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日本近代文学の森へ 258 志賀直哉『暗夜行路』 145 客観的描写  「後篇第四 五」 その2

2024-04-01 17:01:21 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 258 志賀直哉『暗夜行路』 145 客観的描写  「後篇第四 五」 その2

2024.4.1


 

 直子が眼を覚ました時は、もう家の中は暗かった。直子は湯殿へ行こうとし、途中、唐紙の隙間から座敷を覗くと、三人はまだ一つの座蒲団を囲み、同じ遊びを続けていた。皆、眼をくぼまし、脂の浮いた薄ぎたない顔をしていた。三人はちょっとした事にもよく笑い、普段それほどでもない久世までがたわいなく滑稽な事を饒舌(しゃべ)っていた。
 直子は身仕舞いを済まし、仙と一緒に夜食の支度をした。
 三人は食事の間も落ちつかず、人生五十年だけやって、レコードを作ろうなどいっていた。
 そして、また直ぐ始め、直子も一緒になったが、前日から一睡もしない三人はおりている間にも、ちょっと横になると直ぐぐっすりと眠りに落ちて行った。要は肩や首の烈しい凝りで、甚く苦しがっていた。
 十時頃になり、遂にやめた。三人は一緒に湯に入り、騒いでいたが、間もなく、久世と水谷は帰って行った。
 要は座蒲団を折って、それを枕に長々と仰向けに寝ていた。直子は幾度か床に入るよう勧めたが、「今、行きます」といい、なかなか起上がらなかった。仕方なく、直子は丹前をかけてやり、側で雑誌を読んでいると、暫くして要は不意に起き、
 「おやすみ」といい捨て、二階へ上がって行った。
 直子は睡くないので、そのまま其所で雑誌を読み続けていた。そして、どれだけか経った時、直子はふと、二階で要が何かいっているのに気づき、立って階子段の下まで行き、其所から声をかけてみたが、要の返事が、寝ぼけ声でよく聴取れなかった。直子は段を登って行った。

 

 この章「第四 五」は、客観的な描写となっているのだが、細かく見ていくと、ところどころに「謙作の目」が入っているのが分かる。

 たとえば、「皆、眼をくぼまし、脂の浮いた薄ぎたない顔をしていた。」あたりには、謙作の彼らに対する嫌悪感のようなものが感じられる。謙作は水谷を嫌悪しているので、それが現れるわけである。

 「薄ぎたない」という表現は、決して客観的ではない。しかし、客観的な描写とは、いったい誰の目から見た描写なのだろうか。一般的にいえば、「全体を見渡すことのできる語り手」ということになるだろうが、その語り手に「純粋性」を求めるのは難しい。えてして、それは「作者」とイコールになってしまう。この小説の場合は、作者と謙作が近い位置にいるので、この謙作の水谷に対する嫌悪感が紛れ込むことになるわけである。

 

 

 「肩が凝って眠れない。按摩(あんま)を呼んでもらえないかな」
 「さあ、ちょっと遠いのよ。それも早ければかまわないが、もう十二時過ぎよ」
 要は不服らしく返事をしなかった。
 「仙も今、丁度寝たとこだし、今から起こしてやるのも可哀そうね」
 「そんなら要らない」
 「よっぽど凝ってるの?」
 「キリキリ痛むんだ。頭がまるで変になっちゃって、眠れないんだ」
 「私が少し揉んで上げましょうか」
 「いいえ、沢山」
 「割りに上手なのよ」
 直子は部屋へ入って行った。そして要の首から肩の辺(あたり)を揉み始めたが、到底女の力では受けつけそうもなかった。
 「少しは利きそう?」
 「うむ」
 「利かないでしょう?」
 「うむ」
 「何方(どっち)なのよ。いやな要さんね」直子は笑い出した。「こうして揉んでる間に、早くお眠りなさい。あしたお起きになる頃、按摩を呼んどいて上げるから」
 直子は暫く、そうして揉んでやった。要は少しも口をきかなかった。直子はもう眠ったかしらとも思い、しかし止めて、もしおきていられたら気まりが悪いとも考えた。
 要が不意に寝がえりをした。直子は驚き、手を離したが、要はその手を握り、片手を首に巻いて直子の身体(からだ)を引き寄せた。要は眼を閉じたままそれをした。直子は吃驚(びっくり)したが、小声に力を入れて、
 「何をするのよ」といった。
 「悪い事はしない。決して悪い事はしない」こんな事をいいながら、要は力で無理に直子を横たえてしまった。
 直子は驚きから、ちょっと喪心しかけた。そして叱るように、「要さん。要さん」と抵抗し、起き上ろうとしたが、要は自身の身体全体で直子を動かさなかった。そして、
 「悪い事はしない。決してしない。頭が変で、どうにもならないんだ」これを繰返した。
 こういう争いを二人は暫く続けていたが、しまいに直子は自分の身体から全く力が脱け去った事を感じた。それから理性さえ。
 直子は静かに二階を降りて来た。仙に覚られる事が恐しかった。そして、床に就いたが、何時までも眠られなかった。
 翌朝、直子が眼を覚ました時には、要は出発し、もう家にはいなかった。

 

