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ミュンヘンなんて、どこ吹く風

ミュンヘン工科大留学、ロンドンの設計事務所HCLA勤務を経て
群馬で建築設計に携わりつつ、京都で研究に励む日々の記録

ALL MY LOVING

2005-10-01 13:28:08 | 留学準備
Close your eyes and I'll kiss you
Tomorrow I'll miss you
Remember I'll always be true

And then while I'm away I'll write home everyday
And I'll send all my loving to you

I'll pretend that I'm kissing, the lips I am missing
And hope that my dreams will come true

And then while I'm away I'll write home everyday
And I'll send all my loving to you

All my loving, I will send to you
All my loving, darling I'll be true

(repeat)


"All My Loving" Lennon/McCartney
©Copyright Northern Songs. All Rights Reserved.

この曲を初めて聴いたとき、これは旅立ちの歌だと思いました。そのときからずっと、カテゴリー「留学準備」を締めくくる投稿はこれにしようと思っていました。

それではみなさま、ミュンヘンへ行ってまいります。
オクトーバーフェストが終わった頃に、またお会いしましょう。
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前夜

2005-10-01 08:34:38 | 留学準備
AUSMIPメンバーで、松村先生と昼食。激励される。

その後、単発の用事を一つ一つ解決。
NOVAに借りていたテキストを返却。生徒カードを返してもらう。木曜会に会費振込み。締め切りに間に合ってよかった。Air-H"を解約。来春またすぐ再契約することになると思うけど。建築学科の図書館に借りていた本を返す。借りっぱなしですみませんでした。スーツケースに荷物詰め込み。思っていた以上にHDDが場所とる。

日付が変わる頃、荷造りがひととおり終わった。

何かに突き動かされるようにして、真夜中の春日通りを自転車で風切って走る。
最後の夜に何やってるんだろう自分(どうせならやり場に困っていた燃えないゴミを持ってくればこの辺で出せたな、とか思ったり)。ペダルをこぎながら、建築学科に入ってからのことが次々と頭に浮かんでは消えた。初めて学年全体が顔を合わせたときのこと、最初の敷地模型作り、ガッコウリノベーション、トウキョウサイコウ、尻上がりに充実していった日々…。季節はすっかり秋めいて、空気は冷たい。まるで砂漠の夜みたいだ。砂漠を舞台にした『星の王子さま』の中で、王子さまは“仲良し”になったキツネが別れ際に流した涙を見て“たいせつに思うこと”の代償に動揺する。

「ぼくは、きみにちっともわるいことをしようとは思わなかった。でも、きみは、泣いちゃうんだろ!じゃ、なんにもいいことはないじゃないか」
「いや、あるよ。麦畑の色が、あるからね。あんたがおれと仲よくしてくれたら、おれにゃ、そいつが、すばらしいものに見えるだろう。金色の麦をみると、あんたを思い出すだろうな。それに、麦を吹く風の音も、おれにゃうれしいだろうな。」

最近別れるのが寂しいことばかりだったけど、たいせつな“一本のバラ”、“一匹のキツネ”に気づかされる日々でもあったのかな。

『星の王子さま』をスーツケースの荷物に加えよう。そんなことを思う夜だった。
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とんかつ

2005-09-30 02:50:13 | 留学準備
101投稿目からはミュンヘンの話題。なんてうまくはいかず。

今日も実家で過ごす。

昼飯を食べに帰ってきた父と休憩がてら前橋のヤマダ電機に行く。
旅行先で心置きなく写真が撮りまくれるように、と160GBの外付けHDDを買ってくれた。
銀行口座の通帳とカードを母に預ける。
東京で借りっぱなしにする部屋の毎月の家賃の振込みは母に頼むことに。普通口座に振り込まれた奨学金を貯蓄口座(インターナショナルキャッシュカードで下ろせる口座)に移し変える操作も母にお願いする。
帰りに渋川駅前の不二家でケーキを買って、夜はまたみんなで夕食。
母の揚げたトンカツとシチュー、サラダボウルを囲んで。今年は弟の大学受験もあるので家族は僕の留学どころではない。でも僕もそれくらいのスタンスがちょうどいいと思うんだな。仕事場に戻る父に、いつものように「行ってらっしゃい」
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イタリア気分な長い夜

