4時半に起床し、5時半のシャトルバスでホテルから空港へ。乗り遅れないように早め早めに行動しながら搭乗口へ。思いのほか搭乗客は多い。ゲートから航空機までのバスがだいぶ長い時間かけて走ったので不安になったが、定刻を少し遅れて出発。今日これくらい遅れても許されるなら昨日も乗れたんじゃないかなあと思いつつ。ロンドン-ドバイ間のエアバス機にはあった機内WiFiがドバイ-東京間のボーイング機にはなかったので、ブログのまとめ更新は諦めて日本語音声がある映画を三本ほど観る。途中乱気流に入り、機内がだいぶ揺れた。シートベルトの着用を促すアナウンスがあったほかは特に変わったことはなく、肘置きを上げて四列シートに横になって寝ている乗客はそのままだったし、ちょうど飲み物をサーブ中だった機内サービスも続行。あまりに揺れるので僕は死も覚悟したが、「心配しなくてもいいですよ」みたいなアナウンスやCAの素振りがあったら、やはり異常事態なのかとかえって心配になっていたかもしれない。これくらいいつもどおりですよという雰囲気だったので安心できた。寝ている奥さんが目が覚めたら怖がるのではないか、そのまま寝ていて欲しいと祈っていたが、すやすや寝たまま乱気流は通り過ぎ、起きた奥さんはケロッとしていた。ふと気が付くと日本までの飛行時間が2時間強。そこからはあっという間ですぐに羽田空港に着いた。夜11時過ぎに到着し、別送便の入管など諸々の手続きを終えると終電の時間は過ぎてしまい、都内の奥さんの部屋までタクシーで帰宅。奥さんが用意してくれていたお泊りセットで寝床を確保して、就寝。
同じく羽田行きに乗り継げなかった学芸員のMさんと3人でともかくドバイに入国し、航空会社のカウンターで提携ホテルまでのシャトルバスの説明を受ける。ホテルバウチャーは提携ホテルの無料宿泊券と併設のビュッフェレストランでの食事三食を無料でカバーするというもの。預けていた荷物はホテルに取り寄せてもよいとのことで、とりあえず朝食を食べる。ホテル発のツアーがあるというので、気持ちを切り替えてドバイを楽しむことに。Mさんは部屋に戻り、僕と奥さんは市内観光の4時間バスツアーに申し込む。ドバイは暑く、照り返しで眩しい。古い城郭あとを使った民俗博物館の見学、運河のボート渡り、貴金属の市場の見学、モスク前での記念撮影、民芸品のマーケットの見学、ペルシャ湾に浮かぶ椰子の木のカタチをした人工島パーム・ジュメイラのリゾートホテル群の見学と記念撮影、世界一高い高層ビルであるブルジュ・ハリファ(旧名ブルジュ・ドバイ)前での記念撮影。ホテルに戻り昼飯を食べて部屋に戻ると廊下でMさんとばったり。ツアーに参加しなかったMさんはメトロ(公共交通機関のモノレール)を使ってひとりブラブラと市内を見て回っていたそうだ。奥さんは復帰が一日遅れることを会社に連絡するなどしてから少し仮眠し、夕方メトロで市内に出てみる。巨大なショッピングモールであるドバイ・モールを見学したあと(中身はいたって普通であったが、入居していたwaitroseが「イスラム教徒ではない人向け」として豚肉コーナーを区切っていたのがドバイらしかった)、花火のように150メートルの高さまで水が勢い良く上がる噴水ドバイ・ファウンテンのパフォーマンスを見て、再びホテルに戻って夕食。Mさんともまたばったり会えたので一緒に食事。Mさんの日本での仕事の話など聞いて、Mさんの美術館に遊びに行く約束をして連絡先を交換し記念撮影。明日も早いので早めに就寝する。
