「君は、自分の建物の重量を知っているかい?」
これは、イギリスのハイテック建築家ノーマン・フォスターが、後に彼の代表作となるセインズベリーセンターの現場を訪れた際に、同行したバックミンスター・フラーから質問されたとされる問いです。
僕は大学院で鈴木博之研究室に所属し、近代建築史を専攻しています。
最近の興味はハイテックとその“軽さ”についてです。部材質量あたりの性能を高めて軽量な構造を目指すハイテックの思想は、現代におけるサステイナブルデザインのエネルギー志向でアクティブな一翼を担っています。修士論文では19世紀イギリスの鉄骨造建築のディテールを調べてみようと思っています。そもそもハイテックはいかにして生まれたのか、その源流を探ろうと思ったのです。装飾材としての鋳物からスタートした鉄が、その本来の“軽さ”を手に入れるまでの変遷史。
今年の春まで留学していたミュンヘン工科大学では、イギリス人建築家リチャード・ホールデンの指導を受けました。彼はフォスター事務所出身で、極小建築や局地建築を得意とするハイテック建築家です。資源もエネルギーも限られた状況で建築はどうあるべきか。“軽く”あるべきである。冒頭のフラーの質問に答えたのも当時セインズベリーを担当していた彼だとされています。
彼は僕ら学生をカヤックの工場やパラグライダーの格納庫に連れて行きスケッチをさせました。それら“軽い”構造体において支配的なのは、地面に向かい一方向に働く重力ではありません。浮力や上昇気流など、より微細で複雑な力に対して設計された繊細なディテールが要求されます。
第一次世界大戦時、戦闘機はすべて木製だったそうです。当時、木は単位質量あたりの強度が最強だったのです。第二次世界大戦時でも、イギリスの主力戦闘機は木製でした。安価で軽量な合金が開発される前の時代の話です。「単位質量あたりの強度」とは、比重、引張り強さ、ヤング率(しなりやすさ)、比強度(剛性)、耐候性などから評価されます。それらとコストとのバランスによって材料は選択されるわけです。カヤックの歴史をたどると初めはやはり木製で、アルミニウム、カーボンと進化してきました。
しかし建築が構造的に進化し“軽さ”を手に入れるにつれて、それまでの重厚な建築がもっていた躯体の熱容量や防音性は失われ、シェルターとしてのその環境的な「頼りがい」は失われていきました。それが今に続く機械設備史誕生のきっかけだったと言ったのが、『環境としての建築』の歴史家レイナー・バンハムでした。バンハムはその著書の終章で、アーキグラムの言葉を引用してこう予見します。
「アーキグラム8の中には建物は一切ないかもしれない…」(『アーキグラム7』)
機械と建築はボーダレスになり、環境化した“軽い”建築は空気のように人間を取り巻く、のか…?
フラーの質問に対しホールデンは正確な数値を計算して応え、最後にこう付け加えました。「ゆえに、単位容積あたりの重量は、ボーイング747型機よりもずっと軽いと言えます」ボーイング747は当時最新鋭の超大型旅客機。フラーはそれを聞いて大変満足したとのことです。
“軽い”建築を考えること。それは建築を成り立たせている仕組みや技術に意識的になること。
「君は、自分の建物の重量を知っているかい?」
※おとといの投稿で話題に上ったので再録してみた。(初出:2006年6月8日)
これは、イギリスのハイテック建築家ノーマン・フォスターが、後に彼の代表作となるセインズベリーセンターの現場を訪れた際に、同行したバックミンスター・フラーから質問されたとされる問いです。
僕は大学院で鈴木博之研究室に所属し、近代建築史を専攻しています。
最近の興味はハイテックとその“軽さ”についてです。部材質量あたりの性能を高めて軽量な構造を目指すハイテックの思想は、現代におけるサステイナブルデザインのエネルギー志向でアクティブな一翼を担っています。修士論文では19世紀イギリスの鉄骨造建築のディテールを調べてみようと思っています。そもそもハイテックはいかにして生まれたのか、その源流を探ろうと思ったのです。装飾材としての鋳物からスタートした鉄が、その本来の“軽さ”を手に入れるまでの変遷史。
今年の春まで留学していたミュンヘン工科大学では、イギリス人建築家リチャード・ホールデンの指導を受けました。彼はフォスター事務所出身で、極小建築や局地建築を得意とするハイテック建築家です。資源もエネルギーも限られた状況で建築はどうあるべきか。“軽く”あるべきである。冒頭のフラーの質問に答えたのも当時セインズベリーを担当していた彼だとされています。