2005-09-29 05:19:03 | 留学準備
(またまた)実家に帰る。

群馬に向かう電車の中、ビートルズの「リボルバー」を聴きながら外を眺める。
車窓を流れる風景にビートルズは合うなあ。ドイツでもこうやってビートルズ聴きながら電車で旅したい。

数年前まで通っていた行きつけの医院へ薬をもらいに行く。
最近はぜんそくの症状はまったく出なくなったので薬も切らしたままだったのだけど、環境も変わるし念のため薬だけはドイツに持っていこうと思ったのである。「こども・アレルギークリニック」と銘打つだけあって、周りは小さな子供とその若いお母さんだらけでちょっとソワソワ。下駄箱が小さくて僕の靴じゃ入りきらないし!
以前使用していた薬をもらおうとすると、先生は苦笑いで「ああ、あれもうなくなっちゃったんだよねえ」「(え、製造中止ですか!?)」でも怖くてそれ以上は聞けなかった…。「今はこういうのになってるんだよ」と言って先生が取り出したのは巻貝のような形をした吸入器。以前のものは制汗スプレーのようなガス噴射タイプだったのだけど、最近は粉末をそのまま吸い込むらしい。「はい、そう水平に持って。慣れるまでは何回か吸ってください」と看護婦さんの指導を受ける。「もう大学院生なんだ」「大学院では西洋建築史やってます」「あれ、きみ理Ⅰだったよね!?」西洋建築史も立派な工学です!

晩飯は自炊の練習がてら僕が作らせてもらうことに。
と言ってもまたパスタなんだけど。渋川駅前のサティに寄って材料を買出し。バター、しいたけ、まいたけ、エリンギ、しめじ、水菜、大葉、ベーコン…。ついでにピザーラに寄ってSサイズのピザも三枚注文。ビールも買ったし、なんだか壮行会気分。今日は四人分のパスタなのでフライパンに具材山盛り。茹で上がったパスタをボールにあけて、フライパンで炒めた具材とオイルを絡めたら出来上がり。ピザとパスタとビール(と手作り梅酒)が食卓に並ぶ。「なんだか今日はイタリア気分だね」と母。

久しぶりに父と夜中まで話しこむ。
僕が留学に持っていく荷物や、向こうでの過ごし方、訪ねようと思っている建築について相談。父が最近手がけている仕事の話も聞く。父も最近gooでblogを始めたらしい。

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気が付けばこれが僕の記念すべき100投稿目。
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持ち込む/持ち込まない

2005-09-28 02:40:28 | 留学準備
一緒にミュンヘンに留学する千葉大のかいくんが一足先に今朝日本を発った。
早朝四時起きの彼にメールをして、現地での待ち合わせ場所を決める。僕が宿舎の鍵をもらうのが四日以降になってしまったため、彼の部屋に最初の二晩は居候をさせてもらう予定なのである。10月2日の午後6時、ミュンヘン中央駅のインフォメーションの前で待ち合わせることにする。初めて行く街で携帯電話もなく待ち合わせるなんて初めて。無事に合流できるだろうか。わくわく。

プリンタのことが急に気になりだし、インターネットで情報収集。
昨日、去年AUSMIPで留学していた先輩にたまたま会ったのだが、その先輩から「プリンタは日本から持っていったほうがいいよ」と言われたからだ。インターネット上の情報によれば、プリンタは海外のものでもドライバさえあれば接続できるとのこと。ただし、日本語印字については「問題ないので心配することはない」「念のため日本のプリンタを持ち込んだほうがよい」と情報は二分した。できればプリンタはでかいし重いので持ち込みたくない(たとえA4プリンタであっても)。なので現地で買うつもりである(だってドイツ製のが欲しいし)。もしかしたら日本語印字はできないかもしれないけれど、むしろミュンヘンで日本語なんて印字する機会あるのか?郷に入ればGO!との教えに従い、かの地ではアルファベットを打てばいいのだ。というわけでいろいろなことがすっきりした気がした。そうだ、なんでもドイツで調達しよう。だって周り中あこがれのドイツ製品を売っているお店ばっかりなんだから。ちょっと大変なこともあるかもしれないけど、なんでも日本で準備して行ってしまうのもつまらないよ。

