20日
朝、「設備とデザイン」原稿班のメンバーに後事を託して成田空港へ。アエロフロート航空で日本を発つ。モスクワで乗り換えて足掛け17時間ちょい、ミュンヘン空港に到着。Sバーンで一路フェルゼンネルケンナンガー寮へ。くろさかくんの出迎えを受ける。「あれ、今日でしたっけ?」 キッチンでそばとワインをご馳走になり、シャワーを浴びて就寝。
21日
朝からかわしまくんとミュンヘン散策。オリンピア公園でフライ・オットーのスタジアムを観る。地形がそのままスタンドとなり、有機的な屋根がそれを覆う。どこにも「建築」は見当たらない。併設のビアホールでヘレスを飲んでから、タワーにも上る。半年間もいたはずなのに、ミュンヘンをこの高さから見るのは初めてである。東京に比べると、ずっとずっと密度が薄く、緑が多いことに気づく。TUMに移動。何人か懐かしい友達たちと挨拶した後、ホールデンスタジオへ。半年間スタジオで一緒だった友達たちと再会。その後のスタジオの進行状況について教えてもらう。そのまま研究室へ。アシスタントたちが「ヨースケ!(なぜここにいるんだ?)」と笑顔で驚いて出迎えてくれた。ホールデンにAUSMIPの成果本を渡す。気に入ってもらえたようで良かった。かわしまくんを紹介し、最新のポートフォリオを見せる。ホールデンが家に招待してくれたので、待ち合わせの時間まで昼飯を食うことに。エスキス帰りに通った特大シュニッツェル(トンカツ)屋さんでビールを二杯。こんなに巨大なトンカツ、どうしてあの頃は一人でペロッと食べられていたのだろう?シュトゥデンテンシュタット(学生都市)に移動し、ホールデンの家を訪ねる。ホールデンは僕ら二人を招きいれ、内部を解説してくれた。一歩足を踏み入れたときのひんやりとした冷気が印象的だった。モックアップではない実物を見るのは初めてである。想像していたよりもずっとシャープでかっこよかった。(詳しくはDECoの記事「ホールデンの小さな箱 の家」を見てください) 僕らが訪れた後もひっきりなしに客人が訪れ、ホールデンの分刻みのスケジュールを想像させられた。マリエンプラッツに移動し、ヘルツォークの「フンフホーフェ(五つの中庭)」を観る。カフェの照明がアリアンツアレナのアプローチに立っている照明と同じだということに気づく。半年間いても見えていなかったものが今は見える。今回のドイツ再訪問を象徴しているようだ。新市役所前の書店ヒューゲンドゥーベルでりょうこさんと再会。ホーフブロイハウスで飲むうちにくろさかくんも合流。かわしまくんにバイエルン料理をたらふく食べてもらってから、四人でアリアンツアレナへ向かう。堅守速攻のセルビアモンテネグロの術中にはまり万事休すかと思われたが、コートジボワールのあきらめない泥臭いサッカーが奇跡を起こした。共にグループリーグ敗退が決まっている消化試合で、日本では中継されなかったらしいが、今大会のベストマッチかもしれない。試合終了後、スタジアム全体が拍手につつまれる。初出場初勝利のコートジボワールにウェーブで賞賛を送るセルビアモンテネグロサポーターの笑顔に、サッカーの真髄を再確認し幸せな気持ちになる。終電で帰宅。
22日
ジャーマンレイルパスを使ってシュトゥットガルトへ。ミュンヘン中央駅の馴染みのスタンドで懐かしのケバブを買ってかじりながら三時間。大学駅でひぐちくんと再会。ILEKまで案内してもらい、そこでいわもとくんと再会。ILEKの不思議な研究内容についてひととおり教えてもらってから、いわもとくんのバキューマティクスの模型を見せてもらう。うらやましく思うと同時に、改めて畏敬の念を持った。メンザで昼飯を食ってから、ひぐちくんにベンツミュージアム、シュトゥットガルトスタジアム、シュターツギャラリー、ヴァイセンホーフジードルンクを解説付きで案内してもらう。シュターツギャラリーは訪問三度目でもまだ納得できなかった。合理性機能性を覆い隠すような諧謔。真っ正直を忌避する照れ隠しではないのだとしたら、これが「空間」をつくるということなのか?自分の理解可能範囲を狭めてはいけない、と戦慄を感じる。中華食べ放題の店で日本対ブラジル戦を観始めて、ハーフタイムにいわもとくんと合流。市内のオープンカフェで日本が惨敗する瞬間を見届ける。寮に戻り、朝まで二人と話しこむ。いわもとくん自慢の紅茶コレクションを試飲しながら、いろいろなことを話す。そこがシュトゥットガルトであることを忘れてしまうような、楽しいひととき。結論としては、「やると決めたからには、のんびりいこう」ということ。ただし、パッション切れに要注意。
