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詩歌の森へ (4)萩原朔太郎・五月の貴公子

2018-04-25 09:53:41 | 詩歌の森へ

詩歌の森へ (4)萩原朔太郎・五月の貴公子

2018.4.25


 

  五月の貴公子


若草の上をあるいてゐるとき、
わたしの靴は白い足あとをのこしてゆく、
ほそいすてつきの銀が草でみがかれ、
まるめてぬいだ手ぶくろが宙でおどつて居る、
ああすつぱりといつさいの憂愁をなげだして、
わたしは柔和の羊になりたい、
しつとりとした貴女(あなた)のくびに手をかけて、
あたらしいあやめおしろいのにほひをかいで居たい、
若くさの上をあるいてゐるとき、
わたしは五月の貴公子である。


「すてつき」に、傍点。
『月に吠える』所収。


 前回に出てきた「あやめ」つながりで、この詩を取り上げる。

 朔太郎の詩は、今でも、高校の国語の教科書にはよく載っているが、だいたいが『竹』で、それ以外はごく稀だ。その『竹』にしても、青空に向かってまっすぐに伸びていく竹の生命力を歌った詩、などと、とんだ誤解をされたりして、その神経症的で憂鬱な気分は無視されがちだ。(無視しなければ、とても子どもに朗読なんてさせられない。)

 朔太郎の『月に吠える』に収められた詩で、健康的なものなどひとつもないといっていい。病的な神経と独特のエロチシズムに窒息しそうになる朔太郎の詩が、どうして高校時代のぼくをとらえたのか分からないが、ぼくの気持ちを代弁してくれるのは朔太郎だけだ、なんて同級生に口走ったら、キモチワルイって言われたことをよく覚えている。そういえば、そのころ、例の『恋愛名歌集』を読んでいたら、やはり同級生に、イヤラシイって非難されたこともある。ぼくがそうとう浮いた存在だったことは間違いない。

 さて、この『五月の貴公子』だが、まったく、なんという自己愛だろう。「わたしは五月の貴公子である」なんて、よく言うよ、って感じだよね。少なくとも、ぼくは書けない、こんなこと。

 でも、朔太郎だから、許せちゃうってところがミソだ。前橋の金持ちのお医者さんのボンボンで美男子だった朔太郎だからこそ、こんなことも平気でいえたし、言っても、さまになった。これが、金沢の足軽の私生児で醜男の室生犀星だったら、まるでさまにならない。

 この何から何まで対照的な朔太郎と犀星が、無二の親友だったというのは、実に不思議な因縁で、文学史上の「奇跡」といっていい。まあ、この話は長くなるから、いつかまた。

 朔太郎が「わたしは五月の貴公子である」と書いたからといって、それが彼の本心だったと思う必要はない。あくまで詩の中の言葉なのだから、彼の本心とは関係ないはずだ。けれども、ここでいう「わたし」とは、やはり、作者朔太郎とはまったく無関係な抽象的人物でもないだろう。朔太郎の心を色濃く反映している人物だ。生身の朔太郎そのものではないけれど、朔太郎の心が生んだ、もう一人の朔太郎だ。その両者の間の距離をどうとらえるかは、実にむずかしい問題なのだ。

 ぼくらは、生身の朔太郎を知ろうにも知ることはもう絶対にできないのだから、朔太郎という人を知るためには、その作品に現れた「もう一人の朔太郎」を手がかりにするしかないわけだ。といっても、結局のところ、生身の朔太郎などもうこの世にいないのだから、ぼくらが知ることのできるのは、「もう一人の朔太郎」しかないわけで、それが読書の「目標」だといってもいい。あの世の朔太郎にしても、「もう一人の朔太郎」が十分に理解されればそれで本望だろう。いや、ほんとのぼくはそんなんじゃないんだ、なんて言うわけない。そんなこと言うくらいだったら、作品なんか書きはしない。

 さて、もう一度、この詩に戻ろう。まずは、「若草の上をあるいてゐるとき、/わたしの靴は白い足あとをのこしてゆく、」という二行の見事さに驚嘆する。「あるいてゐるとき」という仮名書きがまず見事。これを「歩いている時」とした途端に、詩が消える。「あるいてゐる」という6音の中に、2回も出てくる「る」という音がなまめかしい。朔太郎ほど、詩における「音楽性」を追求した詩人は稀で、それはこうしたところに如実に現れている。

 「わたしの靴は白い足あとをのこしてゆく」のイメージも素晴らしい。若草の上に「白い足あと」がつくなどということはありえない。ありえないから、イメージが幻想的になる。はいている「靴」の色が書かれていないのに、なぜか白い靴だと思わされる。「白」という言葉が、宙に浮いて、「靴」と「足あと」を結びつける。

 「ほそいすてつきの銀が草でみがかれ」も素敵だ。「すてつき」が「みがかれ」るのではなくて、「銀」が「みがかれ」る。「すてつき」とわざとひらがなで書いて傍点を打つことで、この道具に幻想的な艶が生じる。

 「まるめてぬいだ手ぶくろが宙でおどつて居る」、この「手ぶくろ」もきっと白いのだろう。先ほどの「靴」と「足あと」の白が、この「手ぶくろ」と共振して、「宙でおどる」ことになる。この4行は、情景描写なのだが、実は心象風景でもある。「若草」の上で、心が解放されていく様といえばいいだろうか。その幻想的な心象風景のあとに、詩人の詠嘆がくる。

 「ああすつぱりといつさいの憂愁をなげだして、/わたしは柔和の羊になりたい、/しつとりとした貴女(あなた)のくびに手をかけて、/あたらしいあやめおしろいのにほひをかいで居たい、」この4行ほど若いころのぼくを捉えたものはない。ほんとにこんなフレーズ、よく恥ずかしがらずに書けたものだ。この退廃的でいじけたエロチックな表現は、共感するなんてことを口外するのは、ちょっとためらわれるほどだ。だから、ぼくが朔太郎に共感すると言ったとき、気持ち悪いと言った同級生こそ健康的だったのだ。

 ところで、このフレーズの中の「あやめおしろい」が長いことぼくを悩ませてきた。なんだか分からないからだ。アヤメを材料とした白粉なのか、「あやめ印の白粉」なのか、さっぱり分からない。いろいろ調べてみても、これについての決定的な説明はないのが現状だ。どうも、当時、「あやめおしろい」なる商品はなかったらしいから、どうも朔太郎の創作らしいというのが、現時点でのいちおうの結論のようなのだが、そうだとすれば、この「あやめおしろい」は、あの古今和歌集の「ほととぎす鳴くや五月のあやめぐさあやめも知らぬ恋もするかな」があると考えるのはあながち強引でもないだろう。「五月」「あやめ」は、「五月の貴公子」と、「あやめおしろい」につながっているのではないか、それがぼくなりの結論である。

 この「あやめおしろい」が、実在しなかったらしいことは、この詩にとってはむしろ有利なことだ。なんだかよく分からないからこそ、心の片隅にひっかかり続け、勝手にイメージを増殖し続けるともいえるからだ。

 詩は、隅から隅まで意味が分かってしまうと面白くない。むしろ、「よくわからない」詩こそ魅力的だ。いったいこれはどういうことかなあ、などと考えているうちに、何十年も経っている。その何十年は、「その詩とともに」生きた何十年となる。それこそ幸せというものではないか。




 


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