だからドイツにはできるだけ物を持ち込まないつもり。
じゃあスーツケースに何を入れようかと考えたときに、思い至ったのがホームシック対策だった。日本でしか手に入らないもの、日本語が恋しくなるに違いない。だから日本のCDやDVDをいくつか持ち込むことにした。あとは、日本でよく聴いていた音楽をMDにダビングして持ち込む。世間ではi-podとnetwork walkmanが火花を散らしてるけど、今から新たに買うってのもなんだから、僕は今までどおりMDウォークマンを持っていく。高校入学のときに買ってもらったSONYのウォークマン。本体がMDジャケットサイズになった最初の機種で、当時は世界最小だった。今ではSONYの文字もこすれて見えなくなってしまったけど、全然問題なく使えるし。今までもなんどとなく共に旅をしてきた仲なので、今回も一緒にミュンヘンに連れていく。さて、MDに何入れよう。

夜、Florianさんと名乗る方からメールをいただいた。
AUSMIP第一期生で、今はAUSMIP Serverと呼ばれるAUSMIPのWEBを運営してくれている人らしい。「共有のフォトアルバムがあるのでぜひ使ってください!」というお誘いだった。去年は5000枚を超える写真がこのアルバム上にアップされたそうだ。僕もさっそく一枚のっけてみる。といってもまだ旅は始まっていないので練習用の一枚だけど。向こうに行ったらがしがしアップします。なので、このblogとそのphotoalbumを合わせて見てもらえるとよいのではないかと思います。

AUSMIP Server ←Top Page
AUSMIP 2005/06 Gallery  ←Photo Album
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ダイワハウスコンペの報告

2005-09-26 21:23:56 | 留学準備
夕方からダイワハウスコンペの表彰式に参加する。
といっても僕は入選したわけではないのでただの傍聴人。普段着のまま自転車で水道橋まで行って、マクドナルドで腹ごしらえしてから高速道路の高架脇にある東京カンファレンスセンターに入った。ダイワハウスの21世紀住宅コンペは、この夏に挑戦した一つ目のコンペである。二週間くらい前に落選の結果がメールで来たときにはかわしまくんと二人してがっかりした。夜中にかわしまくんが憔悴した声で電話をかけてきたので、僕が「僕らの連戦連敗のスタートだね」と慰めるつもりで言ったら、かわしまくんは「いや、俺は連敗はしたくない!」と力強く否定していたっけ。はじめは「落選したコンペの表彰式なんて…」と少し思ったりもしたけど、これを本当の意味で僕らの糧にするためにも、逃げては行けないと思い直したのであった。かわしまくんは所用で参加できず、僕が一人で参加した。

受付で名前を告げて中に入ると、思っていたよりも狭い会場。
もっと大々的にセレモニーが行われるのかと誤解して少し心配だったけど、これなら普段着でも許されそう。入賞者のプレゼンテーションが掲示されていたので見てみる。繊細できれいなプレゼンだなと思った。しばらく順番に眺めていると、審査員のせんせいが話しかけてきてくれた。「惜しかったね。面白かったけどね。最初のセレクションには残ってたよ」「ホントですか?ありがとうございます!かわしまくんにも伝えときます!」「…で、どんなのだったっけ?」「(あれ~…。)」自分たちの提案について軽く説明させてもらいながらも、勝負はとにかく勝たなきゃダメなんだ、と思い知らされた。慰められて溜飲下げてるようじゃおしまいだ、うん。

