ミュンヘンなんて、どこ吹く風

ミュンヘン工科大留学、ロンドンの設計事務所HCLA勤務を経て
群馬で建築設計に携わりつつ、京都で研究に励む日々の記録

引っ越した

2013-09-03 02:24:41 | ロンドン・hcla
8月末にマリルボーンに引っ越した。階下の住人が存在しないはずの騒音(幻聴)で僕を責めるというトラブルで以前の部屋に住み続けることができなくなり、どうせならと思い、さらに会社の近くに引っ越した。徒歩15分。眠くなるまで会社にいても布団に直行できる距離。普段の行動範囲はだいたい徒歩圏になった。初心に帰り、シングルベッドと小さな机のみの居候住まい。カーテンの取り付けとか日曜大工を手伝ったりしつつ。



東を向いた部屋の窓から見える風景。まぶしい朝日で目が覚める。奥に見えるのはBTタワー。建設中の1962年にセントポール寺院を抜いてロンドンで一番高い建物になり、1980年までその座を守り続けた。1981年以降一般は立ち入れない施設になったが、夜になると照明が灯って、ほっとする。部屋は幹線道路に面しているので夜行バスやタクシーの音で夜も寂しくない(うるさい)。ペルシャ人の老婦人である大家さんは、ドイツ人の旦那さんを亡くした未亡人。ハンブルグで暮らしたあとロンドンにやってきてふたりでソリシター事務所を開いた。7年前に旦那さんが亡くなったあと残された事務所を切り盛りしていたが、旦那さんが残した案件を保証すべき期間が過ぎたので、頃合いを見て事務所をたたもうとしているらしい。一階と二階に執務室が入った建物の最上階に大家さんと僕ともう一人の下宿人で暮らしている。エドワード朝時代の古い建物。床が傾いていて体重計がうまく作動しない。僕の部屋は娘さんが使っていた部屋らしく、放置されていた空き箱を片付けようとしたら亡くなった旦那さんと娘さんの間で交わされたたくさんの手紙があふれ出てきたのでそっと元の場所に戻した。娘さんは近所に住んでいて、古い家具の補修塗料の研究をしているらしい。


父と参加していたプロポは8月の初めに提出。手応えはあったが、今は結果を待っている状態。父の還暦の誕生日にヒヤリング、来年僕が帰国するタイミングで実施設計開始、と巡り合わせの妙も感じたりしたのだが、果たして。

ブリストルの振付家とSHARISHARISHARIでコラボレーションしているダンスプロジェクトCity Of Surfacesは、思わぬところからまずは引きが合って、そこから急展開を見せている。プロトタイプは思いも寄らぬ場所で11月に披露される予定。

SHARISHARISHARIホテルチームは8月半ばにお施主さんに送った4案へのフィードバックが返ってきたところ。僕は遅れ提出にしてもらっていたので、フィードバックを横目で見つつまずは自分の案の完成に向けてこつこつ。

会社で携わっている現場のプロジェクト。発注者であるクライアントへ忠誠を尽くすアーキテクトであると同時に、現雇用主であるコントラクターの現場アーキテクトでもあるという立場。いろいろなことが起こるわけであるが、真摯で一途であれば道は開けるのだなあと思いながらやっている。


先週、母方の祖母が亡くなった。告知はあったが、それでも報せは突然に感じた。帰国は間に合わなかったので、奥さんが僕の分までお葬式に参列してくれた。6月に帰国した際に二人で祖母に会いに行っておいてよかったと思った。僕が送った弔電は、母の挨拶と偶然にもリンクする部分があったそうだ。
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