朝、火災報知機の激しい音で目が覚める。奥さんと一緒に財布だけ持って外へ。特に煙も出ていないが誘導灯に沿って非常口から外に出て、表通りに出る。同様に部屋から着の身着のまま出てきた宿泊客が道路で待っていると、ホテルの乗務員が出てきて警報機の誤作動であったとの説明。それでも警報機が鳴り止まないため、うるさくて部屋には戻れずカフェのソファでしばらく待機。特に消防車が到着するわけでもなく警報機が鳴り止むまでしばらく待ち、思いがけず早起きしてしまったのでホテルの横のThe Table Cafeで早い朝食。僕らが最初の客だったが徐々に増えて満席に。(ホテルからは追ってマネージャー名で謝罪メールが届き、次回宿泊の際はお詫びに特別扱いするとのことであった) ホテルに荷物を置いたままチェックアウトし、Fortnum and Masonでおみやげにお茶とアマレット・バターを購入。バスでKings Roadまで行き、The Bluebird Cafeで建築学科同期のあつこさんと待ち合わせて、一緒にランチ。そのあと3人でKingsgate Houseの現場を観に行く。日本の担当現場でも太陽光パネルを組み入れた物件に携わっていた奥さんからのコメントはドキドキしたが、HCLAとしてメーカーと共同開発した太陽光パネル組み込みガラスルーバー(Solar Shutter)は好評であった。Smythonで奥さんが欲しがっていた名刺入れを買って、ホテルで荷物を受け取ったあとパディントン駅までタクシーで向かい、ヒースロー・エクスプレスで空港へ。出発が一時間遅れているとの連絡を途中で受ける。ドバイでの乗り換えは接続の飛行機が待っているので問題無いとの説明をチェックインカウンターでもらい、飛行機に乗り込む。これで本当に日常としてのイギリスは終わるわけであるが、考えてもいろいろな感情が沸き上がってくるだけでしかたがないので、考えないことにする。イギリスを「去る」のではなく、日本に「行く」のだ。6時間ほどのフライトのあと、ドバイ時間で早朝に空港に到着。しかしいくつかの乗り継ぎ先の乗客は待機するように説明があり、羽田行きは最後まで待たされてから乗り継げない旨を告げられる。「預け荷物の積み替えが間に合わないため、乗り継ぎができません。荷物がない状態で乗客だけを運ぶのは荷物がはぐれる危険性があるため当社のポリシー上認められません。成田行きはすでに出発しているため、本日はこの羽田行きが日本への最終となります。こちらにホテルバウチャーがありますので、明朝のフライトまでホテルでお待ちください」
昨日より少し早起きして朝食を食べてからチェックアウト。途中、腕時計をどこかに忘れてしまったことに気づくが、見つからず断念。(追ってホテルにも問い合わせたが見つからなかったとのことである。ロンドンで手に入れたガジェット的腕時計であったが、日本でそんなものしてたら子供っぽいとの神の思し召しだと思いあきらめることにする) アテネの中でも少し高級なエリアだという地区を少し歩いたあと、地元のスーパーでおみやげ用にウゾを数本買う。昨日ネットで下調べしていたポピュラーな銘柄のものを選ぶが、完全に地元向けらしく表記がギリシャ語なので、よく似たコピー品かと思い何度も確認してしまった。再びプラカ地区まで戻り、奥さんが探していたおみやげを購入。地下鉄で空港へ向かう。Easyjetの中でも優先搭乗できる高いシートを買っていたのだが、搭乗口で止められ結局最後に搭乗することに。10年前につくったパスポートの写真と今の自分が違いすぎるというのが理由だったようで、追加の身分証明として出したイギリスの永住権ビザカードがメガネを着用していない人相の悪いものだったので更に担当者が混乱。どこかへ電話して応援の人数が集まってくるも結論は出ず、最後は航空会社の人も交えて4人でいろいろ話し合っていたが飛行機が出る直前にようやく開放してくれた。アテネからロンドンに入ったあとはパディントン駅に預けていた荷物をすぐに取りに行き、手分けしておみやげを買っていた奥さんと合流してホテルCitizenMにチェックイン。すぐにホテルを出てミレニアムブリッジを渡り、そこからタクシーでバービカンセンターへ。English National Balletの公演『Les We Forget』の製作陣によるディベートに参加。