 「第四 五」はこれで終わる。

 前述したとおり、この「第四 五」は、終始、第三人称の語りで進められる。他のほとんどの部分が、謙作に寄り添った形での語り、主語は「謙作」だが、ほとんど「私」と同じで、あくまで謙作の視点から描かれているのに対して、この部分は、特別である。下手をすると、ここだけ浮いてしまう恐れがあるのである。この点については、安岡章太郎が、その「志賀直哉私論」で書いている。

 安岡は、例の「亀と鼈」の遊戯の部分を引用したあと、こんなふうに続けている。

 

 こういう不得要領で、ただ何となく猥褻な遊戯は、前篇で謙作の夢の中に出てくる”播摩”と同様、志賀氏自身の創作(?)であるようだ。播摩は極度に危険な秘技で、それをやると死ぬことがわかっているのに、情欲に生活の荒んだ阪口はついにそれをやって死んだという、ただそれだけで終っている謙作の夢は、要を得ないことが淫らであり、不可解であることが猥褻なナゾを残すのであるが、播摩といい、この「亀と鼈」といい、志賀氏が何となく空想してこしらえたというこれらの話は、単純で奇妙に肉感そのものの味があり、たしかに独創的であるだけに、志賀氏の生来の素質に何か特異なデモーニッシュなものがあることを窺わせることだ。そして、こういう端的に肉感的な夢や遊戯が作中人物の感覚を通じて増幅され、むしろ情欲の直接的な描写以上に情欲描写の効果を発揮するのは、志賀氏の天性の小説家であることを示す特異な技巧の一つであろう……。何はともあれ、ここではこの「亀と鼈」の遊戯自体に志賀氏の体臭ともいうべき個性の感じられることを注目すべきで、このことが直子と要の過失が少年少女の無意識な性本能の延長であることを説明すると同時に、謙作の主観の世界の外側で起ったこの事件を、うまく謙作の世界へ文体的に誘導してくる役割を果しており、そのためにこの章だけが「暗夜行路」の全体から、不自然に浮き上ったものになることを免れているのである。 
 このように小説の形式や技法の上では、謙作の外部で起った事態は、謙作の主観で動かされるこの小説の中に客観的な事実としてウマく定着させており、そこには何等の難点もない。

 

 なるほどと深く納得させられる。客観的な描写にみえて、「薄ぎたない」という表現に、謙作(あるいは志賀)の主観が紛れこむように、事件の客観的な記述は、いつの間にか、謙作の内部の問題に深くつながっていき、事件は、謙作の内部の問題となっていくのだ。

 重大な「事件」なのだから、もっと細かく描いてもよさそうなのに、書かない。要が、直子を抱き寄せた後の描写も、「要は眼を閉じたままそれをした。」と、実にあいまいで、そっけない。「それ」って何だ? って思うくらいで、もちろん、「それ」は、その直前の「直子の身体を引き寄せた。」を指すと読めないこともないが、おそれくは、「引き寄せた」あと、「眼を閉じたまま」した「キス」のことだと思われる。もちろん、志賀は、そんな直接的なことは書かないわけだ。

 その後の展開における描写も極めてあっさりしたもので、直子が「理性を失った」以後のことはまったく描かれず、いきなり階段を降りてくる直子の描写になる。

 ここは、まるで、歌舞伎の舞台だ。歌舞伎では、いわゆる「濡れ場」が演じられることはなく、部屋に入ってしまったあと、そこから髪がやや乱れた女が呆けたように出てくる。そこに、「濡れ場」の客観的な描写はないが、それ以上のエロスを感じさせるという仕組みである。

 描かないことによって、想像させるということだけではなくて、事件の背後にある「経緯」を描くことで、その事件が内包する「デモーニッシュなもの」を浮き彫りにする。それが「亀と鼈」の遊戯のことから書き始めた理由だ。

 直子に落ち度というほどの落ち度はない。要の要求を断固としてはね返せなかったことが「落ち度」といえばいえる。しかし、積極的な「不倫」というほどのものはないといっていいだろう。いや、悪いのは要で、直子はちっとも悪くない。直子は抵抗したがしきれなかっただけで、それは仕方のないことだったのだ、と直子を全面的に擁護することだってできる。しかし、問題は、直子が最後まで抵抗できなかった、という事実にではなく、そこに至った経緯が問題となった。それを問題だと意識したのは謙作なのだ。

 安岡はさらに続けて、「『亀と鼈』で直子の告白した過失が具体性をおび、過失自体を一つの実感のあるものにした。」と書いている。つまり、唐突に告白された「直子の過失」は、謙作にとっては、「実感」のないものだった。それが、「亀と鼈」の話で、性的衝動についての謙作自身の過去と結びついたことで、直子の過失は、「謙作の外側」の事件ではなく、謙作自身の内部の事件となったというのだ。

 もし、「直子の過失」が、あくまで「謙作の外側」の事件にとどまったのなら、謙作は、直子を捨てるにしろ、許すにしろ、それに苦しめられることはなかっただろう。「謙作の外側」で起きたかに見える事件が、実は謙作の内部に深く関わる事件だったことが、この事件を複雑にし、謙作が直子を許すことができない原因となる。自分ほど許せないものはないからである。

 

 


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