ミュンヘンなんて、どこ吹く風

ミュンヘン工科大留学、ロンドンの設計事務所HCLA勤務を経て
群馬で建築設計に携わりつつ、京都で研究に励む日々の記録

The London Plan トリビア

2011-09-26 23:28:51 | ロンドン・hcla


2031年までのロンドンの都市計画戦略を記したレポート、ロンドンプラン。以前書いたように、7月に改訂版が発行された。その表紙をよく見ると…


















あの4人組が公園を横切っている。

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Open Houseでガイドした など

2011-09-18 20:49:47 | ロンドン・hcla
13日
会社終わり、学会のためロンドンに来ている同期の舘くんと夕食。2つの学会に出席する前にロンドン南部の工場で機械アームのワークショップに参加しようと早めにロンドン入りしたらしい。sharisharishariにも来てくれる予定。ロンドン在住の同期みきさんも交えて、奥さんが取材で見つけたイタリアンレストランda Scalzoに行く。ロンドンの有名カフェチェーンの元経営者兄弟が、チェーンを売却した後に原点に帰って始めた小さなギャラリー兼ジャズレストラン。

14日
川島くん夫妻が来hcla。architecture wednesdayに参加してHouseBBなどについて発表してくれる。みな身を乗り出して聞いていた。そのあとサプライズで僕の誕生会を同僚たちが祝ってくれる。終了後、川島くん夫妻と僕ら夫妻でギリシャ料理のレストランVasisへ。途中で石井くんも友達と合流。ロジャースとフォスターの建築についてしばし議論。

15日
セミナー「future wood」に同僚と参加。最近ロンドンに竣工した8階建てCLT造の集合住宅をネタに、関係した設計事務所•構造事務所•施工会社•サブコン•建材メーカー等がCLTの利点について語るというもの。木造軸組ではなくRCのオルタナティブとしてCLTが提示されている点が興味深い。件のプロジェクトでは設計に7週間、コンポーネントの工場生産に10週間、施工に12週間を要したらしい。現場の進捗状況に合わせて生産ラインをコントロールしながら、30回に分けてオーストリアからCLTのパネルが運ばれた。建材メーカーの早い段階からの参加、BIM等による情報の共有が不可欠である。しかし、複雑に絡み合った設計プロセスの中で、リスクに対し誰が責任を負うのかという問題が残る。施工会社はマーケットテストをせずにspecialist design subcontractor(この場合CLTメーカーとそのエンジニアリングをする会社)を選ぶことを嫌うが、robustなデザインなしにマーケットテストのためのtenderはできない、という鶏と卵の問題もある。今回竣工した集合住宅は構造的には完全なるCLT壁式構法であるにも関わらず、外装は住民の強い希望からレンガが積まれている。会場に来ていた消防士からは、火災時に突入する際、外から見て構造がわからないと倒壊リスクを予想しづらいので、新しい構法が採用された際には周知徹底が必要という意見もあった。

会社終わり、広角レンズを購入しようと思い、市内のカメラ屋を回るが、どこも探しているレンズの取り扱いが無いのであきらめる。家に帰りささやかに誕生日を祝う。家族からちょっとホロッとするメールが届く。弟からは誕生日のメッセージが意外な方法で届き、苦笑。でもうれしい。facebookにもメッセージがたくさん。

16日
夜、セントパンクラス駅内のカフェで、川島くん夫妻と合流。彼らのロンドン最後の夜を一緒に過ごす。sharisharishariのメンバーも集合。最後は、修復が完了し新装オープンしたばかりのホテル内のバー、その名もGilbert Scottで締め。

17日

30 Crown Place from HCLA's web site

Open House Weekend 一日目。8時半に現地に集合し最終打ち合わせ。毎時ごとに45分間のガイドツアーを行う。建物の外側を歩き回りながら僕が敷地のコンテクストを説明し、同僚がそれに応答するデザインの説明をし、再び僕がディテールの説明をする。

