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ミュンヘンなんて、どこ吹く風

ミュンヘン工科大留学、ロンドンの設計事務所HCLA勤務を経て
群馬で建築設計に携わりつつ、京都で研究に励む日々の記録

東京を去る準備

2007-02-22 03:16:49 | 帰国・修論+αな日々
修士論文の本文に発表会の資料を加えて、修論展用に製本しなおす。明日代官山ヒルサイドテラスの会場まで持参する予定。展示期間は来月6日~11日。

一人暮らしを始める(かもしれない)研究室の後輩が家財道具を引き取ってくれることになり、部屋まで下見に来てくれた。当日は僕も彼の引越しを手伝うことに。

三月になったら山陰山陽地方へ行こうと計画している。関門海峡・岩国錦帯橋・出雲大社・厳島神社・広島平和祈念公園といったあたりを周りたい。卒業旅行です。

週末は生協で棚卸しバイト。夜は映画をいっぱい借りて部屋でぬくぬく観よう。
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修士論文以後

2007-02-20 03:02:26 | 帰国・修論+αな日々
13日と14日は修士論文発表会。大声で自信たっぷりに聞こえるように発表できたものの、手はずっと震えていた。何度も練習した甲斐あって、予定通り30秒ほど時間をオーバーして終了。質疑応答のために用意していたパワポも、作戦通りの質問が引き出せて成功。副査の先生には面白かったと言ってもらえ、先輩からは少年の主張みたいだったと言われた(よい意味ですよね?)。後輩からは自分の修論の先行研究にしたいとの声も。時間の許す限り友達の発表も聞いて回る。

15日~18日は友達と京都旅行。卒業して母国に帰る留学生と桂離宮などへ。

18日は「太田博太郎先生を送る会」の手伝い。雨の中、受付までの案内をする。

19日はAUSMIPのレクチャーと懇親会。TUMのボック先生の講義は、『不都合な真実』を引用したエネルギーと環境問題の話から始まり、ミュンヘン市内にあるH&dMの「hunf hofe」と都市コンテクスト・モビリティの話を丁寧にしてから、ボック研で去年ディプロマを取った学生の計画の話で終わった。とても充実したレクチャーだったので、終了後にボック先生のところに感動を伝えにいく。ボック先生、次は、大学内でゼロエミッション住宅をセルフビルドする計画に携わるらしい。

誰でも出せる修士論文展に修論を出します。締め切りは今週木曜日みたいです。
トウキョウ建築コレクション
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修論発表

2007-02-12 23:15:31 | 帰国・修論+αな日々
86,000字(本文)→11,000字(梗概)→7,000字(発表用原稿)→?
部材質量あたりの性能を高めて、そぎ落とされた軽量な構造を…むにゃむにゃ。

修論発表をします。
明日2月13日の正午ちょうどより20分間。工学部一号館12号講義室にて。
『19世紀英国の建築状況における「軽い建築」の受容過程について』
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ベッド欲しい方いましたら

2007-02-10 22:43:09 | 帰国・修論+αな日々
学部から四年間暮らした本郷のワンルーム、大家さんに電話して今月いっぱいで引き払うことが正式に決定。三月になったらとりあえず群馬の実家に帰ります。卒業旅行という気持ちにもなれないので、暇があったらバイトしたい。東京で用事があるときは弟の部屋とかで居候さんになるつもり(←ずうずうしい)。というわけで冷蔵庫やベッド、洗濯機などの家財道具の処遇に困っています。実家に持ち帰るわけにもいかないので、どなたかもらってくれる方いましたらご一報ください。



先週末国立新美術館で観た『20世紀美術探検 アーティストたちの3つの冒険物語』、周防正行監督の『それでもボクはやってない』、昨日観た『不都合な真実』。どれも観ていて修士論文のことを思い出した。発表用資料をつくりながら、ちらちら本文も書き直し中。原稿読まずに発表するのが目標だけど、頭の中が真っ白になりそうで怖い。先輩によれば、一分間にしゃべれる文字数は300字らしい。
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ご無沙汰しています

2007-02-08 16:54:14 | 帰国・修論+αな日々
ご無沙汰しています。
先週修士論文を提出しましたが今は来週火曜日の発表会に向けて準備中です。
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もう時間の感覚が

2007-01-30 06:23:06 | 帰国・修論+αな日々
もう時間の感覚がメチャクチャデス。

スイスのVIVIANというロック(?)バンドの5月に発売されるアルバムのデザインに、僕がスイスで撮影した教会の写真が使われることになりました。年明けにマネージャーの方から写真を使わせてくださいとメールをもらい半信半疑だったのですが、彼らが今までに発売したアルバムが先週送られてきたので本当みたいです。どんな風に使われるのかよくわからないのですが、楽しみにして待つとしましょう。

