~~
イギリス人「紅茶うめぇwwwwwwwww
インドからもっと紅茶仕入れようずwww」
「ボンベイ(現ムンバイ)の港は開かせたし、
次はお茶の産地、ベンガル地方に乗り込むかww」
イギリス人「おう、ここで商売させろやww」
インド役人「どーぞぉ?(ホジホジ
インド商人「おい!勝手に人のシマ荒らしてんじゃねーぞ!」
「でーてーけ!でーてーけ!」
イギリス人「ふ・・こんな土人どもに用はないわ・・」
「隊長!あそこに村がありますぜ!」
「ヒャッハー!村だー!」
イギリス人が目を付けたのが、
当時小さな漁村だったコルカタ村・・
ここでイギリス人はシムシティ無双を発揮し、
小さな漁村はメガロポリスになったのでした。
~~~1756年頃~~~
インド人 (イギリス人、調子乗っててウゼェ・・)
ムガル帝国「よし!黙って見ているわけにはいかん!
コルカタを、とりもろす!!」
イギリス人「おk、ぶっ殺す」
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ…
インド人 「え、ちょ、まっ ぐはぁげぼぉっ!!」
イギリス人「ついでにフランス領だったとこも貰うわwww」
インド人 「すいませんでしたもうやめてください。」
イギリス人「だが断る
お前ら調子乗ってっから、これからは貿易相手じゃなく、
本格的に占領して支配させてもらうわwwwwwwww」
インド人 「ちょw
こうして小さな漁村だったコルカタ村は、
イギリスによるインド植民地化の拠点となり、
全インドの政治の中枢機能を持つようになったのでした。
~~~1945年頃~~~
世界 「戦争オワタ\(^o^)/」
インド 「イギリスさんおつかれっしたー、
じゃ、俺ら独立しますんでー」
イギリス「インドさんもおつかれっしたー。
これからも紅茶買わしてもらいますわー」
※1947年インド独立
※詳細は割愛させてください
イスラム教徒「俺らもインドから独立するわwww
ヒンズー教徒の人出てってねwww」
ヒンズー教徒「だが断る」
イスラム教徒「おk、ぶっ殺す」
「ドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラ…
ヒンズー教徒「うわらば」
こうしてイスラム勢力地域から追い出された、
大量の難民がコルカタに押し寄せたのでした。
「市長!大量の難民がコルカタに押し寄せています!
住居も食糧もインフラも、何もかも足りません!!」
「おk、都市計画を見直し、居住区と商業地区を・・
「いや、市長、うちら、インフラとか技術もってませんやん!」
「はっ!あれ?イギリスさんはどうした?」
「いや、市長、うちら独立しましたやん!」
「え・・・じゃーどうすんの?これ。」
「もう我々の力ではどうしようもありません!」
「ちょwww
こうして、小さな漁村だったコルカタ村は、
インド植民地支配の拠点として繁栄した後、
大量のベンガル難民が押し寄せ、
巨大なスラムを抱え込むことになったのでした。
~~~おまけ~~~
マザーテレサ「すべてを貧しき人々のために」←ノーベル平和賞受賞
(↑キリスト教徒の外国人 コルカタの貧困をみて覚醒)
・・インド人さんマジで何やってんすか・・
▼参考文献
・地球の歩き方(笑)のコルカタのページ
・wiki先生
・その他インターネッツ
※注:この記事には私見が多く含まれています。
異論のある方は自分で調べてね♪
~~~~~~↑コルカタの歴史っぽいのここまで↑~~~~~~
と、いうわけで、
雄大なフーグリー川の流れを取り巻く、
レンガ積み上げただけのインドっぽい建物と、
西洋建築バリバリの、時計台やら要塞やら。
大量のインド人と、騒音、怒号。
ワケわからんほとごった返すバザー。
ここが漁村のままだったら、
全然違う景色が広がってたんだろうなぁ・・
ま、夕日キレイだったし、いっか。
長くなったので、今日はここまで。
この旅は、もう少しだけ続くかも!
ドラクエと旅日記両方見ていただいてうれしいです!
アストルティアでお会いできるといいですねー
また遊びに来て下さいましー。
ブクマありがとうございました!