「コラボレーション」をテーマに集まったのは、向かって左から、『Dust』を振りつけたアクラム・カーンAkram Khan、『Dust』の作曲家であるJocelyn Pook、振付家George Williamsonによる『Firebird(改定版)』の衣装を担当したDavid Bamber、 Guardian誌からダンス批評のLuke Jenningsがモデレーターとして中央に座り、その横にENBの芸術監督でありこのオール新作のバレエイベントを企画したタマラ・ロホTamara Rojo、振付家Russell Maliphantによる『Second Breath』のアシスタントを務めたCarys Staton、振付家Liam Scarlettによる『No Man's Land』の舞台デザインを務めたJon Bausor。Lukeが話を振っていく形式で会は進んだが、彼があまり話を広げないので内容はぶつ切れ。さしてコラボレーションについて一家言ある人が集まっているわけでもないらしく、話し慣れていない人が多かったのか、内容もこれまでの自分の経験を少し喋ってからコラボレーションに関して月並な意見を述べるだけで、少々退屈な内容であった。SHARISHARISHARIを通して多少コラボレーションを経験してきた僕にとっては、あまり新しい発見の無い内容。ただ最後にピリッとしていたのは、アクラムが自分への質問に答えつつすでに他の人が答えた質問にも言及してなかばディベートを総括するように滔々と喋った一節。「ロンドンオリンピックの開会式におけるコラボレーションを例に出して、その場では誰もがプロフェッショナルとしてテーブルを囲み、そこにはディレクターはいないかのようだったと冒頭に述べましたが、それでもコラボレーションは民主主義ではないことを言っておきたいです。それではただのカオスになる。『Dust』において観客が観るのはあくまで僕の作品です。このバレエ公演で言えば『Les We Forget』は芸術監督であるタマラの作品であるし、五輪開会式であればダニー・ボイルの作品である。そこには剣の一刺しのように一本筋の通ったものがあるべきで、観客が感じ理解するのはそれなのである。コラボレーションにおける様々なインプットは、その剣の一刺しに合流して私の一部となり、ひとつの作品が生まれるのです。」ディベートの冒頭に最初の話者としてLukeに指名され、五輪開会式での経験との対比で、自分に一言も意見を言わせてくれない&自分の振付にも意見を言わない作曲家とのコラボ体験を否定的に語った彼が、自分が何をつくるかの着想を得る前にまずコラボレーターたちと会い何を語るかを含めてコラボレーターたちと一緒につくったと言い切った彼が、最後にそうやって釘をさしてくれることで、コラボレーションさえすれば何かよいものが勝手に生まれるかのような、安易な誤解を産みがちなそれまでの話の流れが、ぐっと正しい方向に戻ったような気がする。今回初めてバレエ団のために振り付けることになり、自分のダンスカンパニーで上演したほうが良かったのではないかという批判だけは言わせまいと思いつくったとも言った彼。上演された作品も僕個人的には一番魅力的であった。Tamara自身が自分のディレクションについて語った話も面白くて、コラボレーターたち(彼女の場合は3人の振付家たち)を自分の持って行きたい方向へ誘導する際、如何に直接そう言わずに彼ら自身が自ら考えたように思ってもらえるかに腐心したエピソードを話していた。3人には自由に制作してもらったが、すべてを知っている自分だけが知っている情報をそれとなく伝えつつ、テーマが被らないように、同じ内容のものにならないように、3人を誘導したらしい。2人が同時にAと言ってきたら、一方には、Aもいいわね、でもBの可能性も探ってみたら?と言うとか。それでもTamaraが言ったように「私はたくさんたくさん意見を言ったけど、そのうちのいくつかは採用されてほとんどは無視されたわね」。アクラムはそれでも言うことを聞かないので、「それ他の人がもうやってるのよ!」と本当のことを言ってしまったこともあるらしいが笑。