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顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

枕石寺(常陸太田市)  親鸞聖人が石を枕に寝たという…

2020年04月08日 | 歴史散歩

浄土真宗24拝の第15番寺の枕石寺(ちんせきじ)は、倉田百三の「出家とその弟子」の中の「枕石事件」のストーリーの通り、親鸞の弟子入西房道円の開基として知られています。
それは建暦2年(1212)親鸞聖人が弟子と常陸国の教化途中、折からの吹雪に一夜の宿を求め、日野左衛門という武士の家の門を叩いたことから始まります。この男は文武両道に優れ京で北面の武士を務めていましたが、傲慢な素行のため常陸国に流罪にあっており、この地で門弟を抱え金貸しなども営んでおりました。

日野左衛門はその日、借金の取り立てがうまくいかず、やけ酒を飲んでいたところで、宿を断ってしまいました。聖人は仕方なく門前で石を枕に「寒くとも袂に入れよ西の風弥陀の国より吹くと思へば」と詠まれ、一夜を明かすことになりました。

その夜、日野左衛門の夢に観音菩薩が現れ門前に阿弥陀様がおられると告げられ、すぐに聖人を館に迎え入れ弟子となり入西房釈道円という法名を授けられたということです。

本尊は、延宝元年(1673)に水戸藩2代藩主光圀公が寄贈したという阿弥陀如来で、寺宝として親鸞の筆とされる六字名号、親鸞が大心海の文字を刻んだ枕石が所蔵されています。なお、この枕石は、年に一度、11月26日に公開されるそうです。

本堂わきには久慈川支流の山田川が流れています。
枕石寺は、親鸞が訪れた大門村から内田村に移り、そして天文9年(1541)、9代目道清法師の時に現在地の河合村(常陸太田市上河合町)に移転、建立以来実に808年の歴史をもつ名刹です。
延宝6年(1679)光圀公から「大門山」の山号と額が贈られたと伝えられます。