23日
ひぐちくんかわしまくんと三人で郊外のマルバッハへ。市内を散策した後、チッパーフィールドによる小さな文学館を観る。やはりフォルムは好きになれないけれど、内部に入ってからは場所場所での空間体験は素敵だと思った。売店に売っている絵葉書はどれもよくなかった。この空気は、写真には残念ながら収めることはできないようだ。ホールデンはフォスター事務所時代の同僚である彼のことを「変わり者」と呼ぶが、同時に親友として尊敬もしていると以前語っていた。ゾーベック自邸であるr128をチラ見した後、駅前のカフェでいわもとくんひぐちくんと最後のお茶。これが最後じゃなくて、これからもまだまだ何度も会える気はするけど、せっかく埋まりかけたものが失われるようでなんだか寂しかった。フランクフルトに移動し、駆け足でコメルツバンク、ハンスホラインの美術館、ベーニングの美術館、その他美術館を観て回り、ケルンへ。大聖堂を拝んだ後、晩飯を食いながらフランス対トーゴを観戦し、夜行列車NZでベルリンへ。
24日
早朝にベルリン着。ユースに荷物を預け、ペーターベーレンスのタービン工場、クーダム、オリンピアスタディオン、ユニテダビダシオンベルリン、ソニーセンター、新ナショナルギャラリー、州立図書館、ホロコーストメモリアル、ブランデンブルク門と回って、ライヒスタークへ。しばし、エネルギーを充電。ウンターデンリンデンを東に向かい、ゲーリーのDG銀行、ベーニングのアカデミーオブアーツ、ジャン・ヌーベルのギャラリーラファイエット、アルテスムゼウムを観る。テレビ塔でかわぐちさんと再会。地元人たちとバーベキューをした後、歴史あるビアホールでアルゼンチン対メキシコの死闘を観戦しながら乾杯。改めてもらった名刺には、以前日本でもらったものとは違う、新しい肩書きが付いていた。ドイツでデザイナーとして一人立ちする腹づもりだと聞いて、心の底から声援を送る。
25日
ツォー駅で寝台列車の予約をしてから、ついでにカイザーヴェルヘルム教会を観て、リべスキンドのユダヤミュージアムへ。企画展の関係で「嘆きの部屋」が閉館されていたのは残念だったが、デコンなデザイン中にも、壁体内換気のための換気口や、避雷のためのアース、雨水の排水管など、環境的配慮を発見することができたので、再訪問した価値があった。チェックポイントチャーリーの集合住宅群を観た後、ドミニク・ペローのヴェロドロームへ。広大な緑地を残し地下に掘り込まれた運動施設。残念ながら閉館中で、迫力あるはずの内観は観ることができなかった。荒涼とした人気のない緑地を歩いていると、地下に続くすり鉢状に掘りこまれた階段にたたずむ二匹の犬を連れた少女が、こちらをいぶかしげに見つめていた。アレクサンダー広場で世界時計を見て、市内のオープンカフェでトルコビールを飲みながらポルトガル対オランダを観戦。ハーフタイムにライヒスターク前の特設会場に移動して、イエローカードが乱れ飛ぶ死闘を引き続き観戦。駅前のスポーツバーで最後のベルリンビールを飲んでから、夜行列車NZに乗りミュンヘンへ。
26日
駅でくろさかくんと待ち合わせ。すがおさんも会いに来てくれて、四人で駅内のバーで朝食をとる。駅のスタンドでシャワーを浴びてから、空港へ。二人とは日本での再会を約束し、僕らは飛行機に乗り込んだ。今回の旅行は留学が終わる前から計画済みだったものだ。だから留学から戻るときも、まだミュンヘンを離れるという実感はなかった。でも今回の旅行を終えて、しばらくは本当にお別れである。
27日
朝、成田空港に到着。大学に直行し、「設備とデザイン」原稿の最終段階に合流。