ロイヤル・バレエで積極的にコラボレーション作品を発表しているウェイン・マクレガーへの言及は一切なく、それを意識したらしい観客の質問にも答えはちぐはぐで、ライバルバレエ団の話題をあえて触れないようにしているのかなと勘ぐりもしたが、コラボレーションについて深い話にはならなかった。そうであったなら内容は今作『Les We Forget』の舞台裏について語ることにして、コラボレーションとは何かは観客の受け止め方に任せるとかすればよかったのになと思った。参加人数が多すぎで一人の発言時間も短すぎたし。Lab_CafeやDaiwa Foundationでこういったトークイベントを何回か企画してきているので難しさもわかるのだが。
つづいて『Les We Forget』の公演。同僚であるリアム・スカーレットの作品を見ようと集まったのか、ロイヤル・バレエ団の現役ダンサーもちらほら。幕間には元同僚であるロホと談笑していた。
リアム・スカーレットの作品『No Man’s land』は、第一次世界大戦というテーマに真っ正直に答えたストーリーもの。火薬工場で働く工女たちが、戦場に赴いた恋人たちのことを思い、自分の制作した爆薬で亡くなってしまうかもしれない彼らのことを想像して悲しんだりしながら、夢の中で彼らとダンスするというもの。工場と戦場の光景がオーバーラップする舞台装置は序盤に効果を発揮したが、後半は妙に具体的な舞台装置がかえって邪魔になっていた。少々凶暴な振り付けはスカーレットらしかったが、あまり記憶に残らず。
George Williamsonの『Firebird』は新振り付け版。僕は以前『Beyond the Ballet Ruses』でも観たことがあったが、それからさらに改定されているとのこと。同じくその公演を観ていた当時ロイヤル・バレエ所属のタマラの記憶にも残っていて、今回再上演することを持ちかけられたらしい。振付家はEnglish National Balletに所属する23歳の若手振付家である。普通に完成度高くて隙がなく、これがオリジナルじゃなかったっけ?と思わされるような作品だった。タマラはディベートの席でも、バレエの名作を改定することを恐れてはいけない。名作は名作として手を付けられずに残っているのだから遠慮することはない。その時代に伝えたかったことを今ならどう伝えれば観客に届くのか、新しい解釈でどんどん新しく振りつけなおしていくべきだ。それを見て主題に共感できた観客は、そこからたどってオリジナルにも興味を持ってくれるだろうと主張していた。自分が芸術監督のうちに、English National Balletの定番レパートリーをたくさん新しく生み出したいと野心を語っていた彼女らしい挑戦と言えるだろう。
休憩の代わりにピアノ独奏があって、そのままRussell Maliphantによる『Second Breath』。これは打って変わって抽象的な作品であったが、主題や雰囲気はリアム・スカーレットとよく似ていた。奥さんが以前観た『バレエボーイズ』というオムニバス公演では、スカーレットとマリファントは共作していたらしい。今回も二人の作品は似ていたし、コラボレーションすればちょうどよいところに落ち着く作品になったのかもしれない、と思うのは乱暴な感想なんだろうけど。いずれの作品も、主演はアリーナ・コジョカルであるところも共通。
最後はアクラム・カーンAkram Khanによる『Dust』。自分が十分に理解できているとはいえないのであえて使わなかったとの宣言通りトーシューズはなし。アクラム自身のような独特ののたうち回るようなダンス(実際、公演日によってはアクラム自身が踊るのであるが)の周りで裸足の女性ダンサーたちが群舞する。リズム感や、ダンサーたちの動きが、飽きさせない。第一次世界大戦というテーマに場面設定で答えるのではなく、何か人間の本能のようなところに訴えかけてくるようなダンスに感動する。これをバレエ団がレパートリーとして持って良いのかはよくわからないが、今回の上演作品でもう一度観たいものと言ったら『Dust』だと思った。