修士論文なかなかてごわいです。梗概をつくりだすと本文にも変更点が多々…。

クリスタルパレスのポリクロミーについて
『水晶宮物語』のなかでも簡単に触れられていたのですが、それが何を意味していたのかについては決定的な言明を見出せませんでした。
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打ち止め

2007-01-27 04:50:14 | 帰国・修論+αな日々
今日でとりあえず本文は打ち止めにして、いままで梗概書いてました。寝ます。
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提出だいたい一週間前

2007-01-26 05:06:15 | 帰国・修論+αな日々
図書館が閉まるまでは資料のコピー。それを踏まえて、晩ゴハンを食べたあとは本文の追加。そのあとさっきまでは図版のスキャンと整理をしていた。寝ます。
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鉄鋼生産量の推移

2007-01-25 02:50:33 | 帰国・修論+αな日々
今日は一日、書きかけたまま資料不足で中断してあった部分の穴埋め作業をした。明日もこのつづきをする予定。今週中に梗概の手直しをして、もう一度誰かに見てもらおう。週末に図版の整理ができたら来週がだいぶ楽になるなあ。…などと計画を立てて安心したくなるのは、修士論文の提出が近づいているからです。

鉄鋼生産量の国別シェア(『CONSTRUCTION HISTORY』記載のデータより作成)


赤いのがイギリスで、その隣からフランス、ドイツ、アメリカ、その他とつづく。1870年から1910年まで五年刻みのデータである。円の面積は1870-1875年の1,860,000トンを基準として生産量の増大を表す。下から四番目の1890年に黒いアメリカがイギリスを逆転する。ドイツとフランスのシェアにはほとんど変化がない。

19世紀後半、イギリス鉄鋼業は、ドイツやアメリカなどの大量生産国の興隆に対抗するため高級鋼生産へと重点を移し、大陸からは半製品の輸入が増え始める。
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溶接について

2007-01-24 02:34:44 | 帰国・修論+αな日々
夜はミュンヘン留学の同期四人で飲む。そのうちの一人が来月から大学のプログラムでイタリアの設計事務所に派遣されるので、その壮行会にかこつけ久しぶりに。みなスタジオも同じだったので、思い出話やスタジオメンバーの近況、自分たちの進路など話す。僕は修論の暫定版を見てもらったり、ロンドン就活話をする。AtoZカフェでゴハンを食べて、近くの居酒屋でうどんすきをつつきつつ終電まで。

・・・

二極間の放電火花を用いるアーク溶接法は19世紀の終わりにロシアで発明され、まず造船業で適用された後に建築でも使われるようになったが、それ以前にも、部材を炉内で突き合わせるといった手段での初歩的な溶接合は行われていた。しかしそれも錬鉄が登場してからで、鋳鉄しか手に入らない時期には溶接は不可能だった。なぜなら、鋳鉄はその炭素含有量の多さのために、高温に熱すると割れてしまうからである。ちなみにボガーダスの(友人が記したという)鋳鉄建築の解説書のなかには、接合部について次のような記述が見られる。

ここで注意すべきことは(中略)ボガーダス氏はつねに各部材を結合す直前に各接触面にペンキを塗って接合部を完全に気密にするようにしていることである。この説明から明らかなことは、ばらばらの部材は全体として一つの安定したものになるように結合され、強度の点で単一の鋳鉄体と同じになることである。
「J.ボガーダスの鋳鉄建築(その構法と利点)」『建築雑誌195809』より

このボガーダスの解説書、今にして考えれば突っ込みどころが満載なのだが、当時鋳鉄建築が立たされていた立場などがうかがい知れて面白い資料である。

一度建てられた建物も各部分を損傷せずに容易に解体し、最初のと同様に完全に再び建てることができる。(中略)この性質は非常に重要なことである。鋳鉄の建物は現在のみならず、永久に国家の富としてのこるからである。(中略)破壊のかわりに今後は移動―単なる位置の変更―のみとなるであろう。
(同上)

1856年のアメリカで記されたこの解説書では、イギリスの鉄骨造建築はしばしば不完全なものとして指摘される。なぜならボガーダスが目指したのは、土台まで鋳鉄(基礎はさすがに石だけど)の文字通りの鋳鉄造建築だったからである。
(ただし錬鉄・鋼についてはまったく言及されていないところが注目に値する)
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