主催者、後援者の挨拶から始まる。
ダイワハウスと新建築社、それぞれのトップが出席していることにビビる。応募総数は507点で、アメリカやスイス、中国からも応募があったとのこと。大学生だけでなく、一般からの応募もあったそうだ(佳作の中にも一点一般からの応募が入選していた)。表彰状が授与された後に優秀作品三点について本人からプレゼンテーションがあった。

以下はそれを聞いた僕の個人的な覚え書き(制作者本人の制作意図とは必ずしも一致しないこともあります。あしからず)。

優秀賞 あやしろけいさん
タワーパーキングのリノベーション。車のサイズが以前よりも大きくなってしまった等の理由で使われなくなったタワーパーキングを、夫婦のための住宅にコンバージョンする。車を載せていた床を間引いて、残った床を可動式の部屋にする。機械仕掛けで円運動する部屋はときには自分の意志と関係なく動いてしまうこともあり、部屋と部屋の関係は常に変化し続けるので、意図せざるコミュニケーションが生まれる。

審査員のやまもとりけんさんからは「これは単なる一つのリノベーション事例なのか、それとも新しい建築の考え方の提案なのか」という良心的なフリがあった。あやしろさんは質問の意図が分かっていなかったらしく「これはタワーパーキングの救済策です」と答えてしまっていたけど、りけんさんは「タワーパーキングから出発してもいいけど、平面図の書けない住宅という新しい可能性が開けていたのだから、その先まで行ってほしかった」とエールを送っていた。ちばせんせいは「タワーパーキングはそんなにたくさんあるわけでもないので、ぜいたくで特権的な住宅になってしまう。もっと人がたくさん住むような集合住宅を考えた方が、問題はより難しくなったし面白かったのではないか」とエールを送っていた。

優秀賞 まつしげひろきさん
郊外住宅地の再編成。家族や住宅や街区を解体し、もう一度新しいルールで再編成する。個人が生活できる一単位を三角の中庭を囲んだ三部屋とし、それが連続していくことで”住宅”ができる。やがてそれは街区全体に広がり、すべてがひとつながりの疑似家族が生まれる。

ふじもりせんせいは「家族を個人に解体すると言っているのに最終的にすべてが一つの家族になるという提案は結局家族という枠組みに立ち戻ってしまっているので承服できない」とエールを送っていた。やまもとりけんさんは「すべての部屋が等価に連なっているという図式は面白い。部屋も廊下もなくすべてが同じ性質を持っているという図式はどこまでが一軒の家かわからないような集合住宅を生み出す可能性がある。だからあなたが図面に書き込んだようなLDKはむしろこの空間にはそぐわない。どう住むのか、というところまで想像して提案するチャンスだったのに」とエールを送っていた。ちばせんせいは「郊外住宅地という設定に違和感を持った。ある一つのシステムがすべてを覆い尽くさないと目指すものが実現できない、というスタンスはどうなのか。それは建築が閉じすぎてはいないか。周りとどう関わるかを考えたときに、すべてがそれになるという答えしかないのだろうか」とエールを送っていた。

最優秀賞 うめざわかずみつさん
京島の木造密集低層地域の段階的な再開発計画。個室網(「個室群」ではないところがうまいなと思った)と時間差利用というキーワードを使って、共有でもない私有でもない新しい住宅のあり方を提案している。既存の建物との共存を考えた結果、そこにしかない形態が生まれた。

やまもとりけんさんは「コンペの条件である敷地面積400平米以内を大きく違反している。しかしそれも、それくらい大きな範囲を考えなければ21世紀の住宅は提案できないというメッセーシだとポジティブに受け取ることにした」とエールを送っていた。ちばせんせいは「一度小さなものに解体した上でそれを加算していくというやり方が、接道していない敷地が多くて工事が難しいこの敷地のコンテクストに合っている。30年というスパンで考えていることや、よくわからないけれどマネージメントらしきことにも触れていることが好印象だった」とエールを送っていた。