ホテルに戻り奥さんは疲労ですぐに就寝。僕は地上階のカフェで軽食をとってから荷物の整理をして就寝。
つづいて『Les We Forget』の公演。同僚であるリアム・スカーレットの作品を見ようと集まったのか、ロイヤル・バレエ団の現役ダンサーもちらほら。幕間には元同僚であるロホと談笑していた。
リアム・スカーレットの作品『No Man’s land』は、第一次世界大戦というテーマに真っ正直に答えたストーリーもの。火薬工場で働く工女たちが、戦場に赴いた恋人たちのことを思い、自分の制作した爆薬で亡くなってしまうかもしれない彼らのことを想像して悲しんだりしながら、夢の中で彼らとダンスするというもの。工場と戦場の光景がオーバーラップする舞台装置は序盤に効果を発揮したが、後半は妙に具体的な舞台装置がかえって邪魔になっていた。少々凶暴な振り付けはスカーレットらしかったが、あまり記憶に残らず。
George Williamsonの『Firebird』は新振り付け版。僕は以前『Beyond the Ballet Ruses』でも観たことがあったが、それからさらに改定されているとのこと。同じくその公演を観ていた当時ロイヤル・バレエ所属のタマラの記憶にも残っていて、今回再上演することを持ちかけられたらしい。振付家はEnglish National Balletに所属する23歳の若手振付家である。普通に完成度高くて隙がなく、これがオリジナルじゃなかったっけ?と思わされるような作品だった。タマラはディベートの席でも、バレエの名作を改定することを恐れてはいけない。名作は名作として手を付けられずに残っているのだから遠慮することはない。その時代に伝えたかったことを今ならどう伝えれば観客に届くのか、新しい解釈でどんどん新しく振りつけなおしていくべきだ。それを見て主題に共感できた観客は、そこからたどってオリジナルにも興味を持ってくれるだろうと主張していた。自分が芸術監督のうちに、English National Balletの定番レパートリーをたくさん新しく生み出したいと野心を語っていた彼女らしい挑戦と言えるだろう。
休憩の代わりにピアノ独奏があって、そのままRussell Maliphantによる『Second Breath』。これは打って変わって抽象的な作品であったが、主題や雰囲気はリアム・スカーレットとよく似ていた。奥さんが以前観た『バレエボーイズ』というオムニバス公演では、スカーレットとマリファントは共作していたらしい。今回も二人の作品は似ていたし、コラボレーションすればちょうどよいところに落ち着く作品になったのかもしれない、と思うのは乱暴な感想なんだろうけど。いずれの作品も、主演はアリーナ・コジョカルであるところも共通。
最後はアクラム・カーンAkram Khanによる『Dust』。自分が十分に理解できているとはいえないのであえて使わなかったとの宣言通りトーシューズはなし。アクラム自身のような独特ののたうち回るようなダンス(実際、公演日によってはアクラム自身が踊るのであるが)の周りで裸足の女性ダンサーたちが群舞する。リズム感や、ダンサーたちの動きが、飽きさせない。第一次世界大戦というテーマに場面設定で答えるのではなく、何か人間の本能のようなところに訴えかけてくるようなダンスに感動する。これをバレエ団がレパートリーとして持って良いのかはよくわからないが、今回の上演作品でもう一度観たいものと言ったら『Dust』だと思った。
ホテルに戻り奥さんは疲労ですぐに就寝。僕は地上階のカフェで軽食をとってから荷物の整理をして就寝。
HCLAを退所し旅に出た3月以降のことは毎日記録に残しているのだが、ブログとしてはアップしていなかった。
