今回の攻防をナポレオン崇拝者のドビルパン首相は「戦争」と呼び始めたらしい。
フランスは就業人口の増加に社会体制が追いつかず失業率が増加し、若年層の就職難にしわ寄せになって現れているのだという。その改善を目指して提出されたはずの“若年層雇用促進策”が、皮肉にも今回の「若者の反乱」を呼び起こした。デモは暴徒化し、警官に踏みつけられた一人の参加者が意識不明の重態になり、先週設けられた政府との話し合いも決裂し、明日フランス全土でストが決行される。「お試し期間は解雇自由という権利を与えることで、企業に若者を積極的に雇用してもらうよう政府が斡旋する」という法案は、確かに雇用を促進するだろうが、そんなことまで政府に口出しされること自体に若者たちは怒っているのだと思う。政府はそのような社会状態そのものを直すべきであって、俺たちの手をとって会社の入り口まで送り迎えしなくてもよい!というのが若者の主張ではないか。
パリで、談笑しながら並んで通りをいく、二人の若い女性を見た。一人は車椅子に乗っていたのだが、二人は楽しそうに“並んで”歩いていた。通りには時々段差があるが、車椅子の女性はそのときだけ「フンっ」と力を入れて、慣れた様子で段差を乗り越えた。どうしても越えられない段差があるときだけ、「こんな段差があるなんて、パリもまだまだダメだねえ」といった感じでもう一人がそっと手を貸す。そしてまた二人は並んで歩きだす。二人はレストランに入ったが、「はいどうぞ」そう言って車椅子の女性は後に続く僕にドアを開けてくれた。「あら、このレストラン二階もあるのね」そう言ってその女性は奥にある狭い螺旋階段を見て笑った。
フランスの若者は誰しも、社会の中では自分は常に一人であることを自覚し、一人で生きていく術を知っている。押し付けの“庇護”など、唾棄すべきものなのだ。
寺山修司か、三島由紀夫か、最近読んでいた本に書いてあった。「肉体的主導権、それのみが若者の優越性を保ちうるのであり、老人を脅かす力になるのだ」。
フランスではここ二十年間若者による抗議活動が恒常化していて、「若者を敵に回せば統治はできない」が歴代フランス政権与党の合言葉だそうである。
明日は若者と老人の全面戦争の行く末を、パリで見届けることになりそうだ。