朝、「設備とデザイン」原稿班のメンバーに後事を託して成田空港へ。アエロフロート航空で日本を発つ。モスクワで乗り換えて足掛け17時間ちょい、ミュンヘン空港に到着。Sバーンで一路フェルゼンネルケンナンガー寮へ。くろさかくんの出迎えを受ける。「あれ、今日でしたっけ?」 キッチンでそばとワインをご馳走になり、シャワーを浴びて就寝。
21日
朝からかわしまくんとミュンヘン散策。オリンピア公園でフライ・オットーのスタジアムを観る。地形がそのままスタンドとなり、有機的な屋根がそれを覆う。どこにも「建築」は見当たらない。併設のビアホールでヘレスを飲んでから、タワーにも上る。半年間もいたはずなのに、ミュンヘンをこの高さから見るのは初めてである。東京に比べると、ずっとずっと密度が薄く、緑が多いことに気づく。TUMに移動。何人か懐かしい友達たちと挨拶した後、ホールデンスタジオへ。半年間スタジオで一緒だった友達たちと再会。その後のスタジオの進行状況について教えてもらう。そのまま研究室へ。アシスタントたちが「ヨースケ!(なぜここにいるんだ?)」と笑顔で驚いて出迎えてくれた。ホールデンにAUSMIPの成果本を渡す。気に入ってもらえたようで良かった。かわしまくんを紹介し、最新のポートフォリオを見せる。ホールデンが家に招待してくれたので、待ち合わせの時間まで昼飯を食うことに。エスキス帰りに通った特大シュニッツェル(トンカツ)屋さんでビールを二杯。こんなに巨大なトンカツ、どうしてあの頃は一人でペロッと食べられていたのだろう?シュトゥデンテンシュタット(学生都市)に移動し、ホールデンの家を訪ねる。ホールデンは僕ら二人を招きいれ、内部を解説してくれた。一歩足を踏み入れたときのひんやりとした冷気が印象的だった。モックアップではない実物を見るのは初めてである。想像していたよりもずっとシャープでかっこよかった。(詳しくはDECoの記事「ホールデンの小さな箱 の家」を見てください) 僕らが訪れた後もひっきりなしに客人が訪れ、ホールデンの分刻みのスケジュールを想像させられた。マリエンプラッツに移動し、ヘルツォークの「フンフホーフェ(五つの中庭)」を観る。カフェの照明がアリアンツアレナのアプローチに立っている照明と同じだということに気づく。半年間いても見えていなかったものが今は見える。今回のドイツ再訪問を象徴しているようだ。新市役所前の書店ヒューゲンドゥーベルでりょうこさんと再会。ホーフブロイハウスで飲むうちにくろさかくんも合流。かわしまくんにバイエルン料理をたらふく食べてもらってから、四人でアリアンツアレナへ向かう。堅守速攻のセルビアモンテネグロの術中にはまり万事休すかと思われたが、コートジボワールのあきらめない泥臭いサッカーが奇跡を起こした。共にグループリーグ敗退が決まっている消化試合で、日本では中継されなかったらしいが、今大会のベストマッチかもしれない。試合終了後、スタジアム全体が拍手につつまれる。初出場初勝利のコートジボワールにウェーブで賞賛を送るセルビアモンテネグロサポーターの笑顔に、サッカーの真髄を再確認し幸せな気持ちになる。終電で帰宅。
22日
ジャーマンレイルパスを使ってシュトゥットガルトへ。ミュンヘン中央駅の馴染みのスタンドで懐かしのケバブを買ってかじりながら三時間。大学駅でひぐちくんと再会。ILEKまで案内してもらい、そこでいわもとくんと再会。ILEKの不思議な研究内容についてひととおり教えてもらってから、いわもとくんのバキューマティクスの模型を見せてもらう。うらやましく思うと同時に、改めて畏敬の念を持った。メンザで昼飯を食ってから、ひぐちくんにベンツミュージアム、シュトゥットガルトスタジアム、シュターツギャラリー、ヴァイセンホーフジードルンクを解説付きで案内してもらう。シュターツギャラリーは訪問三度目でもまだ納得できなかった。合理性機能性を覆い隠すような諧謔。真っ正直を忌避する照れ隠しではないのだとしたら、これが「空間」をつくるということなのか?自分の理解可能範囲を狭めてはいけない、と戦慄を感じる。中華食べ放題の店で日本対ブラジル戦を観始めて、ハーフタイムにいわもとくんと合流。市内のオープンカフェで日本が惨敗する瞬間を見届ける。寮に戻り、朝まで二人と話しこむ。いわもとくん自慢の紅茶コレクションを試飲しながら、いろいろなことを話す。そこがシュトゥットガルトであることを忘れてしまうような、楽しいひととき。結論としては、「やると決めたからには、のんびりいこう」ということ。ただし、パッション切れに要注意。