3月に入ってからミュンヘン→シュトゥットガルト→(ロンドンで大和日英基金のセミナー開催)→ベルリン→ライプチヒ→ハンブルクと時間をかけて周ったあと、渡英してきた両親をロンドンで迎えてイギリスを案内。父が15年ぶりに重い腰を上げて海外まで来てくれたのは、僕がロンドンでリチャード・ホールデンと何をしてきたのかを理解しようとの意図だったらしく。ハイライトは、僕とホールデンを巡りあわせてくれたセインズベリー・センター・フォー・ビジュアル・アーツ見学、ホールデンはじめ3人のパートナー&同僚たちを紹介できたHCLA訪問、そして僕がHCLAで担当した集合住宅キングスゲート・ハウスの竣工間際の現場見学。カフェでひと休みしているときや、ノーリッジに向かう長距離列車の車内で、父とはいろいろ話せた。先週末からは奥さんが合流し、ロンドンを二人で案内したりイギリス流に母の日のプレゼントを渡すこともできた。両親が月曜日に帰国してから、僕は奥さんとギリシャに来ている。サントリーニ島では何も考えずに海と夕日だけを見てた。今日はアテネにたどり着いたところ。

サントリーニ島の町イアで奥さんと日没を待つ
足掛け9年の旅の終わりは近い。留学準備がままならぬ日々の反省のために始め、ミュンヘンで充実した日々を過ごせたときも、ミュンヘンの次の道が閉ざされたように思えたときも、思いがけず渡英が決まったときも、ロンドンで素敵な仲間たちと建築を考えていたときも、タイトルを変えずに続けたブログ「ミュンヘンなんて、どこ吹く風」。長い前フリがそろそろ終わるのだ(?)。貴重な経験と大切な思い出は「どこ吹く風」とうそぶいて、ここからまた新しいはじまり。
3月に入ってからミュンヘン→シュトゥットガルト→(ロンドンで大和日英基金のセミナー開催)→ベルリン→ライプチヒ→ハンブルクと時間をかけて周ったあと、渡英してきた両親をロンドンで迎えてイギリスを案内。父が15年ぶりに重い腰を上げて海外まで来てくれたのは、僕がロンドンでリチャード・ホールデンと何をしてきたのかを理解しようとの意図だったらしく。ハイライトは、僕とホールデンを巡りあわせてくれたセインズベリー・センター・フォー・ビジュアル・アーツ見学、ホールデンはじめ3人のパートナー&同僚たちを紹介できたHCLA訪問、そして僕がHCLAで担当した集合住宅キングスゲート・ハウスの竣工間際の現場見学。カフェでひと休みしているときや、ノーリッジに向かう長距離列車の車内で、父とはいろいろ話せた。先週末からは奥さんが合流し、ロンドンを二人で案内したりイギリス流に母の日のプレゼントを渡すこともできた。両親が月曜日に帰国してから、僕は奥さんとギリシャに来ている。サントリーニ島では何も考えずに海と夕日だけを見てた。今日はアテネにたどり着いたところ。

サントリーニ島の町イアで奥さんと日没を待つ
足掛け9年の旅の終わりは近い。留学準備がままならぬ日々の反省のために始め、ミュンヘンで充実した日々を過ごせたときも、ミュンヘンの次の道が閉ざされたように思えたときも、思いがけず渡英が決まったときも、ロンドンで素敵な仲間たちと建築を考えていたときも、タイトルを変えずに続けたブログ「ミュンヘンなんて、どこ吹く風」。長い前フリがそろそろ終わるのだ(?)。貴重な経験と大切な思い出は「どこ吹く風」とうそぶいて、ここからまた新しいはじまり。
朝食をとってから、九時過ぎにホテルを出る。レセプションで教えてもらったとおり、プラカ地区を抜け、参道を登るようにしてアクロポリスの丘に近づく。ガイドブックとチケットを買ってから入場し、地球の歩き方に乗っているルートのとおりに入場。修復のための足場は外されていて、クレーンも目立たないように折りたたまれていると聞いていたような気がするが、たまたま大々的な調査中のタイミングだったのか、クレーンと足場で正面は覆い隠されていて、そこかしこに軽装の研究者らしき人たちが作業している。