火曜日、約束の時間に再びホールデン事務所を訪ねる。
ホールデンは一人でスタディ模型をつくっていた。「今模型をつくってるんだけど、そこに座って話しかけてきてくれていいから」と言われ、向かいの椅子に座る。ホールデンは自筆のプランニングスケッチをもとに、スチレンボードを目分量でザクザク切っている。透明なガラステーブルの上に乱雑に置かれたカッターマットと切りかけのボード。前回来た時に机の上に乗っていた模型をまた手直ししているらしかった。「あぁ、切りすぎた…」みたいなことをブツブツ言いながら、開けた穴を塞いだり、立てた壁をまた倒してみたりしている。ホールデンにうながされるまま、まず、昨日見てきたばかりのセインズベリーセンターの話をする。フォスター事務所でホールデンが任された最初のプロジェクトだったらしい。フラーのことも質問してみると、「彼とは何回か会ったなあ」と言いながら目を細めて一生懸命日付を思い出してくれた。フラーがセインズベリーセンターを見てその重量を尋ねたという伝説についても聞いてみる。即座に重量を回答してフラーをうならせたとされる某所員とはホールデンだったのではないかとずっと思っていたのだが、やはりそうだった。「完成した後に聞いてくるんだもんなあ。あの頃は何でもやらされたからね」とホールデン。所員さんが僕にもコーヒーを入れてくれる。「よかったらこれ食べなよ」と言ってホールデンがチョコレートの皿を僕の方に押して寄こす。バラの形をしたチョコレートを、花びらを一枚一枚むしりながら食べる二人。ホールデンが手を休めた隙に、あなたの事務所で働かせてもらうことはできませんか、と核心を突く質問をぶつける。
そうか、仕事を探してロンドンへ来たのか。でも今僕の事務所は君を雇うことはできないな。タイミングがよくないんだ。去年のことだった。僕らはそれまでスイスでのプロジェクトのために20人体制で仕事をしていた。でもそれが終わってからしばらく仕事がなくなって、一度に何人も辞めてもらわなければならなかったんだ。その状態は今も続いている。10人足らずで運営している事務所なんてロンドンにはほとんど無くて、非常に小さい部類に入るんだよ。
でもあなたの事務所のような「小さい事務所」が僕は好きです。ここで言う「小さい」というのはもちろんネガティブな意味ではありません。僕はあなたの作品、そしてあなた自身にとても興味があるのです。
もちろん小さいというのは必ずしも悪いことではないよ。僕もこの規模の事務所であることをとても気に入っているんだ。ただ、さっきも言ったように、雇う雇わないはタイミングなんだ。よし、君にいくつか事務所を紹介してあげよう。
ホールデンは模型をつくる手を休め、自分のアドレス帳から何人かの建築家の名前を挙げてくれた。「イアン・リッチーのところへはもう行ったかね?」「チッパーフィールドには会ったことある?」「ニコラス・グリムショウの建築は好きかい?」「フォスター事務所は難しいと言わざるを得ないな」そんなことを言いながら、ホールデンは10人ちょっとの建築家の名前と電話番号をメモ書きにして僕に手渡してくれた。そのうちのいくつかにはお勧めを意味する星印が付いていた。「今すぐそこの電話で連絡を取ってみたまえ」そう言ってホールデンは真顔で事務所の電話を指差した。まずイアン・リッチー、ダイヤルしてもつながらず。「直接来ないでまずは履歴書を送ってください。送付先はホームページに書いてありますから」と丁重に断られ続けた後、何番目かに、makeという事務所につながる。
「こんにちは。はじめまして。僕は建築を勉強している日本人の学生です。今ロンドンで仕事を探していて、ポートフォリオと履歴書を持参してロンドンに滞在中なのです。もしよかったらこれから伺って話をさせていただきたくことはできませんか」「まずは履歴書を送ってください。それから返事します」「でも今日の夜にロンドンを発たなければならないのです。今日の午後に話をさせてもらうことはできませんか?」「…。わかりました。では待ち合わせの時間を決めましょう…」
隣で話を聞いていた所員さんが笑顔で「グッドラック」のしぐさ。ホールデンは別れ際、「どうなったか、あとで僕にメールで報告しなさい」と言って握手してくれた。これからも連絡を取り続けさせてください、人が必要になったらいつでも呼んでくださいとお願いし、ポートフォリオを渡してホールデン事務所を後にした。
makeの事務所は大英博物館の近くにあった。構造設計のアラップ事務所と隣り合っている。ロンドンでは小さい方の事務所だと聞いていたのだが、想像していたよりも遥かに大きい事務所だ。立ち並ぶ模型の作風もなんだか“今風”で、ホールデン事務所との落差を感じる。念のためもう一度電話して場所を確認したがやはりそこだった。受付で名乗り、中に入れてもらう。ミーティングルームらしきスペースでしばらく待っていると、長髪の大男が握手を求めてきた。渡された名刺を見ると、どうやら共同主宰者の一人のようだった。まずポートフォリオを見せると、どれくらい働きたいのかと聞かれたので、履歴書を見せながら半年か一年働きたいと説明。後は、大声でまくし立てられる。