最後に審査員一人一人から総評。
やまもとりけんさんは、住宅のことをこれほど具体的に考えて勝負できるコンペはないのだから、もっと具体的な「これなら実際にできるかもしれない」という提案が欲しかった、と言っていた。ふじもりせんせいは、佳作受賞者ひとりひとりにまで細かくコメントしていた。そして「歴史家としてはこれらの提案が実際にどうなっていくのかに興味がある」と、メタボリズムが現実の建築には何の影響も与えなかったことを引き合いに出して語っていたのが面白かった。ちばせんせいは、都市と建築が隣り合っているという緊張関係に興味があると自分の考えを述べた上で、これからも継続して都市や住宅の問題を考えていくことの大切さを選にもれた僕らに向かっても語りかけているのが印象に残った。

終了後、審査員の先生方はすぐに退席されてしまったが、僕は会場に残って掲示されているプレゼンテーションを見直していた。主催者は「現在の建築界の雰囲気・トレンドを反映したものが多く、類型化されていた感がある」と語っていたが、僕らが提出したタイプの提案はないような気がした。でも、それが良いことなのか悪いことなのかはわからない(ここに僕らのが並んでいてもバリエーションとしては面白かったのに、とは思ったけど)。入賞作の中には共感できるものもあったし、共感できないものもあった。優秀者のプレゼンテーションを聞いていて「ああ、それ僕らも考えた」と思うこともあったし、「その発想はいくら考えても僕らからは生まれないだろうな」と思うこともあった。どの案も、言いたいことがわかりやすかった。だから「そこは違うんじゃないの」とつっこむこともできるのだ。入賞している人はかならずどこか尋常じゃない部分を持った提案をしている人だった。でも住まい手のストーリーをまったく考えてないなこの人、と思うような案には共感できなかった。僕が「負けた~」(方向性が全く違うものはのぞいて、同じ土俵の上で戦って負けた、という意味)と思ったのは、ぬのめかずやさんと、きたがわみなこ&はまだしんたさんと、かめいかずみさんです。負けて晴れ晴れって感じのくやしさだけど。それにしても建築は残酷である。勝者にはより高い場所へとジャンプするための厳しい批評が与えられる一方で、敗者には当たり障りの無い慰めの言葉が与えられるのみ。勝たなきゃ、勝たなきゃダメなんだコンペは。ふつふつと闘志が…。

って感じだったよ。かわしまくん。
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ファイブ

2005-09-26 19:36:25 | 留学準備
本郷郵便局に転居届を出しにいく。
窓口で用紙をもらって、転居先には群馬の実家の住所を記入。郵便物の転送は一年間有効だと説明を受ける。半年後に帰国するのでまた住所を戻したい旨を伝えると、そのときにまた転居届けを出してくださいとのこと。

そのまま大学に行って研究室に航空券を受け取りにいく。
旅行会社の方が研究室に預けておいてくれた封筒を受け取る。中をあけると、深紅のソフトケースに入った往復の航空券。そして領収書等の事務所類に混じってミュンヘンの地図が!早速地図を広げてみる。ドイツ語ばかりでよくわからないけど、なんとも言えないワクワク感が沸き上がってきた。僕はこれからここへ行くんだ!

