顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

去年今年(こぞことし)は新年の季語

2016年01月01日 | 俳句
一般的な文章ではあまり使われませんが、同じ一日で同じように時は流れているけど、去年から今年への変わり目の感慨を表した季語として、俳句ではよく詠まれています。
高浜虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」という有名な句があります。大岡信の解釈に、「この句はこの季語の力を最大限に利用して、新春だけに限らず、去年をも今年をも丸抱えにして貫流する天地自然の理への思いをうたう。「貫く棒の如きもの」の強さは大したもので、快作にして怪作というべきか。」とあります。


さて今朝、新しい年へと棒のようなものが貫きました。しかしもうすでに、町内の土手の日本水仙、我が家の家庭菜園の菜の花、ピンクの侘介などが満開、いたる所で早い春の訪れが感じられています。
この地方は、長い間雪に閉ざされるところに比べれば、厳しい冬と言う表現を使うこと自体憚れますが、それでも暖かい春が待ち遠しいことに変わりはなく、春の気配が早く感じられるのは決して悪いことではありません。


新しい年にいいことがたくさんありますように、偕楽園公園の辛夷の芽の膨らみに、今年の希望の膨らみを重ねてみました。
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。拙いブログを読んでいただきありがとうございます。皆さまのご多幸とご健康をお祈りいたします。

去年今年ひん曲がりたる棒もあり   稲畑廣太郎(高濱虚子の曾孫)
我をのせ廻る舞台や去年今年  上野泰(高浜虚子の六女、章子と結婚)

ニュートリノ降り注ぐ星の去年今年  顎鬚仙人

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