23日
ひぐちくんかわしまくんと三人で郊外のマルバッハへ。市内を散策した後、チッパーフィールドによる小さな文学館を観る。やはりフォルムは好きになれないけれど、内部に入ってからは場所場所での空間体験は素敵だと思った。売店に売っている絵葉書はどれもよくなかった。この空気は、写真には残念ながら収めることはできないようだ。ホールデンはフォスター事務所時代の同僚である彼のことを「変わり者」と呼ぶが、同時に親友として尊敬もしていると以前語っていた。ゾーベック自邸であるr128をチラ見した後、駅前のカフェでいわもとくんひぐちくんと最後のお茶。これが最後じゃなくて、これからもまだまだ何度も会える気はするけど、せっかく埋まりかけたものが失われるようでなんだか寂しかった。フランクフルトに移動し、駆け足でコメルツバンク、ハンスホラインの美術館、ベーニングの美術館、その他美術館を観て回り、ケルンへ。大聖堂を拝んだ後、晩飯を食いながらフランス対トーゴを観戦し、夜行列車NZでベルリンへ。
24日
早朝にベルリン着。ユースに荷物を預け、ペーターベーレンスのタービン工場、クーダム、オリンピアスタディオン、ユニテダビダシオンベルリン、ソニーセンター、新ナショナルギャラリー、州立図書館、ホロコーストメモリアル、ブランデンブルク門と回って、ライヒスタークへ。しばし、エネルギーを充電。ウンターデンリンデンを東に向かい、ゲーリーのDG銀行、ベーニングのアカデミーオブアーツ、ジャン・ヌーベルのギャラリーラファイエット、アルテスムゼウムを観る。テレビ塔でかわぐちさんと再会。地元人たちとバーベキューをした後、歴史あるビアホールでアルゼンチン対メキシコの死闘を観戦しながら乾杯。改めてもらった名刺には、以前日本でもらったものとは違う、新しい肩書きが付いていた。ドイツでデザイナーとして一人立ちする腹づもりだと聞いて、心の底から声援を送る。
25日
ツォー駅で寝台列車の予約をしてから、ついでにカイザーヴェルヘルム教会を観て、リべスキンドのユダヤミュージアムへ。企画展の関係で「嘆きの部屋」が閉館されていたのは残念だったが、デコンなデザイン中にも、壁体内換気のための換気口や、避雷のためのアース、雨水の排水管など、環境的配慮を発見することができたので、再訪問した価値があった。チェックポイントチャーリーの集合住宅群を観た後、ドミニク・ペローのヴェロドロームへ。広大な緑地を残し地下に掘り込まれた運動施設。残念ながら閉館中で、迫力あるはずの内観は観ることができなかった。荒涼とした人気のない緑地を歩いていると、地下に続くすり鉢状に掘りこまれた階段にたたずむ二匹の犬を連れた少女が、こちらをいぶかしげに見つめていた。アレクサンダー広場で世界時計を見て、市内のオープンカフェでトルコビールを飲みながらポルトガル対オランダを観戦。ハーフタイムにライヒスターク前の特設会場に移動して、イエローカードが乱れ飛ぶ死闘を引き続き観戦。駅前のスポーツバーで最後のベルリンビールを飲んでから、夜行列車NZに乗りミュンヘンへ。
26日
駅でくろさかくんと待ち合わせ。すがおさんも会いに来てくれて、四人で駅内のバーで朝食をとる。駅のスタンドでシャワーを浴びてから、空港へ。二人とは日本での再会を約束し、僕らは飛行機に乗り込んだ。今回の旅行は留学が終わる前から計画済みだったものだ。だから留学から戻るときも、まだミュンヘンを離れるという実感はなかった。でも今回の旅行を終えて、しばらくは本当にお別れである。
27日
朝、成田空港に到着。大学に直行し、「設備とデザイン」原稿の最終段階に合流。