声勝衆鳥
忍び音もまだきことなり鶯の卵(かひご)の中の山郭公(やまほととぎす)
半紙
【題出典】『法華文句』
【題意】 声勝衆鳥
(迦陵頻伽鳥は卵の中から)声はその他諸々の鳥に勝る。
【歌の通釈】
忍び音から早くも別格である。鶯の卵の中の山ほととぎす(迦陵頻伽鳥)よ。
【考】
初随喜の人は位は低いが、その発心は円教を悟るためのものであり、他の教えの人の発心より優れている。これを迦陵頻伽鳥が卵の中から他の鳥よりすぐれているということの譬えたのが題の文。それをさらに鶯の巣の中のほととぎすの声になぞらえた。美声第一のほととぎすと迦陵頻伽鳥を重ねあわせる。
(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)
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「初随喜」というのは、「法華」の教えを聞いて喜びの心をおこす位。簡単にいえば、「初心」のことか。
「迦陵頻伽(かりょうびんが)鳥」とは極楽浄土に居るとされる鳥。
「円教」とは「欠ける所のない完全な究極の教え。」の意。
というふうに、仏教用語が多いので、詳しくは説明できませんが、要するに教えを聞いて喜ぶという「初心」はとても大事ということでしょう。
そのことを、もとの「法華文句」の方では、「迦陵頻伽鳥」は卵のときから圧倒的に優れている、というように例えたわけですが
それを寂然は、鶯の巣の中に卵を産んだほととぎすに例え直したのです。
ホトトギスという鳥は、「托卵」という習性があるので有名です。
「托卵」というのは自分で巣を作って卵を温めることをせずに、他の種類の鳥(ホトトギスはもっぱらウグイス)の巣に勝手に卵を産み落とし
あとは、ウグイスに育てされる、しかも、ホトトギスの卵のほうが先に孵ってしまい、後から孵ったウグイスの幼鳥を
巣から落としてしまい、自分だけがぬくぬくと育つという、まあ、ひどい習性なのです。
それを寂然のころの人はちゃんと知っていたというのは、驚きですね。
あるいは、そこまで詳しくは知らないけど、
ホトトギスがウグイスの巣に卵を産むということだけ知っていたということかもしれません。
それはそれとして
何かに初めて接して感動した体験というのはとても大事で、それが一生の宝になるということはよくあること。
宗教体験だけではなくて、芸術体験においても、大事にしたいものです。