じゃあ、九月にもう一回正式な書式で履歴書送ってよ。今度はそうだねえ、君が自信のある作品に絞ってもっと詳しいポートフォリオを送ってよ。通常、採用を決めるときは一ヶ月前までに送ってもらってそれから一ヶ月かけて審査することにしてるんだ。十月からだったらこっちの大学の学期にも合ってるからこっちとしても都合がいいよ。ところで就労ビザ取れる目処は立ってるの?それは自分で取ってもらわないと困るよ。こっちでそれやろうとするととてもお金がかかるんだ。それからもしビザが取れたとしても、今度は僕らの事務所がなぜ君以外の可能性を排除して外国人の君を雇ったのかを説明する責任があるんだよ。まあ、とにかく九月だな。そのときまで君がまだ僕の事務所に興味があったらまた連絡をくれよ!僕らは80人の所員を抱えている。そういう意味ではフォスター事務所と同じスタンスで仕事をしているつもりだよ。どちらの事務所も小さなチームを組んで仕事をしているから、君がフォスター事務所を“大きすぎる”というのは当たらないと思うけれど。もし君が僕らの事務所に加わったら、例えば僕のチームで働くことになるかもしれないね。
笑顔でガシガシと握手されて公園に放り出されたとき、「ロンドンにあるから」と言う理由だけで事務所を選ぶのはやめようと思った。切り詰めてやりくりしてきたポンドは、最後の晩飯で全部きれいに無くなり、5ペンス硬貨一枚だけが残った。
というわけで、初めての就職活動は見事に撃沈なわけです。
日本に帰ってもう一度勉強をしなおして、それでもまだ海外に働きたい事務所があったら、今度は正式に履歴書とポートフォリオをしっかりつくって送ろうと思う。海外にいて、曲がりなりにでも就職活動をまったく意識せずにこのまま春を迎えるのが怖かったのだ。ロンドンで現実を見せ付けられ、これでよかったと思っている。
僕はホールデンの作風、ホールデンの人柄に恋焦がれて、ロンドンにやってきたのだ。ああでもないこうでもないと模型をいじりながら、事務所は大きくなくてもいいんだと言って、にっこりとポーズをとってくれるホールデンを僕は素敵だと思う。このTUMへの留学中で、彼に出会えたのはまったく幸運だった。これからもなにかにつけて連絡はとり続けたいなと思う。そしてもしご縁があれば、いつか…。

いや、できれば、ちかいうちに…!
ホールデンは一人でスタディ模型をつくっていた。「今模型をつくってるんだけど、そこに座って話しかけてきてくれていいから」と言われ、向かいの椅子に座る。ホールデンは自筆のプランニングスケッチをもとに、スチレンボードを目分量でザクザク切っている。透明なガラステーブルの上に乱雑に置かれたカッターマットと切りかけのボード。前回来た時に机の上に乗っていた模型をまた手直ししているらしかった。「あぁ、切りすぎた…」みたいなことをブツブツ言いながら、開けた穴を塞いだり、立てた壁をまた倒してみたりしている。ホールデンにうながされるまま、まず、昨日見てきたばかりのセインズベリーセンターの話をする。フォスター事務所でホールデンが任された最初のプロジェクトだったらしい。フラーのことも質問してみると、「彼とは何回か会ったなあ」と言いながら目を細めて一生懸命日付を思い出してくれた。フラーがセインズベリーセンターを見てその重量を尋ねたという伝説についても聞いてみる。即座に重量を回答してフラーをうならせたとされる某所員とはホールデンだったのではないかとずっと思っていたのだが、やはりそうだった。「完成した後に聞いてくるんだもんなあ。あの頃は何でもやらされたからね」とホールデン。所員さんが僕にもコーヒーを入れてくれる。「よかったらこれ食べなよ」と言ってホールデンがチョコレートの皿を僕の方に押して寄こす。バラの形をしたチョコレートを、花びらを一枚一枚むしりながら食べる二人。ホールデンが手を休めた隙に、あなたの事務所で働かせてもらうことはできませんか、と核心を突く質問をぶつける。
そうか、仕事を探してロンドンへ来たのか。でも今僕の事務所は君を雇うことはできないな。タイミングがよくないんだ。去年のことだった。僕らはそれまでスイスでのプロジェクトのために20人体制で仕事をしていた。でもそれが終わってからしばらく仕事がなくなって、一度に何人も辞めてもらわなければならなかったんだ。その状態は今も続いている。10人足らずで運営している事務所なんてロンドンにはほとんど無くて、非常に小さい部類に入るんだよ。
でもあなたの事務所のような「小さい事務所」が僕は好きです。ここで言う「小さい」というのはもちろんネガティブな意味ではありません。僕はあなたの作品、そしてあなた自身にとても興味があるのです。
