
the Palm House at Kew Gardens/2006年12月9日撮影
鋳鉄梁から錬鉄梁へ、という変遷の具体例として挙げようと考えているのが、キューガーデンの温室である。クリスタルパレスよりも先行する1848年に完成したこの温室は、デシムス・バートンとリチャード・ターナーのコンビで設計がなされた。同じくバートンがパクストンと共同し1840年に完成したチャッチワースの大温室を参照しつつも、こちらは錬鉄造である。当初はチャッチワース同様に鋳鉄造として設計がなされたが、追加予算を捻出して錬鉄造で設計がやり直されたという経緯がある。ここで追求されたのは、より多くの太陽光を取り入れるためのできるだけ細い骨組みであった。鋳鉄を用いた場合、欠点である曲げへの弱さを補うため梁材が太くなってしまう。そこでターナーは、当時特許が取得されたばかりの錬鉄製甲板梁を応用することにしたのである。造船業からの技術移転。これにより、断面でかなりのスリム化が実現され、重量が軽くなったおかげで柱も細くて済んだのだ。

from "Richard Turner and the Palm House at Kew Gardens"
/E. J. Diestelkamp
温室はターナーが自ら持ち込んだ企画にもかかわらず、評議会の方針で実績のあるバートンが主導権を握るかたちで設計が進められた。外観のプロポーションはバートンの意向が優先されターナー不在のまま実施図面まで引かれたが、結局詳細はその後ターナーによって建設途中にほとんど変更されることになる。バートンとターナー、植物園側の責任者との往復書簡からは、ターナーがバートンを立てつつも、肝心なところでは自分の意見を植物園側に主張して認めさせていたことがわかる。ちなみにそうした技術をバートンは逐一特許申請している。
資料を読んでいて思うのは、「実験をして」「試験をして」という表現の多さと、特許申請された造船技術が翌年には建築に移転されているというスピード感。
ちなみにイギリスでは窓に税金をかけていたガラス税が1845年に撤廃される。