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日本近代文学の森へ (101) 徳田秋声『新所帯』 21 「主人」という言葉

2019-04-07 21:55:32 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (101) 徳田秋声『新所帯』 21 「主人」という言葉

2019.4.7


 

 新吉の、お作とその家族への冷たい視線は、なおも続く。


 嫂というのも、どこかこの近在の人で、口が一向に無調法な女であった。額の抜け上った姿(なり)も恰好もない、ひょろりとした体勢(からだつき)である。これまでにも二度ばかり見たが、顔の印象が残らなかった。先もそうであったらしい。今日こそは一ツ、お作の自慢の婿さんの顔をよく見てやろう……といった風でジロジロと見ていた。お作はベッタリ新吉の側へくっついて坐って、相変らずニヤニヤと笑っていた。
「サア、ここは悒鬱(むさくる)しくていけません。お作や、奥へお連れ申して……何はなくとも、春初めだから、お酒を一口……。」
「イヤ、そうもしていられません。」と新吉は頭を掻いた。「留守が誠に不安心でね……。」
「いいじゃありませんか。」お作は自分の実家(さと)だけに、甘えたような、浮ずったような調子で言う。
「サア、あちらへいらっしゃいよ。」
 新吉は奥へ通った。お作が母親や嫂に口を利くのを聞いていると、良人の新吉のことを、主人か何かのように言っている。嫂に対してはそれが一層激しい。「あまり御酒(ごしゅ)は召し食(あが)りませんのですから。」とか、「宅(うち)は真実(ほんとう)にせかせかした質(たち)でいらっしゃるんですから……。」とかいう風で……が、嫂の耳には格別それが異様にも響かぬらしい。「ヘエ、さいですか。」と新吉の顔ばかり見ている。新吉はこそばゆいような気がした。


 嫂の描写も身も蓋もないもので、「抜け上がった額」「ひょろりとした体勢」ばかりが印象に残るが、「顔」の印象がないっていうのもヒドイ話だ。しかし、嫂のほうからしても、新吉の顔の印象がないということらしく、ジロジロと見る。

 この「ジロジロ」とか、その後の「ベッタリ」とか「ニヤニヤ」とか、通俗的なオノマトペを多用することで、表現が一層侮蔑的になることを作者は計算し尽くしているのだ。

 お作は、実家にいることで、新吉のところにいた時よりも遠慮がない。お作の居場所は、やはり実家なのだ。その自分の居場所に新吉が来た。その新吉のことがお作は自慢なのだ。それがこうした馴れ馴れしい態度として表れるわけで、いじらしい。

 ところで、「お作が母親や嫂に口を利くのを聞いていると、良人の新吉のことを、主人か何かのように言っている。」というところがひっかかる。

 「良人」とは「夫」のことだ。その「夫」のことを「主人か何かのように言っている」というのからには、当時は「夫=主人」ではなかったということになる。もちろん、「主人」というのは、「他人を従属または隷属させている者。他人を使用している者。領主、首領、雇い主など。」(『日本国語大辞典』)の意味だから、もともと「夫」の意味を持っていたわけではなかった。この「雇い主」の意味の言葉を「夫」の別称として使い始めたのはいったいいつの頃からだったのだろうか。『日本国語大辞典』には、「妻が他人に対して夫のことをさしていう。」の意の用例として、1962年の庄野潤三の『道』という小説の「初めて主人が家出をしたことに気が附きました」という部分を挙げている。『日本国語大辞典』の用例は、原則として、もっとも古い用例を挙げているから、これ以前の用例はなかったことになる。ほんとだろうか。

 ちなみに、漱石の『それから』『明暗』などで、「主人」の用例を探してみたが、どれも大量に出てくるものの、いずれも「妻が他人に対して夫のことをさしていう」の意での「主人」ではないようだ。

 とすれば、妻が夫のことを「主人」と言うようになったのは、つい最近(と言っても50年も前だが)のことだということになる。ちょっと調べただけなので、確かなことは言えないが、もしそうだとしたら、おもしろい。もう少し詳しく調べてみたいものだ。

 「あまり御酒(ごしゅ)は召し食(あが)りませんのですから。」というような言い方は、当時では、妻が夫については言わなかったことは確かなようで、それにもかかわらず、「嫂の耳には格別それが異様にも響かぬらしい」としているのは、嫂が上の空だったからか、それとも、田舎では妻というものは、「夫」を「主人」として「仕える」のが当たり前だったということだろうか。

 それではまた、当時、妻は夫について語るとき、どんなふうに言っていたのだろうか。その辺も、他の小説で調べてみたいところである。


 しばらくすると、お作と二人きりになった。藁灰のフカフカした瀬戸物の火鉢に、炭をカンカン起して、ならんで当っていた。お作はいつの間にか、小紋の羽織に着替えていた。が東京にいた時より、顔がいくらか水々している。水ッぽいような目のうちにも一種の光があった。腹も思ったほど大きくもなかったが、それでも肩で息をしていた。気が重いのか、口の利き方も鈍かった。差し向いになると黙ってうつむいてしまうのであるが、折々媚びるような素振りをして、そっと男の顔を見上げていた。新吉は外方(そっぽう)を向いて、壁にかかった東郷大将の石版摺りの硝子張りの額など見ていた。床の鏡餅に、大きな串柿が載せてあって、花瓶に梅が挿してあった。


 実家に帰ってから、東京での緊張感がとけたのか、お作には生気が戻っている。「折々媚びるような素振りをして、そっと男の顔を見上げ」るが、新吉はお作を見ないで、部屋の中を見る。その部屋の飾り物が、いちいち印象的だ。新吉にとっては、もはやお作は、やっかいなお荷物となっているのだろうか。