イズリントン、シティ、ハックニー、タワーハムレットと4つの行政区が境界を接するこの場所で、行政区境界の変更に翻弄されてきたハックニーのこの場所だけがアイデンティティのあるオープンスペースを持てないでいた。この見捨てられたシティのはじっこ(City Fringe)にあらたに人の集まるパブリックスペースをつくろうとCrown Placeが構想され、僕らのディレクターは前事務所時代から行政区とともにそれに関わってきた。30 Crown Placeではその生まれたばかりの歩行者専用空間を拡張し周囲の歴史あるオープンスペースと接続するように地上階の平面が計画された。歴史保存地区と巨大な新興商業エリアの境界に立つことから、建物のボリュームは分棟と勾配屋根で螺旋状にスケールが変化するようになっている。南北に面したヨットの帆のようなファサードは緩やかなカーブで輪郭を和らげ、オフィスフロアの積層であることよりも全体をひとつのまとまりあるボリュームに見せる。etchingやback fritなど異なる仕上げの小さなガラスパネルの集合によるディテールは、内部の機能に応じて適した透明度を与えるとともに、内側で散発的に起こるヒューマンスケールな変化が外側で全体の表情を変え続け、静止することの無いファサードをつくる。

レセプションを抜けて7階の社員食堂まで案内してからテナントである法律事務所の担当者にバトンタッチ。彼らがオフィスの内装と実際彼らがどう使っているのかを説明をしながら15階と16階に案内してくれるので、僕らはそれについていきながら適宜質問に答える。このガラス製エレベーターは007の次回作で撮影に使われるらしいですよ、とかトリビアを交えながら、ツアーは陽気に進む。参加者の多くは熟年の建築ファンか、若い建築家や学生。15階からは、ウェンブリースタジアム、バタシー発電所、エミレーツスタジアム、オリンピックパーク、ドックランズがすべて一望できたりもするので、お得感もある。ツアー定員は10名とOpen Houseのガイドブックには書いておいたのだが、各回の参加者はそれぞれ、11人、19人、9人、10人、8人、7人、25人だった。途中雨が降ったが、最終回は大入り。夜はロンドン赤門学友会の総会だったのだが、体調がすぐれないのでキャンセルして奥さんにだけ行ってもらう。

18日
Open House Weekend 二日目。昨日と同様に朝10時から5時まで一時間ごとにガイドツアー。今日の参加者は、14人、24人、27人、25人、15人、21人、14人。昼過ぎの時点で前日の記録を塗り替え、最終的に計229人の方に参加してもらえた。受付をしていた女の子が、今年回った中でone of the bestだった言ってくれた人たちがいましたよとあとで教えてくれた。数時間順番待ちをしたにも関わらず、現場に建築家が不在だったり、いても最初の数分しゃべってその後は放置、質問にも答えない(答えられない)という物件もなかにはあったりする。下調べをしてきたモチベーション高い若手社員が45分間つきっきりでガイドするという僕らのやり方は親切に思ってもらえたことだろう。同じくOpen Houseに参加しているBroadgate Tower(SOMによる高層建築)に上ったときに目にとまり気になったので探して来ましたというひとが今日は特に多かった。まだAtoZやgoogle mapには認識してもらえていないようだが、Crown Placeの名前はOpen Houseを通じて多少は価値が上がったに違いない。このプロジェクト、僕らはPlanning Applicationとその後のTenderまでを担当したが、施工は大きなコントラクターがDesign&Buildで請け負ったため、実施図面を書いた別の設計事務所(executive architect)が存在する。僕らはデザイン監修としてプロジェクトに残ったためほぼ当初のコンセプトどおりに実現されているものの、施工時に設計変更が必要になり僕らと彼らの間に戦いがあった部分もあることを下調べの段階で僕は知っていた。だから、彼らexecutive architectの側からはツアーガイド人員の申し出がなかったとき、彼らの言い分が聞けないことを残念に思っていた。二日目の最後から二番目の回で、ひとりグループから外れて熱心に写真を撮っている女性がいた。僕は廊下にいてなかなかテラスに出てこないその女性のことが少し気になりながら、テラスでクリーニングクレードルに関する質問に答えていた。僕らは一台の大型クレードルが建物全体の窓を掃除する方式を提案していたが、施工の段階で予算の都合から小さなクレードルを目につく場所に複数台配置する方式に変更された。そのため、テラス側面にそのレールが不自然に露出してしまっている部分があるのだ。人が少なくなってから遅れてテラスに出て来た女性は、僕にカメラを差し出し、テラスの角に立つので写真を撮ってくれませんかと言う。不思議に思いながらカメラを返すと、彼女は「私、この建物の実施図面を書いていたんですよ。もう今は別の会社で働いているんですけど」と。僕らが設計プロセスの中で戦ったと思っていた部分は、どれも彼女の中でも印象に残っているらしかった。その後もひとり遅れて愛おしそうに写真を撮りながら、よいツアーでしたありがとうと言って彼女は帰っていった。
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まとめ

