斎藤茂吉
しづかなる空にもあるか春雲たなびく極み鳥海が見ゆ
「白き山」より
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昭和21年2月14日、大石田にての作ということを念頭に読むと、ひとしお感慨深いものがあります。
新潮社版「日本詩人全集 10 斎藤茂吉」に載っている年譜には、昭和21年の項にこうあります。
「2月、金瓶(茂吉の山形県の郷里)を去って山形県大石田の二藤部(にとべ)方の離家へ移る。握飯をもち、つまごをはき、敷物用のさんだわらを抱えて最上川のほとりを歩く。最上川は茂吉の少年の日からの忘れ難い故郷の川であった。老いた茂吉の心に再び創作意欲が燃え立った。」
昭和20年4月に茂吉は、郷里へ疎開するのですが、その翌月、空襲で青山の自宅と病院が全焼してしまいます。敗戦と自宅の消滅は茂吉に深い傷を与えたはずです。
それはそれとして、この年譜の「老いた茂吉」という表現には驚かされます。この時茂吉は64歳。なんと、今のぼくより5歳も年下です。この本が出たのは、昭和42年ですが、その当時は、64歳は「老いた」と書かれてなんら違和感がなかったのでしょう。ぼくはまだまだ「老いた」とは思ってないけどなあ。