「今日はお泊りなすってもいいんでしょう。」お作は何かのついでに言い出した。
「イヤ、そうは行かねえ。日一杯に帰るつもりで来たんだから。」新吉は素気(そっけ)もない言い方をする。
 しばらく経ってから、「このごろ、小野さんのお内儀(かみ)さんが来ているんですって……。」
「ア、お国か、来ている。」と新吉はどういうものか大きく出た。


 痛いところを突かれた新吉は、「どういうものか大きく出た」とある。つまり、居直りである。「ア、お国か、来ている。」という簡単な言葉が「大きく出た」とされるのは、内心やましいところのある新吉が、お国が来ていることを即座に肯定するのはなかなか勇気のいることだったからだ。「大きく」ではなくて、「普通に」出るなら、「お国か、まあ、ときどき顔を出すぜ。」ぐらいだろうか。あるいは、もうちょっとドギマギしたら、「お国か、まあ、たまに顔を出すことはあるが、それがどうした?」となるかもしれない。それを「ア、お国か、来ている。」と真っ向から肯定したわけだ。それでガタガタ言われるなら、お作とは別れたっていいぐらいの気持ちがあったのかもしれない。

 当然お作は不安だし、不満だ。


 お作はうつむいて灰を弄(いじ)っていた。またしばらく経ってから、「あの方、ずっといるつもりなんですか。」
「サア、どういう気だか……彼女(あれ)も何だか変な女だ。」新吉は投げ出すように言った。
「でも、ずるずるべったりにいられでもしたら困るでしょう。」お作は気の毒そうに、赤い顔をして言った。


 「気の毒そうに」というのは、ほんとうにお作が新吉のことを「気の毒」に思ったということではないだろう。「困るでしょう」という言葉が「気の毒がっている」意味だということで、お作の気持ちは「赤い顔をして言った」の方にある。気の毒がっているような言葉を使いながら実は嫉妬している自分を恥じているのだろう。


 新吉は黙っている。
「今のうち、断わっちまうわけには行かないんですの。」
「そうもいかないさ。お国だって、さしあたり行くところがないんだからね。」と新吉は胡散(うさん)くさい目容(めつき)をして、「それに宅(うち)だって、まるきり女手がなくちゃやりきれやしない。人を傭うとなると、これまたちょっと億劫なんです。だからこっちも別に損の行く話じゃねえし……。」と独りで頷(うなず)いて見せた。


 面倒なことにならないうちに断れないのか、というのはお作の嫉妬だ。新吉は、そういうわけにもいかない事情を、お国の「行く所ところがない」ことと、ただで働いてくれているんだから「別に損の行く話じゃねえ」ということに求めて自分で納得しようとする。もちろん、後ろめたいからだ。

 お作は、ますます不安になる。自分が捨てられるのではないかという不安だ。


 お作は一層不安そうな顔をした。
「でもこの間、和泉屋さんが行った時、あの方が一人で宅(うち)を切り廻していたとか……何だかそんなようなお話を、小石川の叔父さんにしていたそうですよ。」とお作はおずおず言った。「それに、あなたは少しも来て下さらないし、気分でも少し悪いと、私何だか心細くなって……何だってこんなところへ引っ込んだろうと、つくづくそう思うわ。」
「お前の方で引き取ったのじゃないか。親兄弟の側で産ませれば、何につけ安心だからというんで、小石川の叔母さんが来て連れて行ったんだろう。」と新吉は邪慳そうに言った。
「それはそうですけれど。」
「その時私がちゃんと小遣いまで配(あてが)って、それから何分お願い申しますと、叔母っ子に頼んだくらいじゃないか。」と新吉の語気は少し急になって来た。
「己(おれ)はすることだけはちゃんとしているんだ。お前に不足を言われるところはねえつもりだ。小野なんぞのすること見ねえ、あの内儀さんと一緒になってから、もう大分になるけれど、今に人の宅(うち)の部屋借りなんぞしてる始末だ。いろいろ聞いて見ると随分内儀さんを困らしておくそうだ。そのあげくに今度の事件だろう。内儀さんは裸になってしまったよ。いるところもなけれア、喰うことも出来やしない。その癖あの内儀さんと来たら、なかなか伎倆(はたらき)もんなんだ。客の応対ぶりだって、立派なもんだし、宅もキチンキチンとする方だし……どうしてお前なんざ、とても脚下(あしもと)へも追っ着きゃしねえ。」
 お作は赤い顔をしてうつむいていた。
「私(あっし)なんざ、内儀さんにはよくする方なんだ。これで不足を言われちゃ埋(うま)らないや。」
「不足を言うわけじゃないんですけれど……。」お作はあちらの部屋へ聞えでもするかと独りではらはらしていた。
「真実(ほんと)に……。」と鼻頭(はなさき)で笑って、「和泉屋の野郎、よけいなことばかり弁(しゃべ)りやがって、彼奴(あいつ)に私(あっし)が何の厄介になった。干渉される謂(い)われはねえ。」と新吉はブツブツ言っていた。
「そうじゃないんですけれどね……。」お作はドギマギして来た。


 お作のおずおずと口にする不満と不安に、短気な新吉は、だんだん激してきて、つい本音が出てしまう。

 小野にくらべればオレはどれだけマシか考えてみろ、お前をちゃんと食わせてやっているだろうというだけならまだしも、お国に比べたらお前なんか足もとにも及ばないとまで言われては、お作も浮かばれない。気の強い女なら、ただじゃ済まないところだが、お作はドギマギするばかりだ。





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