2011-09-12 23:30:40 | ロンドン・hcla
4日 昼過ぎからsharisharishariの会。石井くんのギリシャ紀行を見せてもらった後、コンペ作業。夜は韓国料理店で鍋。

5日 会社が終わったあと、AAでsharisharishariの会。昨日の延長戦。

6日 少し前に送った荷物が届いたと母からメールが届く。春に母がロンドンに来たときに一緒に見た展示の絶版になっていた画集が見つかったので送った。今実家は改築中で、夕食後に工事現場のベランダに椅子を出して、父と涼みながらしばらく過ごすのが日課になっているらしい。もともと自宅の隣の倉庫だった場所を、父が独立したときに事務所に改装し、手狭になって別の場所へ事務所が移転した後にそこは僕と弟の勉強部屋になり、僕らが家を出てからはふたたび倉庫になっていた。祖母の寝室だった部屋と合わせて全体を客間に改装しているらしい。

7日 architecture wednesday。今週はオフィスマネージャーのエマ。彼女に日本語を教えている奥さんも参加。エマは土木を勉強したあとに映画を撮り始めて、映画学校の先生になった後に事務職に転身した異色の経歴の持ち主。film and architectureと題し、彼女の好きな映画とそこに登場する建築をいくつか紹介してくれた。フランク•ロイド•ライトをモデルにしていると言われる『fountainhead』、捉えられたヒロインを救うために主人公がライト風の住宅(実物大のセット)に侵入する『north by northwest』、現在では撮影が禁止されているダコタホテルを舞台にした『 rosemary's baby』、Charles U. Deatonのsculptured houseが登場する『sleepers』、デヴィッド•リンチの自邸で撮影された『lost highway』。。。シーンの選び方が絶妙で、一時停止されて次の話題に移るたびに映像に引き込まれてしまっていた僕らからはため息。最後はウディ•アレンの『マンハッタン』の冒頭、小説家が書き出しの一章を推敲する様子にかぶせて白黒で映し出されるマンハッタンの風景で終了。

8日 悪寒と頭痛。季節の変わり目で、会社でも声が枯れている人が数人いる。

9日 帰宅後、水曜日にエマから借りたDVDのうちウディ•アレンの『マンハッタン』を観て寝る。

10日 昼前まで睡眠。急に気温が低くなったせいか最近朝起きられない。昼過ぎから奥さんとエビイ(元大家さん)の家(僕がずっと住んでた家)に遊びにいく。ロンドンでライター&フォトグラファーを始めた奥さんが取材先で買ってきた犬用のおやつをおみやげに。久しぶりに訪れたWillesden Greenは駅前が少しきれいになっていて、清潔そうなカフェもできたりして少し印象が変わった。前回訪れたときは気に入らない賃借人を追い出したばかりで、そのあと「老犬ロリとふたりで年老いていくだけです。。。」と寂しいメールが来たりしたのだが、エビイは今は新しい住人とうまくいっているようだった。ロリーと遊びながら、夕方まで話す。帰宅後、奥さんが取材で使えるように名刺をつくってあげる。ノートみたいな名刺とのリクエストだったので、もらったひとがミーティングの日付や用件を書き残せるようなデザインにした。そのあとは就寝までコンペで配布されている資料の確認。

11日 昼前まで睡眠。起きてからはコンペのブリーフを改めて読む。今日で一案に絞ろうと思っているので、要求されていることを今一度確認。昼過ぎからsharisharishariの会。先週の話し合い、そのあとの延長戦を経て、メンバーそれぞれが案をつくってきてくれた。ヘルシンキとSkypeでつないでそれぞれを詳しく説明してもらってから、より包括的な一案にしぼる。他のアイデアはより適した別のコンペを見つけたい。そのあと提出物の絵を描く分担。5時に川島くん夫婦が遊びにくる。僕らがsharisharishariでやっていることを少し説明してから、Vapianoで夕食。そのあとCanaby Streetのパブに移動してしばらく話す。彼が持ってきてくれた新建築が久しぶりすぎて、薄暗いなか隅々まで読んでしまった。最後はなぜか建築しりとりをみんなでしてから解散。

