Yoz Art Space

エッセイ・書・写真・水彩画などのワンダーランド
更新終了となった「Yoz Home Page」の後継サイトです

木洩れ日抄 53 「オレステス」スターダス21・研究科1年修了公演@スターダス21アトリエ 2019.3.8

2019-03-10 10:45:08 | 木洩れ日抄

「オレステス」スターダス21・研究科1年修了公演@スターダス21アトリエ 2019.3.8

2019.3.10


 

 声優・俳優養成所のスターダス21で、キンダースペースの原田一樹さんと瀬田ひろ美さんが講師をしている。今回は、原田さんの脚本・演出、そして瀬田さんが演出助手をつとめた「オレステス」を見た。

 瀬田さんのFBによれば「オレステスに繋がる7本のギリシャ悲劇作品を繋いだものです。ギリシャ悲劇7作品をほぼ網羅し、一挙上演は例を観ないものだと思います。その全てを2時間5分でお届けします。」ということだが、まさに、その言葉通りので芝居で、驚嘆した。すごすぎる。

 原田さんの脚本・演出の傑出していることは毎度のことながら、この長くて複雑な芝居を演じたのが、俳優の卵たちであることが信じられないほどの上質な舞台だった。記憶力がきわめて悪いぼくだから、芝居の最初の方こそ次々と登場してくる神々や人間の名前がなかなか頭に入らず、おたおたしたが、それでも、アキレウスだの、ゼウスだの、エレクトラだのといったお馴染みの名前が、ああ、そういう神々だったのねと、だんだん頭の中で整理されていくうちに、いつの間にか怒濤の劇的世界に巻き込まれていった。

 女優陣が特に充実していて驚かされたが、男優陣も頑張っていた。ただ、男の方はどうしても威厳をもった社会的な役割を演じなければならず、彼らの若さでは、それを肉体化してみせるのは至難の業と思われた。まして「英雄」「神」ともなれば、表情ひとつとっても、それを「演ずる」のはほとんど不可能なことだ。だからこそ、昔は「仮面劇」であったのだろう。

 その点女は、嫉妬や愛に狂えば、その役柄(女神だろうと、王女だろうと)を脱ぎ棄て、そのまま一人の女として2500年の時空をあっという間に飛び越える。2500年前の嫉妬も愛も、現代の嫉妬も愛も、なんの違いもないのだ。男だって嫉妬もすれば愛しもするけれど、どこかが微妙に、あるいは本質的に違うような気もする。

 パンフレットに原田さんも書いているとおり、人間の本質は2500年たってもちっとも変わっていない。ギリシャ悲劇は、いつまでたっても新鮮だ。つまり、人間の本質を描いている限り、「芸術」は古びないし滅びないということだ。断片的にしか読んでこなかったギリシャ悲劇を、ここできちんと読みたいと切実に思わせてくれる舞台だった。 



 

  ギリシャ悲劇とは

 ギリシャ演劇は紀元前480年ごろから430年にギリシャの都市国家アテナイで最盛期を迎えた氣台芸術である。この時期はまた、ペルシャとの二度の戦争に勝利して莫大な賠償金と奴隷を得た都市国家群の史上最大の発展と、アテナイ、スバルタをそれぞれ盟主としてギリシャの衰亡を招いた内戦、ペロポネソス戦争の戦間期でもあった。
 ギリシャ悲劇は現代にいたるまでたびたび上演され、また20世紀以降の心理学や哲学、文学に多くの着想と刺激を与えて来たことは、この世界最古の舞台芸術が「人間」を描くことにおいてどれほど優れていたのかを示すと同時に、「人間」のかかえる問題の本質が、この2500 年間、ほとんど変わっていないということを示している。
 ギリシャ悲劇のほとんどは「犯罪」を扱っている。ギリシャ神話を原典として、戦争、暴力,拉致、殺人、復讐などが描かれ、これを一万人以上が収容できる劇場で、ほとんどの市民の立ち合いの元、こういった犯罪が共同体の存続にどう関わるのかが問われてきた。「犯罪」は常に反秩序で誰からも容認されるものではない。が同時に「人間」のやむにやまれぬ衝動から引き起こされる。だから決してなくならない.
 ギりシャ劇の上演そのものは、多い時で仮面をつけた三人の俳優とコロスたちによる、様式性の高いものである。もちろん最近の上演では現代劇の形に変えられることが多いが、今回の作品は三十年ほど前にイギリスRSC のジョン・バートンにより「グリークス」としてまとめられた10本の内の6本を底本にしている。7 本目のオレステスに関しては、エウリビデス(BC408)とサルトル「蠅」(1943) によるキンダースベ一ス上演バージョンを基にした。サルトルは復讐の女神たちを蠅に化身させ、「人間」の「自由」への意思を描いた。がこれも今では、通り魔や衝動殺人を思い起こさせる。
 また、作品の中で描かれているのは、ギリシャとトロイアの較争だが、ギリシャ演劇自体の隆盛が、異国ペルシャとの戦争の勝利によってもたらされたものであり、次に内乱によってギリシャ自体が疲弊してマケドニアの、つづいてローマの支配下になるというのも歴史の皮肉であるような気がする。
 いずれにせよ、我々が現在当たり前のように口にする「演劇」は、明治以降にもたらされた西洋リアリズム演劇であり、その原点がイプセン、チェーホフからシェークスピアを経てギリシャ悲劇にまで遡るのは間違いがない。俳優修行の一時期に、「演劇」の原点であり、「人間」の原点でもあるこれらの作品に全霊をかけて取り組むことは,これからの人生にとって決して無駄ではないと信じている。


演出 原田一樹

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする