今晩泊まらせていただいている染め物やさんでスイカをご馳走になりました。気付けばこの夏初めて食べたスイカでした。明日は早く起きて、能舞台に行く前に、西本願寺を観に行こうと思います。おやすみなさい。
今は夜行バスの中。すでに消灯している。
京都に行ってきます。明日展示の様子を見てから夕方に模型を回収搬送し、明後日は能舞台で公開プレゼンを傍聴。合間に一ヶ所くらいは寺院観光できるかな?前々回の京都行きの際にお世話になった染め物職人さんにも挨拶にいきたい。明後日の夜行バスでまた東京に戻ります。今回は四列シートの安いバスにしたんだけど、すいてるからむしろゆったり座れました。
京都に行ってきます。明日展示の様子を見てから夕方に模型を回収搬送し、明後日は能舞台で公開プレゼンを傍聴。合間に一ヶ所くらいは寺院観光できるかな?前々回の京都行きの際にお世話になった染め物職人さんにも挨拶にいきたい。明後日の夜行バスでまた東京に戻ります。今回は四列シートの安いバスにしたんだけど、すいてるからむしろゆったり座れました。
昼前起床。本郷通りで昼飯を食べてから東京駅へ模型運搬の際に使用した台車を引き取りに行く。駅におけるエレベーターの位置や通路の寸法を意識しながらガラガラ台車を押して大学へ戻り、材料研の地下実験室に返却してミッション終了。
居候さんはじめ我が家を訪れる人たちに少しでも快適な居住環境を提供すべく、夕方からは部屋の掃除をすることに。買ってきたファイルに書類の山を整理する。棚の埃を払い、床をモップ掛けする。たまっていた洗物を片付ける。床やテーブルの上に散らばっていたものがだいぶすっきりした。僕の部屋って結構広いじゃん。
先月の修論テーマ発表会でいただいたアドバイスに従い、先週、建築学科の図書室でRIBA王立英国建築家協会の会報を閲覧させてもらった。我らが図書室の書庫には一番古いもので1853年のものからストックされている。クリスタルパレスができたのが1851年で、パディントン駅ができるのが1854年。その中間である1853年の号に、フランスで開発された新しい鋼製床工法についてのレポートが記載されているのを見つけた。第一報は報告で、二報以降はそれを踏まえての討論会の議事録のようだ。報告者はブルネルとなっていたので思わず胸が高鳴ったが、残念ながらパディントン駅の設計者であるブルネルとはファーストネームが違っていた。図面もちょろっと載ってはいるものの、正直コピーしただけでうんざりしたほどの長文なので、まだ読み始めたばかり。まずは感覚をつかむためにさっと読んでみようと思う。当時のイギリスがライバルの新技術をどう評価していたのか。それはその後のイギリスにおける鉄骨造建築に影響を与えたのか。多少わかるかもしれない。さしあたっては、こうしてRIBAの19世紀の号を洗って行くとして、太田さんらとまた九月にやろうとしている読書会とも絡められたら楽なんだけどなあ。
居候さんはじめ我が家を訪れる人たちに少しでも快適な居住環境を提供すべく、夕方からは部屋の掃除をすることに。買ってきたファイルに書類の山を整理する。棚の埃を払い、床をモップ掛けする。たまっていた洗物を片付ける。床やテーブルの上に散らばっていたものがだいぶすっきりした。僕の部屋って結構広いじゃん。
先月の修論テーマ発表会でいただいたアドバイスに従い、先週、建築学科の図書室でRIBA王立英国建築家協会の会報を閲覧させてもらった。我らが図書室の書庫には一番古いもので1853年のものからストックされている。クリスタルパレスができたのが1851年で、パディントン駅ができるのが1854年。その中間である1853年の号に、フランスで開発された新しい鋼製床工法についてのレポートが記載されているのを見つけた。第一報は報告で、二報以降はそれを踏まえての討論会の議事録のようだ。報告者はブルネルとなっていたので思わず胸が高鳴ったが、残念ながらパディントン駅の設計者であるブルネルとはファーストネームが違っていた。図面もちょろっと載ってはいるものの、正直コピーしただけでうんざりしたほどの長文なので、まだ読み始めたばかり。まずは感覚をつかむためにさっと読んでみようと思う。当時のイギリスがライバルの新技術をどう評価していたのか。それはその後のイギリスにおける鉄骨造建築に影響を与えたのか。多少わかるかもしれない。さしあたっては、こうしてRIBAの19世紀の号を洗って行くとして、太田さんらとまた九月にやろうとしている読書会とも絡められたら楽なんだけどなあ。
朝方目が覚めるも、シャワーを浴びてからまた寝てしまう。気がつくと午後二時。
夕方からかわしまくんと院生室の掃除。二ヶ月間のコンペ生活ですっかり物が増えてしまった。いらないものを捨て、模型を安全な場所に避難し、共用机の周りに掃除機をかけ、いっぱいになっていたゴミ袋を捨てに行く。最後に環境系にかかっていた僕の名札を歴史系に戻して終了、解散。歴史系のこみやまに戻ります。
夜は久しぶりのおでかけ。渋谷のネパール料理屋でカレーを食べて、ユーロスペースに映画を観にいく。アニメーター山村浩二の新作『年をとった鰐』。海外の短編アニメーションも併映されていてお得。本編は愛に関する寓話。主人公の鰐は毎晩「やさしいタコを想う気持ちと、タコの腿肉がかきたてる愛情」に悩まされた末、九夜かけて結局タコをすべて食べてしまう。タコは数が数えられなくて、最初から最後まで自分の足は12本あると思っている。鰐は数を1までしか数えられなくて、足が最後の1本になってしまうまで気がつかない。それが最後の1本だと気づいた夜から「最後の夜」にかけての一日半が、思い返すほど、「怖い」。話し相手がいなくて退屈だ、ということ以外に精神的ダメージを受けない鰐の無邪気さが、これは単純に人間に置き換えられる話ではないと思わせて多少は救いであるが。
24日
昼すぎまで爆睡。夕方からかわしまくんと事務局からの電話を待つ。そわそわと何も手につかないまま時間は過ぎ、八時を回った時点でこの夏の二ヶ月間が走馬灯のように頭の中をめぐりだした。これ以上待っても仕方がないということになり解散。僕は彼女と池袋のラジオホールで飲みながら、いさめなぐさめられる。祝勝会のはずが反省会に。家族からも心配のメールや電話をもらう。父からは手厳しくもやさしい一言。夜中、かわしまくんから電話。コンペの落選を二人で確認しあう。
25日
朝、大学へいくも仕事が手につかず、院生室にあった『勝手に改蔵』を一冊読み終えたところでふと我に返る。京都に滞在しているまるやまくんから電話で展示会場の報告が入る。約200組の参加者のうち、僕らは展示されている「61選」には入れたらしい。まるやまくんの分析では、構造的な新しさと京都らしい意匠を併せ持った提案が勝ち残ったのではないかとのこと。未確認情報ではあるが、僕らを推してくれた審査員の方もいたらしい。五月の終わりにパソコンが故障してからずっと先延ばしにしてきたのだけど、気分転換がてら秋葉原のsofmapに新しいパソコンを買いにいくことに。中古商品売り場でじっくり物色した後、店員を捕まえて交渉し、狙っていた機種を納得できる値段で購入する。大学に戻ってプレゼンボードの準備をしてから、夕方からビッグサイトのジャパン建材フェアへ。DECoでつくったテーブルが、合板メーカーのブースに展示されているのだ。そこにプレゼンボードとチラシを置かせてもらう。農学部のあんどうせんせいもいらしていたので、かわしまくんとコンペの結果を報告。模型写真を見てもらったところ、11月に行われる木材のフェアにその模型を出展させていただけることになった。帰りがけに隣のGDP2006の会場も覗く。建築セクションのプレゼンは残念ながら終了した後だった。
最近、寝言の多さをよく指摘される。「そこのファサードが…」は職業病として、「そんな仕事はヘルパーに任せればいいじゃん」「まあ、別にいいんだけどさ」みたいな感じでふと気がつくとよくしゃべっているそうだ。聞き込みで確認したかぎりでは、僕の寝言って普段の口癖が出てるだけっぽいのだけど、困ったもんだ。
夕方からかわしまくんと院生室の掃除。二ヶ月間のコンペ生活ですっかり物が増えてしまった。いらないものを捨て、模型を安全な場所に避難し、共用机の周りに掃除機をかけ、いっぱいになっていたゴミ袋を捨てに行く。最後に環境系にかかっていた僕の名札を歴史系に戻して終了、解散。歴史系のこみやまに戻ります。
夜は久しぶりのおでかけ。渋谷のネパール料理屋でカレーを食べて、ユーロスペースに映画を観にいく。アニメーター山村浩二の新作『年をとった鰐』。海外の短編アニメーションも併映されていてお得。本編は愛に関する寓話。主人公の鰐は毎晩「やさしいタコを想う気持ちと、タコの腿肉がかきたてる愛情」に悩まされた末、九夜かけて結局タコをすべて食べてしまう。タコは数が数えられなくて、最初から最後まで自分の足は12本あると思っている。鰐は数を1までしか数えられなくて、足が最後の1本になってしまうまで気がつかない。それが最後の1本だと気づいた夜から「最後の夜」にかけての一日半が、思い返すほど、「怖い」。話し相手がいなくて退屈だ、ということ以外に精神的ダメージを受けない鰐の無邪気さが、これは単純に人間に置き換えられる話ではないと思わせて多少は救いであるが。
24日
昼すぎまで爆睡。夕方からかわしまくんと事務局からの電話を待つ。そわそわと何も手につかないまま時間は過ぎ、八時を回った時点でこの夏の二ヶ月間が走馬灯のように頭の中をめぐりだした。これ以上待っても仕方がないということになり解散。僕は彼女と池袋のラジオホールで飲みながら、いさめなぐさめられる。祝勝会のはずが反省会に。家族からも心配のメールや電話をもらう。父からは手厳しくもやさしい一言。夜中、かわしまくんから電話。コンペの落選を二人で確認しあう。
25日
朝、大学へいくも仕事が手につかず、院生室にあった『勝手に改蔵』を一冊読み終えたところでふと我に返る。京都に滞在しているまるやまくんから電話で展示会場の報告が入る。約200組の参加者のうち、僕らは展示されている「61選」には入れたらしい。まるやまくんの分析では、構造的な新しさと京都らしい意匠を併せ持った提案が勝ち残ったのではないかとのこと。未確認情報ではあるが、僕らを推してくれた審査員の方もいたらしい。五月の終わりにパソコンが故障してからずっと先延ばしにしてきたのだけど、気分転換がてら秋葉原のsofmapに新しいパソコンを買いにいくことに。中古商品売り場でじっくり物色した後、店員を捕まえて交渉し、狙っていた機種を納得できる値段で購入する。大学に戻ってプレゼンボードの準備をしてから、夕方からビッグサイトのジャパン建材フェアへ。DECoでつくったテーブルが、合板メーカーのブースに展示されているのだ。そこにプレゼンボードとチラシを置かせてもらう。農学部のあんどうせんせいもいらしていたので、かわしまくんとコンペの結果を報告。模型写真を見てもらったところ、11月に行われる木材のフェアにその模型を出展させていただけることになった。帰りがけに隣のGDP2006の会場も覗く。建築セクションのプレゼンは残念ながら終了した後だった。
最近、寝言の多さをよく指摘される。「そこのファサードが…」は職業病として、「そんな仕事はヘルパーに任せればいいじゃん」「まあ、別にいいんだけどさ」みたいな感じでふと気がつくとよくしゃべっているそうだ。聞き込みで確認したかぎりでは、僕の寝言って普段の口癖が出てるだけっぽいのだけど、困ったもんだ。
木の歩道橋コンペ、模型と図面を提出しに京都まで行ってきました。こんなに提出自体が困難だったコンペは初めて。帰りは夜行バスで安くすます予定だったのですが、疲れ果ててしまって新幹線でさっと帰ってきました。明日一日かけて審査員による審査会があります。一次二次審査を通って30日の公開プレゼンに進んだ場合、明日中に電話連絡があるみたいです。審査会が五時までらしいのでそのあとかな。
また、25日から29日まで京都市中京区の千穂ギャラリーで僕らの作品を含めた参加作品の展覧会があります。人気投票もあるみたいなので、近くにお立寄りの際はのぞいてみてください。
「木の歩道橋デザインコンペ」作品展覧会(デザイン設計部門)
会場 千穂ギャラリー
三条通り烏丸西入御倉町80番地
会期 8月25日~29日の10:00~18:00
また、25日から29日まで京都市中京区の千穂ギャラリーで僕らの作品を含めた参加作品の展覧会があります。人気投票もあるみたいなので、近くにお立寄りの際はのぞいてみてください。
「木の歩道橋デザインコンペ」作品展覧会(デザイン設計部門)
会場 千穂ギャラリー
三条通り烏丸西入御倉町80番地
会期 8月25日~29日の10:00~18:00
http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=japansoccer&a=20060815-nks-spo
先日の代表落選とのダブルショックだよ…。行ってほしくない。よりにもよって、ジャパンマネー目当てで露骨にヤナギを飼い殺したあんなチームなんかに。
先日の代表落選とのダブルショックだよ…。行ってほしくない。よりにもよって、ジャパンマネー目当てで露骨にヤナギを飼い殺したあんなチームなんかに。
相変わらず毎日コンペの模型をつくっています。「忙しくてもぜひみにいってくださいな。こみやまに強制的に休息をとらせる意図もふくまれていたりするので」と友達からもらった映画のチケット。まだしばらくは使えそうにありません。
七時起床。七時半、大学の作業場へ。ひきつづき歩道橋コンペの模型製作。ときどき訪れる睡魔と戦いながら、蒸し暑い陽気に抗いながら。学食で食べる昼飯が妙においしい。午後からは後輩が二人来てくれて四人で作業。留学の話や、最近のついてなかった話などをする。十一時過ぎには再び僕ら二人だけに。決められた基本ルールに従いながら、かわしまくんは枝を、僕は葉っぱを組み立てていく。今夜の話題は都市伝説について。一時半過ぎ、解散。
「講評室を解放せよ」来週から院試準備で使用するため、今作業場に使っている部屋は来週頭までに撤去しなければならない。模型のデッドラインが自ずと決定。
「講評室を解放せよ」来週から院試準備で使用するため、今作業場に使っている部屋は来週頭までに撤去しなければならない。模型のデッドラインが自ずと決定。
便り無いのは良い便り、とも言い切れない今日この頃ですが、ブログが更新されない間も日々助け助けられながら僕は生きています。7月いっぱいで終えるはずだった「木の歩道橋コンペ」は、結局締め切りいっぱいまでやり続けることとなり、さまざまな人たちの理解と協力を得ながら、学内の某所で巨大な模型を建造中。その周りで作業している僕らは、マンモスどころか、さながら街を徘徊するゴジラになったようで…(スケール的にもぴったり)。そういえば平成ゴジラシリーズで京都が舞台の回があって、京都タワーを破壊したゴジラが清水寺はあっさり素通りしてたっけ。8月23日、引越し便を使って京都のギャラリーまでこの模型を持参する予定。一時審査を突破して公開講評会まで残れれば、なんと能舞台でプレゼンテーションできるのだ!!!審査委員長のあの人をトランク一つだけで浪漫飛行させてやるぜ。
23日 朝十時、大学へ。歩道橋コンペの模型制作。翌朝八時、就寝。
24日 朝十時、大学へ。歩道橋コンペの模型制作。四時半、就寝。
25日 朝十時、大学へ。歩道橋コンペの模型制作。二時半、就寝。
26日 朝十時、大学へ。歩道橋コンペの模型制作。なかなか終わりません。
忙しい時間の合間を縫って手伝いにきてくれる人たち、どうもありがとう。
でもまだまだメンバーが足りないのです。
おととい携帯電話のメール機能だけがなぜか突然壊れてしまい、ドコモショップに駆け込んだら修理工場送りにされてしまった。同じ型の代替機を渡されて今はそれを使っている。湿気で基盤が腐食してしまったのかもしれないとのこと。受信メールも送信メールも、すべて消去されてしまっていた。保護していたものも含めて。メールの機能を奪われてしまった携帯電話というのは随分と静かなものですね。
24日 朝十時、大学へ。歩道橋コンペの模型制作。四時半、就寝。
25日 朝十時、大学へ。歩道橋コンペの模型制作。二時半、就寝。
26日 朝十時、大学へ。歩道橋コンペの模型制作。なかなか終わりません。
忙しい時間の合間を縫って手伝いにきてくれる人たち、どうもありがとう。
でもまだまだメンバーが足りないのです。
おととい携帯電話のメール機能だけがなぜか突然壊れてしまい、ドコモショップに駆け込んだら修理工場送りにされてしまった。同じ型の代替機を渡されて今はそれを使っている。湿気で基盤が腐食してしまったのかもしれないとのこと。受信メールも送信メールも、すべて消去されてしまっていた。保護していたものも含めて。メールの機能を奪われてしまった携帯電話というのは随分と静かなものですね。