12日 朝、父からメール。沼田のコンペ落選の報。二次審査進出者の中には難波研でお世話になった山代さんのほか、富岡駅のときに選ばれていた人の名前も見受けられる。父とは5月から3つやったけど、3連敗か。今回も父は公開審査に行ってくれるそうなので、報告を待とう。帰宅途中、冬に参加予定の展示会の企画書案が堀田くんから届く。かっこいい。うまくいくように頑張らねば。ところでもうすぐ誕生日。広角レンズに散財しようかと検討中。
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今週のまとめ

2011-09-03 23:14:48 | ロンドン・hcla
24日
architecture wednesday。今週は、今年のオープンハウスで公開されるHCLA設計のオフィスビルに関する、ディレクターのレクチャー。周囲のコンテクストによって不定形に抉られたペリメーターのスペースをオフィスフロアのコンサルタントは必要ないといったが、竣工後にはその眺望を求めて誰もがまず脚を向ける一角になった。コントラクターがつくるのを嫌がったファサードのパーツも、それを削除しなかったことでコストが増えたわけではない。無駄と言われた部分も、それによって実際的に不利益が生じているわけではなかった。施工のプロセスのなかでコントラクターと戦った部分が、ささいな事柄であっても竣工後に無視できない効果を生んでいる。よいデザインも悪いデザインも施工コストは変わらないのだ…。堅物のディレクターをこの自由参加の勉強会に巻き込めたことでホールデンもオフィス内の変化を実感できたようだ。夜、堀田くん竹山くんと落ち合って食事。父とやっているコンペにも示唆をもらう。

25日
週の初めから会社に日本人のインターンが来ている。聞けば、まだ建築を勉強し始めてもいない高校生であると言う。長くこちらに住んでいるので日本語よりも英語のほうが得意らしく、日本人同士なのに英語で話をすることに。実際の仕事はあまりやらせてあげられなかったが、この数日間会社のひとと話をしているうちに、大学では建築を勉強しようと決意できた様子。

26日
最近急激に会社に新人が増えてきたので、ディレクターの要請を受けてランチタイムを使って彼らにオフィス内の決まり事についての「レクチャー」をする。これが新人研修というものか…。

27日
終日、父とやっているコンペ作業。A2ボードの最初のドラフトを送信。

28日
午前中は父とやっているコンペ作業。午後からsharisharishariの会。ヘルシンキにいる友人ともSkypeがつながり、生産的なセッションとなる。夜は、我が家で鍋。結婚祝いで食器をたくさんいただいていて使い切れるか不安だったが、こうやって仲間を呼んだときに使えるのはうれしい。

29日
レイトサマーバンクホリデー。イギリスではこれがクリスマス前最後の祝日。父とやっている沼田のコンペ作業。5月以降これまで三回父とやったが、締め切りが不思議とこちらの祝日と重なって都合が良い。夕方少し買い物に出て気分転換。奥さんに手伝ってもらいながらボード製作。明け方父に送信。

30日
朝と昼休みにかけて日本にいる父とやり取り。帰宅後、レンダリングの作業続行。夜半過ぎに日本にデータ送信。無事に印刷に回ったことを確認し睡眠。

31日
早めに会社を出て、ディレクター、同僚と三人でブロードゲート近くのオフィスビルへ。9月17日18日に行われるオープンハウスのガイドツアーのリハーサル。これを踏まえて同僚とツアーのストーリーボードをつくって準備するつもり。楽しみ。

1日
仲良かった元同僚が会社にやってくる。不定期だけど今後ときどきロンドンに出張してくるようなので楽しみだ。昼食を一緒に食べながら近況報告。

2日
夜、『君に届け』の実写映画版を観る。原作の漫画は日本にいるときに奥さんに貸してもらって読んだ。編集も音楽も展開も抑揚が無く、無味乾燥な映画だった。漫画的表現が漂白されるとこうなるの?