彼は僕ら学生をカヤックの工場やパラグライダーの格納庫に連れて行きスケッチをさせました。それら“軽い”構造体において支配的なのは、地面に向かい一方向に働く重力ではありません。浮力や上昇気流など、より微細で複雑な力に対して設計された繊細なディテールが要求されます。
第一次世界大戦時、戦闘機はすべて木製だったそうです。当時、木は単位質量あたりの強度が最強だったのです。第二次世界大戦時でも、イギリスの主力戦闘機は木製でした。安価で軽量な合金が開発される前の時代の話です。「単位質量あたりの強度」とは、比重、引張り強さ、ヤング率(しなりやすさ)、比強度(剛性)、耐候性などから評価されます。それらとコストとのバランスによって材料は選択されるわけです。カヤックの歴史をたどると初めはやはり木製で、アルミニウム、カーボンと進化してきました。
しかし建築が構造的に進化し“軽さ”を手に入れるにつれて、それまでの重厚な建築がもっていた躯体の熱容量や防音性は失われ、シェルターとしてのその環境的な「頼りがい」は失われていきました。それが今に続く機械設備史誕生のきっかけだったと言ったのが、『環境としての建築』の歴史家レイナー・バンハムでした。バンハムはその著書の終章で、アーキグラムの言葉を引用してこう予見します。
「アーキグラム8の中には建物は一切ないかもしれない…」(『アーキグラム7』)
機械と建築はボーダレスになり、環境化した“軽い”建築は空気のように人間を取り巻く、のか…?
フラーの質問に対しホールデンは正確な数値を計算して応え、最後にこう付け加えました。「ゆえに、単位容積あたりの重量は、ボーイング747型機よりもずっと軽いと言えます」ボーイング747は当時最新鋭の超大型旅客機。フラーはそれを聞いて大変満足したとのことです。
“軽い”建築を考えること。それは建築を成り立たせている仕組みや技術に意識的になること。
「君は、自分の建物の重量を知っているかい?」
※おとといの投稿で話題に上ったので再録してみた。(初出:2006年6月8日)
それどころか,社会に直接つながる,いわゆる「正しい建築のあり方」にもあまり興味がもてません.
数日前の12年前,震災が間接的か直接的か分からないけれど少なからずあった影響として,時代に正しい建築は実はほとんど正しくないのではないか,という懐疑が拭い捨てきれないからです.
「“軽い”建築を考えること。それは建築を成り立たせている仕組みや技術に意識的になること。」
これ、かなり共感します。構造と意匠を融合する総合的視野や、新技術、ディテール、構法など、抽象的な設計教育で欠けがちな部分を考えるきっかけとして、軽量構造は確かに適していると思います。軽量構造は、それらがいいかげんだと「もたない」からね。
ま、"軽い"/"重い"はどちらがいいとは一概にいえないでしょう。設計時のパラメータのひとつくらい、と僕は気楽に考えています。こだわると、ホールデンのようになるのだろうね。最近は、むしろ重い建築が流行っているように思います。
そして、軽い/重い、両方ともサステナブルに繋がりうると思います。「軽い」は、材料レベルに戻されて、また別のカタチを形成していくことで、「重い」はそのカタチを堅固に維持することで。
ILEKの活動を横目で見ていると、「軽さ」という一つの問いを突き詰めて考えられる世界全体に価値を見ているのだろうなという気がします。多少disadvantageに目をつぶりながらも、最後まで突き進んで組み上げた世界観はこんなに豊かなんだと思わせる何かがあります。そうしてできた世界観は正しさに聞き違えることがあったとしても、正しいかどうか、とは実は別の問題ではないでしょうか?
こういう意味で、「軽さ」というテーマだけについてリアリスティックに訴追するのはなんか違う気がしています。
みなさん、自分の興味・研究と近づけて話してくれるのでとても面白かったです。
軽さというのは、逆説的ですが、重量があって初めて実感されるものなのです。ゼロではないのです。あくまでも歩き出す一歩目、視点の問題です。軽さについて意識することはひとつのきっかけなのです。領域横断的に建築のいろいろな側面に口を出せる便利な概念です。もちろん建築にはいろんなアプローチがあります。僕はそのなかから「軽さ」という見方をまずは選んでみることにしたのです。