返す刀で、近所の時計店に行って腕時計を修理に出す。
もともとしばらく前から壊れて動かなくなっていたものなのだけど、父からもらったものでもあるので壊れたまま腕につけていたのである。最近はあまり使われていない機構の腕時計らしく、普通の時計屋さんでは「見たことありませんねえ。無理ですねえ」と言われてしまうのであきらめていたのであった。でも最近偶然にも「全日本時計修理協会認定の店」みたいな看板の店を近所に見つけたので、せっかくなので直してからドイツにも持っていこうと思い、訪ねてみたのだ。いかにも職人さんらしき面構えのおじいさんが出てきたので、時計を外して渡すと、「ああ、これはいわゆる“ファイブ”だね」とおじいさんはニヤリ。「ええ、父が昔父の兄から高校入学祝いにもらったものを僕が高校に入ったときに父からもらったんです」「最近セイコーが五千円くらいで似たようなの出してるけど、ありゃあ名前は同じだけど全然違うね。これは本物のセイコーファイブだ」。そう言っておじいさんは慣れた手つきで時計を分解し、中身を調べ始めた。「右に二回、左に二回…」などと呪文のようにつぶやきながら何かを確認し、「バネは壊れてないね。俺はこいつのことはよく知ってるからわかるんだ。おおかた何かが詰まったんだろう」。すぐ直りそうでよかった。「どれくらいで直りますか?」「う~ん、悪いけど一万二千円は欲しいね」「あ、そうじゃなくて期間…もちろんお金はお支払いしますけど」「そうだね、一週間あれば直るね」ここで例のごとく「留学の出発が近いので」という話をすると、最優先で取りかかって出発日前々日までに直してくれると約束してくれた。
帰り際、「ところで、これ前にも直してるね」と言っておじいさんは時計の裏蓋の裏側を見せてくれた。そこには「平成14年2月24日 小見山さん江」との文字がペン書きされていた。確かに東京に来てからこの腕時計を直すのは二回目なのである。僕が三鷹に住んでいた頃、やはりこの腕時計を落として壊してしまい、「無理ですねえ」と大きな時計店をたらい回しされた挙げ句、駅前にあった古びた小さな時計店にダメ元で入ってみたのであった。そのときもおじさんは職人肌の人で、「セイコーファイブなんて今時珍しいね。確かにこのタイプの腕時計は今は直せる人は少ない。でも俺なら直せる」みたいなことを言って喜んで引き受けてくれたのであった。後日、修理された腕時計を受け取りにいくと、そのおじさんが「また壊れたら持って来な。俺が直してやるから。そのとき俺が直したあの時計だってわかるように中に名前書いといたから」みたいなことを言っていたのを思い出した。僕はてっきり、大工が自分のつくった家の中にわざと大工道具を置いていくように、おじさんが自分の名前を僕の時計の中に記念に書き残したのだと思っていたのだけど、おじさん、僕の名前を書いてくれてたのか…。時計を開ければあのおじさんの名前が思い出せると思っていたのだけど。今でもあのおじさんの時計店は三鷹台駅前にあるのだろうか。
 
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運の使いどころを間違う?

2005-09-25 19:54:11 | 留学準備
ヨドバシカメラに行って電子辞書を買った。

せっかくなので秋葉原にできたばかりのヨドバシカメラマルチメディアAkibaに行ってみた。
広くて明るい店内を所狭しと客がうごめき、呼び込みの店員が声を張り上げる。まるで祭りか喧嘩かという雰囲気の中、電子辞書コーナーに行ってハッピを着た店員さんに相談する。ドイツとフランスに留学することを告げ、その両方が入っているタイプを選んだ。電子辞書の定番であるが、カシオのエクスワードを購入(ドイツ語バージョンを買ってフランス語辞書を追加した)。ケース同時購入のキャンペーン中だったので、オレンジ色のセミハードケースもついでに購入。僕すぐ物をなくすので目立つオレンジ色ということで(なんとなくミュンヘンのイメージにも合ってるし)。

帰り際、入り口のところで福引きをやっていた。
TX開通とヨドバシカメラ開店を記念してやっているらしい。三万円以上のレシートがあれば一回引けるということなので、電子辞書のレシートを見せて引いてみる。箱の中から玉を出してみると青玉。「おめでとうございま~す!」カランカランとベルが鳴り響き、一等が当たってしまった。といっても木下大サーカス@TX柏の葉のペアチケットだけど(6000円相当)。受付のおねえさんから大きな紙袋を渡されたのでなんだろうと思って見ると、封筒に入ったチケットと一緒に大きなぬいぐるみ(CMでおなじみのあの電車の人形)が入っていた。これって二等の賞品じゃなかったけ…?よくわからないけど、一等も二等もまとめてもらってしまった(残るは三等の入浴剤のみだけど、それはくれなかった)。よく見てみると、チケットの有効期限は来月から年内いっぱいまで。それじゃ僕日本にいないから意味ないし…泣(金券ショップにでも売ろうかな)。それにしてもこんなところで運を使ってしまっていいのだろうか、僕。
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一巻だけを読んでみる