改修のために閉館してしまった場合の観光に与える影響を考えると、直しながら公開し続けるしか無いのだろうが、「完成予想図」のようなものがあるわけでもなく、以前の修復活動における間違いがわかったのでそれを正すべく作業しているとの説明もあり、修復作業は長くかかる様子。修復作業も含めて展示するなら、作業道具ももう少し美しくデザインされていればいいのになあと思った(小さな軽い機械群が大きな神殿に接続されている絵はけして悪くない)。メトープの彫刻などの一部は現物がレプリカに置き換えられている作業中らしく、本物は丘から博物館へ次々と移動しているようだ。柱にも差し替えられた部分や喪失してしまった部分にはところどころ色の違う代替物で置き換えられた箇所があり、丘にあるイメージとしてのパルテノンと物質としてのパルテノンは散らばって複数の場所に同時に存在しているような印象を持った。パルテノンの周囲でいろいろな方向から眺めて見たあと、12時過ぎに丘を下る。ふたつの劇場を見てから新アクロポリス博物館へ。レストランで昼食。一階の展示から順番に見始めたが、疲れが出て図書館ラウンジで二時間ほど仮眠したあと残りの展示をみる。パルテノンの各エレメントを順番通りに並べた展示室には、記録が残っていなくレプリカさえも置かれていない場所もあるが、考古学的調査が進むに連れてそうした場所を埋めていく過程も見せているのだろう。一方、レプリカが置かれた多くの場所には現在の所蔵場所を示すBM(British Museum)もしくはLouvreとの記号がネームプレートに恨めしそうに付けられている。エレクティオンの柱は、修復作業のために研究者が調査中だが、仮説のモバイルブースを使って、作業を博物館の展示室の中でやっている。作業の様子はカメラで公開。歩いてホテルに戻りまた少し仮眠したあと、七時過ぎにプラカ地区へ出かける。ケバブの店で晩飯。腹一杯になる。再びおみやげ屋さんを物色しつつ、宿泊先の姉妹ホテルの屋上テラスでアクロポリスの丘の夜景を眺める。宿泊先の屋上テラスと違って遮るものがなく丘が見える。バーでもつくってお金を取ればいいのにと思うが、ホテルの宿泊者であれば持ち込み自由で利用は無料である。少し肌寒くなるまで過ごしたあと、昨日と同じ酒屋に寄ってからホテルに戻り、就寝。
今日も部屋に朝食が運ばれてくる。昨日よりは少し暖かそうなので、コーヒーは外のベランダで海を見ながら飲む。ホテルには昨日よりも客が増えているようだ。チェックアウトをした後バス停まで歩き、バスで空港まで。簡素な空港だが、搭乗に手間取り少し遅れて出発。アテネには少し遅れて到着。地下鉄3番線でシンタグマ駅まで行き、歩いてホテルまで。少し休んだあとトロリーバスで考古学博物館へ。途中、地球の歩き方で近づかないほうがいいと言われているオモニア広場近くを通り過ぎる。空きビルが並び、壁には落書きのあと。窓ガラスは割られ、扉には厳重な鉄の柵。無機質でよく似たデザインの建物がコピーのように立ち並んでいる。考古学博物館のカフェで昼飯を食べたあと、館内を見て回る。昨日から夏の営業時間時間で夜8時まで開いているが、ショップが閉まっていたりとまだオフシーズンらしさも。先史時代から並んでいるので展示は膨大。ガイドブックに書いてあるものを中心に休みつつ見て、壺のコレクション、サントリーニ島の遺跡のコーナー、海に沈んだ船から発掘されたものを集めた企画展はゆっくり見る。バスでアクロポリ駅まで行き、プラカ地区を歩きながらおみやげを物色しつつアクロポリスの丘に近づく。町の中に崖が切り立っているのでそれに沿って徐々に登っていく。途中古代アゴラや、普通の民家を通り過ぎる。丘の入り口まで行ってから引き返し、プラカ地区内で目星をつけておいたレストランで夕食。ホテル近くの酒屋でジュースを買ったあと部屋に戻り屋上テラスでアクロポリスの丘を眺めたあと、就寝。
