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一日一書 1534 寂然法門百首 5

2019-03-27 09:55:53 | 一日一書

青葉紅花非染使然

 

ぬしたれや柳の糸をよりかけていろいろにぬふ梅の花笠

 

 

【題出典】

如青葉紅花非染使然。故云自爾。(『法華玄義釈籤』)

青葉紅花は染めて然らしむるにあらざるがごとし。故に自爾という。

 

【歌の通釈】

作り主は誰か。柳の糸を縒りかけて、さまざまに縫う梅の花笠の。 

【考】

万物の色形は自然に備わったものであり、作為を加えたものではない。

 

以上『全釈』による。

 

 

古今集には、「梅の花笠」(梅の花をウグイスがさしかざす笠と見立てた表現)は、ウグイスが縫ったのだろうという意味の歌があります。この寂然の歌は、そんなのは例え話に過ぎないと否定して、梅の花だって、柳の青葉だって、誰かが意図して染めたわけじゃない。もともとそうなっているのだと、仏法の教えに従って述べているということです。

万物の起源をどこに求めるのかは、古今東西の宗教や思想が追究してきたこと。キリスト教などでは「神が創造したのだ」と端的に言うわけですが、それもそんなに単純な話じゃないでしょう。寂然風にいえば、それも例え話にすぎない、ということになるのかもしれません。「もともとそうなっている」(=自爾=自然)といっても、それでは説明にならないじゃないかということかもしれませんが、その「自然」の奥の奥に、「何か」が根源的に存在している、ということかもしれません。

 そんな難しい問題をはらんでいるわけですが、寂然は、梅の花を柳の糸で縫って作ったのはウグイスだよ、というような「俗説」に対して、そういうもんじゃないのだよ、自然というものはね、と歌って、一般の人々に、自然の奥深さを伝えているのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

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