顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

偕楽園公園の桜…2019

2019年04月10日 | 水戸の観光

千波湖は、上市台地と千波緑岡台地の間の低湿地帯に那珂川氾濫などでできた浅い沼であったとされます。江戸時代初期には水戸城を防御する大きな水堀として位置づけられ面積も現在の3.8倍あったといわれます。

現在は約33.2haの千波湖、都市公園の面積で世界第二位の偕楽園公園の真ん中に位置しており、一周3キロのコースがマラソンや市民のジョギングで利用され、さらに湖畔に植えられた約750本、30種の桜がこの時期目を楽しませてくれます。



桜の花びらが固まって流れている様子は「花筏」という季語になっていますが、その真中に白鳥が!…夢中で花びらを食べていました。ネットでは白鳥の好物という記事もありよく見ると鴨も食べていて、なんと鯉まで大きな口を開けて吸い込んでいました。

湖畔に設置の「デゴイチ」は、昭和16年の製造、水戸機関区のSLが全廃になったとき当時の国鉄に要望し、昭和46年からここに展示されており「デゴイチを守る会」によって清掃と保存がされています。

この公園の主体はもちろん偕楽園、その見晴広場の真ん中に咲く左近の桜は遠くからもよく見えるランドマークです。高さ約16m、幹周囲3.9m、偕楽園を開設した斉昭公の正室登美宮降嫁の際賜った御所の桜の三代目になります。

園内の二季桜も満開、秋にも咲いて春にもさらに見事に咲く力に驚きます。同じ株元から出ている二本の枝の花は左右明らかに違いますが…?

偕楽園は表門から入ることによって、陰と陽の世界が体感できるといわれます。門の左側には椿(陰)、右側には桜(陽)の大木があり、入り口で陰陽を表しているという説もあります。

茶室などの垣根に使われる柴垣の材料は、萩の枝が最高とされます。なかなか手に入らないこの材料ですが、偕楽園では大きな萩の樹叢が150群もあるので、竹林付近の景観つくりに約立っています。

マントに高下駄の旧制水戸高校生の立像、向学立志の像にはやはり桜が似合い、嗚呼玉杯に花受けて~♪のメロディーが浮かびます。右手にコンサイスの辞書と文科理科を象徴する2冊の本を抱えていると案内板にありました。



水戸藩第2代藩主徳川光圀公(義公)・第9代藩主徳川斉昭公(烈公)を祀る常磐神社、境内には義烈両公の遺品、遺墨をはじめ水戸学関係の資料等が展示の義烈館や東湖神社、三木神社などもあります。

偕楽園の南側にある桜山は桜の名所、斉昭公は当初この場所に偕楽園を造ろうとしましたが手狭なためここには桜を数百本植えて桜山と命名し、好文亭と相対した一遊亭という御休処を建てました。現在でも一帯に約370本の桜があります。

護国神社には、幕末の水戸烈士1800余柱、第二次大戦の茨城県出身戦没者63000余柱の霊が祀られ、境内にはペリリュー島で戦死した、水戸第二連隊主体の約1万人の慰霊碑も建てられており、また違った気持での桜鑑賞になるかもしれません。

この桜川上流に光圀公は、桜の名所である磯部の桜川(今の桜川市)からヤマザクラ数百本を移植し、川の名前を「佐久良川」と改めこれが桜川の起源といわれます。

千波湖から那珂川に至る水戸駅南の桜川下流堤防両脇には、ソメイヨシノ中心に約250の桜が満開、市街地なので昼休みなどに散策する姿も見られます。

偕楽園内の好文亭は、どの季節でもいろんな花に彩られこの公園のシンボルになっています。

さくら訪ねて…2019

2019年04月08日 | 季節の花

親鸞上人ゆかりの阿弥陀寺(那珂市)の糸枝垂桜は樹齢約320年、寺伝では親鸞上人末孫16代住職信栄の時代、元禄11年(1698)3月7日光圀公御成の際に自らお手植えされたと伝わります。

中世の大城郭額田城の一画に位置し、寺院裏手にはその広大な城郭の一部が残っています。鐘楼のある珍しい山門は、那珂八景「額田の晩鐘」にも入っていますが、天狗騒乱で今の5倍の大きさだったといわれる本堂などが燃えてしまったので、それ以後の建立でしょうか。