部屋に朝食が運ばれてくる。食べ物の匂いを嗅ぎつけたのか窓の外にはネコが集まってくる。食後、フィラの街を北まで海を見ながら歩いてみる。新しいシーズンに備えて街ではそこかしこで真っ白いペンキを塗っているところ。ケーブルカー乗り場のそばで一休み。子どもたちの声が聞こえるので近づいていくと、いわゆる観光ゾーンを抜けてしまい、学校の外で地元民と遭遇したので引き返す。郵便局で切手を買って絵葉書を投函してから、アクロティリ行きのバスに乗りレッドビーチへ。サントリーニの南西部を進むルート。学校帰りらしき子どもたちが、途中のバス停で降りて行く。史跡公園に入ったあと、海岸まで歩く。オフシーズンなので、ホテルの前庭で職人が椅子を修理したりしている。イギリス英語を話すバックパッカーの話す言葉を懐かしく聴きながら、再びバスで市内へ戻る。帰りは別ルートだった。サントリーニの南東部のビーチに立ち寄りつつ再びフィラのバス停に戻る。ホテルで一休みしてから、タクシーで夕日が綺麗に見える町イアに向かう。海沿いの道を歩き、途中カフェで一休み。軽食を頼みギリシャのリキュールウゾと白ワインレツィーナを飲む。そのあと夕日が見える展望台まで。ローマ時代の砦の遺構。ギターを引いて歌っているカップルが居る。チップを取るでも無く、日没まで歌い続けていた。日没が近づくと人が集まってきて、アテネからサントリーニの飛行機に乗っていた見覚えのある顔もたくさん。雲ひとつなく、太陽が沈んでいく瞬間が全部見れた。日没と同時にバス乗り場まで早足で戻り、フィラに戻る。夜は知り合いにおすすめされていたもう一つのレストラン、ニコラスへ。いろいろ詰まったイカ焼きがおいしかった。ハウスワインをカラフェで。徒歩でホテルに戻り就寝。
両親と朝食の時間に待ち合わせ。Ten Roomで一緒にイングリッシュブレークファスト。両親の航空券の印刷をレセプションにお願いしホテルまでのタクシーを手配してから、僕と奥さんは先にチェックアウトして地下鉄でパディントン駅へ。僕のスーツケースを預けてからヒースロー・エクスプレスで空港へ。エーゲ航空に乗り、アテネまで。そこから乗り換えて夕方サントリーニ空港に到着。フィラの街まで出る終バスが出てしまっていたので、タクシーに乗りホテルまで。足元が暗い中坂を降りて行くとホテルの灯り。観光シーズンは4月からなので、僕ら以外には宿泊客はもう一組だけ。洞窟ホテルPorto Fira Suites。夕食は地球の歩き方を頼りにママズハウスへ行き、奥さんと白ワインを。静かな町を歩いてホテルに戻り就寝。
朝起きて荷物を預けてから奥さんとWillesden Greenへ。Queeenbury Deliで朝食を食べてから、元大家さんを訪ねる。糖尿病を患ってから気をつけているという大家さんの健康のことや、大家さんが設立した会社のことなどを話す。二年以内の再会を約してから別れ、ホテルに戻って荷物をピックアップし、バスでホテル、The Connaughtへ。両親と待ち合わせ。チェックアウトを助けたあと、一緒にカフェロイヤルにタクシーで移動し、みなでチェックイン。併設のカフェで休みながら部屋が用意されるのを待ち、荷物を部屋へ移動。両親の帰国航空券のチェックインを助けたあと、一緒にV&Aミュージアムへ向かう。ショップでおみやげを物色したあと、カフェで一休み。となりの自然史博物館も訪問。ミュージアムショップと恐竜の展示コーナーを観る。そこからタクシーに乗り、プリムローズヒルのパブ、The Engineerへ。フィッシュアンドチップスやサンデーローストといったパブの定番を食しつつバーのビールをいろいろ試す。V&Aのミュージアムショップで選んだブローチを母の日の贈り物として贈呈。イギリスは母の日が3月の最終日曜日なのである。古くは仏像の鋳造にも使われていたというロストワックス鋳造を使ったジュエリーであるが、鋳型をつくる際にロウで原型をつくるのではなく本物の植物を採集して使用している。鋳型をつくる過程で植物は焼失し繊細な型が残るのだという。作者はMichael Michaudという人らしい。夕食後は少し歩いてカムデンタウンに寄ってからバスでリージェント・ストリートまで戻り、南に下ってホテルに帰る。