もちろん小さいというのは必ずしも悪いことではないよ。僕もこの規模の事務所であることをとても気に入っているんだ。ただ、さっきも言ったように、雇う雇わないはタイミングなんだ。よし、君にいくつか事務所を紹介してあげよう。
ホールデンは模型をつくる手を休め、自分のアドレス帳から何人かの建築家の名前を挙げてくれた。「イアン・リッチーのところへはもう行ったかね?」「チッパーフィールドには会ったことある?」「ニコラス・グリムショウの建築は好きかい?」「フォスター事務所は難しいと言わざるを得ないな」そんなことを言いながら、ホールデンは10人ちょっとの建築家の名前と電話番号をメモ書きにして僕に手渡してくれた。そのうちのいくつかにはお勧めを意味する星印が付いていた。「今すぐそこの電話で連絡を取ってみたまえ」そう言ってホールデンは真顔で事務所の電話を指差した。まずイアン・リッチー、ダイヤルしてもつながらず。「直接来ないでまずは履歴書を送ってください。送付先はホームページに書いてありますから」と丁重に断られ続けた後、何番目かに、makeという事務所につながる。
「こんにちは。はじめまして。僕は建築を勉強している日本人の学生です。今ロンドンで仕事を探していて、ポートフォリオと履歴書を持参してロンドンに滞在中なのです。もしよかったらこれから伺って話をさせていただきたくことはできませんか」「まずは履歴書を送ってください。それから返事します」「でも今日の夜にロンドンを発たなければならないのです。今日の午後に話をさせてもらうことはできませんか?」「…。わかりました。では待ち合わせの時間を決めましょう…」
隣で話を聞いていた所員さんが笑顔で「グッドラック」のしぐさ。ホールデンは別れ際、「どうなったか、あとで僕にメールで報告しなさい」と言って握手してくれた。これからも連絡を取り続けさせてください、人が必要になったらいつでも呼んでくださいとお願いし、ポートフォリオを渡してホールデン事務所を後にした。
makeの事務所は大英博物館の近くにあった。構造設計のアラップ事務所と隣り合っている。ロンドンでは小さい方の事務所だと聞いていたのだが、想像していたよりも遥かに大きい事務所だ。立ち並ぶ模型の作風もなんだか“今風”で、ホールデン事務所との落差を感じる。念のためもう一度電話して場所を確認したがやはりそこだった。受付で名乗り、中に入れてもらう。ミーティングルームらしきスペースでしばらく待っていると、長髪の大男が握手を求めてきた。渡された名刺を見ると、どうやら共同主宰者の一人のようだった。まずポートフォリオを見せると、どれくらい働きたいのかと聞かれたので、履歴書を見せながら半年か一年働きたいと説明。後は、大声でまくし立てられる。
じゃあ、九月にもう一回正式な書式で履歴書送ってよ。今度はそうだねえ、君が自信のある作品に絞ってもっと詳しいポートフォリオを送ってよ。通常、採用を決めるときは一ヶ月前までに送ってもらってそれから一ヶ月かけて審査することにしてるんだ。十月からだったらこっちの大学の学期にも合ってるからこっちとしても都合がいいよ。ところで就労ビザ取れる目処は立ってるの?それは自分で取ってもらわないと困るよ。こっちでそれやろうとするととてもお金がかかるんだ。それからもしビザが取れたとしても、今度は僕らの事務所がなぜ君以外の可能性を排除して外国人の君を雇ったのかを説明する責任があるんだよ。まあ、とにかく九月だな。そのときまで君がまだ僕の事務所に興味があったらまた連絡をくれよ!僕らは80人の所員を抱えている。そういう意味ではフォスター事務所と同じスタンスで仕事をしているつもりだよ。どちらの事務所も小さなチームを組んで仕事をしているから、君がフォスター事務所を“大きすぎる”というのは当たらないと思うけれど。もし君が僕らの事務所に加わったら、例えば僕のチームで働くことになるかもしれないね。
笑顔でガシガシと握手されて公園に放り出されたとき、「ロンドンにあるから」と言う理由だけで事務所を選ぶのはやめようと思った。切り詰めてやりくりしてきたポンドは、最後の晩飯で全部きれいに無くなり、5ペンス硬貨一枚だけが残った。
というわけで、初めての就職活動は見事に撃沈なわけです。
日本に帰ってもう一度勉強をしなおして、それでもまだ海外に働きたい事務所があったら、今度は正式に履歴書とポートフォリオをしっかりつくって送ろうと思う。海外にいて、曲がりなりにでも就職活動をまったく意識せずにこのまま春を迎えるのが怖かったのだ。ロンドンで現実を見せ付けられ、これでよかったと思っている。
僕はホールデンの作風、ホールデンの人柄に恋焦がれて、ロンドンにやってきたのだ。ああでもないこうでもないと模型をいじりながら、事務所は大きくなくてもいいんだと言って、にっこりとポーズをとってくれるホールデンを僕は素敵だと思う。このTUMへの留学中で、彼に出会えたのはまったく幸運だった。これからもなにかにつけて連絡はとり続けたいなと思う。そしてもしご縁があれば、いつか…。

いや、できれば、ちかいうちに…!