こちらも光圀公ゆかりの六地蔵寺(水戸市)、創建は大同2年(807)頃といわれる真言宗の古刹で境内に残る法宝蔵は光圀公が建立しました。樹齢200年の見事なシダレザクラは、光圀公が鑑賞した桜の子孫といわれておりますが、近年傷みが見られ後継樹の方が大きくなってきました。

墓地には、大日本史編纂の彰孝館総裁をつとめた立原翠軒や、明治になってからもその完成に尽力した栗田寛、勤親子の墓があります。また、樹齢1,100年を越える大杉や800年の大銀杏もあり、静寂な景観の中で鑑賞できます。

那珂市の法満山一乗院は日本一の毘沙門像があることで知られ、境内の毘沙門堂前にしだれ桜が咲いていました。

日本一の毘沙門像は高さ約16メートル、胎内巡りもできるようです。広い境内にはいろんなお堂や石像などが並び観光地のように看板が立ち並んでいます。

東光山護国寺(大洗町)は日蓮宗の寺院、境内の案内板によると昭和4年の創建で当時は立正護国堂と呼ばれ日本精神の研修道場として、初代住職井上日召のもとで学んだ青年たちが血盟団事件などを起こしました。

大井神社(水戸市)の祭神は建借馬命(たけかしまのみこと)で崇神天皇の御代、当地の夷賊を退治し後に那珂国国造となったといわれ、奈良時代にこの地を治めた宇治部氏が建借馬命を祭神として奉祭したといわれます。

もとは意冨比(おほひ)神社といい延喜式内社(平安時代の「延喜式」の神名帳に記載されている神社)で那賀郡七座の筆頭社として登録されています。なお東方にある近辺最大規模の愛宕山古墳は、祭神・建借馬命の墳墓であるとされます。

弘仁元年(810年)弘法大師の開創と伝わる高根山大山寺(たいさんじ)は城里町にある真言宗の古刹で、仁王門と鐘楼を覆う桜がちょうど見頃でした。

本尊は大日如来で、子供の夜泣き、ひきつけなどの虫封じ、子授け、開運厄除に霊験あらたかとされ、「虫封じ高根山」として広く信仰されてきました。

大洗磯前神社(大洗町)の主祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)別名大国主命と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二神、共に力をあわせて国造りを行ったことが『古事記』などに記されています。

海に面した高台にあるので、最後の鳥居を振り返ると大海原が目に飛び込んできます。

平重盛の墓で知られる白雲山小松寺(城里町)は、天平17年(745)行基の開山と伝えられる真言宗の古刹で、本尊は大日如来です。

平成8年に水戸市の愛称名「さくら通り」に決まった総延長5キロの道路は、車線拡幅のため抜根されて桜の残っている区間がだんだん少なくなってきました。

締めは涸沼自然公園(茨城町)、約34haの丘陵をあまりいじらずに遊歩道と広場を作った公園なので、自然そのものを楽しめます。なんと言っても人が少ないのが最大の魅力です。

偕楽園公園NOW…2019春

2019年04月05日 | 水戸の観光

千波湖畔の桜は約30種750本といわれますが今年は去年より幾分遅く、3日ではまだ2~3分咲き、暖かい予報の週末には満開となるのは間違いありませんが…。

柳といえば枝垂れ柳が代表品種、その芽吹きの美しさでも知られ、俳句では芽柳、柳の芽が季語になっています。
花壇の畝にあるのは、何故か雑草のホトケノザ(仏の座)です。

この時期、好文亭下の常磐線沿いは、ユキヤナギ(雪柳)の白で埋め尽くされます。

ヤドリキ(宿り木)は、ヤドリギ科ヤドリギ属の常緑小低木、宿主は落葉樹なのでこの時期は目立ちます。粘液質の果肉に包まれた種子は、鳥の消化管では消化されず粘性を保つので排泄後も宿主に粘着して増えていくそうです。

吐玉泉下の水場には水芭蕉が顔を出しました。きれいな湧水群がありますが、工事で出た汚泥を入れられたので、生育環境はあまり良くないと世話をしているYさんの話です。往時の千波湖周辺には自生していたといわれる水芭蕉、ぜひ増えていってもらいたいものです。