3日
昼過ぎまで寝る。昼食は奥さんとSOHOでうどん。徒波書房(ロンドンの和書古本屋)でベイトソンの『精神と自然』を買う。同著者の『自然の生態学』が読みたいと思っていたら偶然見つけた。ハマースミスに移動し、テムズ川沿いの遊歩道を歩く。途中ロジャース事務所(現在はRogers Stirk Harbour + Partners)を見つける。遊歩道から机の上丸見えなのでしばらく観察。机が広い。パソコンの画面が小さい。トレペのスケッチがたくさんある。国外のプロジェクトが多い。レゴブロックでできたポンピドゥーセンターの模型も見える。オフィスに隣接して模型工房らしきものもあった。駅に戻って夕食にサンドウィッチを食べた後、Riverside Studiosで鴻上尚史脚本の『ハルシオンデイズ』の公演を観る。キャストはイギリス人だけど、舞台設定も役名も日本。様々な死ぬ理由のある3人が自殺サイトを介して出会い、数日の共同生活を経て、これからも生きていくであろう3人の今後が示唆されて終わる。こちらの週刊誌で鴻上尚史と対談していた彼の旧友も客席の一番後ろで見ていた。

以下追記で感想。

登場人物のひとりであるハローキティは、自分がつくった借金の取り立てから妻と子を守るために死ぬという、3人のなかで唯一明確で論理的な「死ぬ」理由を持っている。彼は自分以外の人には「生きて」ほしいから死にたいのだ。だから、邪魔が入るたびに自殺を続行しようと躍起になる彼が、集団自殺をあきらめた最後の場面でひとり死のうとするハルコに、死ぬ理由より生きる理由を語る役回りになるのは納得できる。図らずもそれぞれが死ぬ理由を告白するきっかけとなる劇中劇『泣いた赤鬼』の青鬼の行動の説明に関する3人の議論も、ハローキティが解釈するところの「ただ青鬼は赤鬼が好きだったから」というそれが一番本来の青鬼の思考に近いだろう。ホモセクシュアルという属性でにごされているが、彼だけが唯一正常な人物なのだ。一方、マサが主張するところの「青鬼は死ぬことを決めていたから、善行をすることで最後に自分が生きた理由を示したかった」というのはマサの行動そのもので、自殺サイトで他人の自殺の幇助をすることも、自分は爆撃から近所の幼稚園を守る人間の盾であるという妄想に取り付かれるのも、自分の生きる価値を見つけることに執着する心の現れである。マーケットリサーチャーである彼が他人の求めるものを知ろうと思い詰めて日々生活しているのも、自殺するために集まった二人に自らジュースを買いに行って過剰にもてなそうとするのも、別人格が書き込んだ自殺者募集に反応してきた2人に記憶が戻った後でも誠心誠意返信してしまうのも、自分の存在価値への不安の現れなわけだ(だからヒロイックな死に方以外では彼は死にたくない)。一方、ハルコは「青鬼はかつて緑鬼にまったく同じことをしてもらったから、同じことを赤鬼に返したのだ」と架空の緑鬼を出してまで青鬼と赤鬼の関係を無視したドライなgive&take説を主張する。カウンセラーである彼女は自分が死なせてしまった(と思い込んでいる)かつての患者の少年への罪の意識から、彼の幻影に取り付かれている。彼女は自殺サイトにアクセスし知り合った自殺者を思いとどまらせることが少年への報いだと信じているが(だから始めから自分は死ぬつもりは無い)、逆に終盤で幻影によって殺されそうになる(自殺しようとする)。これは彼女が少年の死の理由がわからず同じ死を持って報いるしか無いと思いこんでいたからだが(少年は、カウンセラーでありながら彼の情緒に関心を持てない彼女に失望して自殺したのであるが)、前述のハローキティによって自殺は阻止され少年の幻影も消えるのである。ハローキティ含め、3人の自殺の理由が完全に消えるわけではないのだが、最後にそれでも3人は生きていくのだろうと思えるのは、最も死ぬ理由が明確であるはずのハローキティ自身が自殺をはっきりと否定するからである。赤鬼(彼の家族)にとって人間と仲良くなること(借金の心配のない生活をすること)よりも青鬼を失うこと(彼の死)のほうがずっと重いことを彼は知っている。今回も含めてすでに3度失敗しているように、それが今後も彼を最後に思いとどまらせるのだろう。

すごくよくできていて、いろいろと腑に落ちる物語ではあるけど、劇中劇として出てくる『泣いた赤鬼』ほどには普遍的な物語ではないと思う。登場人物たちのおかれた状況とそのなかにおける人間模様のリアリティある特殊解に納得するタイプのよくできた演劇だ。役名も舞台設定も日本のままだったが、イギリス向けにもっとアレンジされていてもよかったのかもしれない。


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