2005-09-25 06:51:57 | 留学準備
せっかく漫画喫茶に来ているので漫画も読んでみる。

ただしあまり時間もないので最初の一巻だけ読んでみることにする。
店舗が狭いせいか本棚間の隙間もありえないくらい狭いのだが、それでも体をよじらせながら気になった漫画や聞いたことある漫画を何冊かまとめて手にとって(ルール違反?)席に戻る。『らんま1/2』(高橋留美子)、『モンキーターン』(河合克敏)、『ドラゴン桜』(三田紀房)、『BECK』(ハロルド作石)と読んで、『ちょびっツ』(CLAMP)を読み始めたところで時間になってしまった。延長料金を払いたくないので先が気になるけどそろそろ帰ります。
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ニョロニョロ、ドイツへ行く

2005-09-25 03:30:21 | 留学準備
水曜日にパソコンを修理に出したので、しばらくパソコンを使えないでいた。書き残したいことがたくさんあってもblogを更新できず…。なので今近所のネットカフェにこもっている。blogをまとめて更新したり、WEBメールをまとめて返信したり。23時から始まるナイトパックは七時間で1500円なり。気の抜けたコーラやどぎつい色したメロンソーダが飲み放題(でもそういうのが意外とうまいんだよね)。

金曜の夜に、友達が企画してくれた「見送る会」があった。
渋谷で飲んで、ボーリングして、カラオケして。気のおけない友達たちと過ごす時間。寂しくなるから明るく送り出してねとリクエストしたら、そのとおりの楽しい時間を用意してくれた。はなむけのプレゼントにニョロニョロ(ムーミンに出てくる白くてにょろっとした生き物。集団で生息し、雷を食べる)のビニール製おきあがりこぼしをもらった。さっそく空気を入れて膨らませながら、「なんで僕はこれなの?」と聞いたら、「こみーの好きなニューマチック(空気膜)構造だし、こみーってニョロニョロに似てるし…」ニョロニョロおきあがりこぼしは人気者で、僕の手を離れて会の間中みんなにいじられていた。ドイツ行ったら部屋のどこに飾ろうかな~。

見送る会の二次会では、ヤナギの家に行った。
買ったビールそっちのけでPS2のウイニングイレブン9に熱中。タップでコントローラを四つつないで六人でローテーションして対戦した。二人が寝てしまってからは四人でチームを組んでカップ戦モードにチャレンジ。はじめは四人の動きがかぶってしまったりしてチームは機能しなかったが、徐々にそれぞれの動きの特徴がわかってきて役割分担が自然とできていった。終盤は四人の動きが流れるように連動。サイドからおのくんの上げたクロスボールに、ゴール前にオーバーラップした僕がニアに詰めてディフェンスを引き付け、くまいくんがファーでこぼれ球に備える。そして中央に走りこんできたヤナギが豪快にシュート。僕らのチーム(愛称ミツオジャパン)に初めて得点が生まれた瞬間だった。アジア一次予選を勝ち抜いて最終予選に駒を進めたところで朝になったので、続きは僕がドイツから帰国してからということに。眠い目をこすりながら(そしてコントローラの押しすぎで腫れ上がった親指をさすりながら)、友達たちと別れる。ドイツにも遊びに来てね!

僕には一緒にいると楽しい友達がこんなにいたんだなあということがわかった「見送る会」だった。ドイツでも頑張れるかも、と勇気付けられた。一次会の最後に決意表明求められたときの「今日はどうもありがとう。行ってきま~す!ニョロ、ニョロ☆」という僕の渾身の腹話術ボケはダダすべりだったけどさ…。
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