ひたちなか市の平磯から磯崎の海岸一帯は、湘南のような海辺のドライブウェイともいわれ、また家族連れの磯遊びでも人気のスポットです。
よく見ると、北に傾斜した岩礁の地層が続いています。これは8000万年前の中生代白亜紀の地層で、県の天然記念物に指定されています。当時この周辺は深い海の底で、陸では恐竜達が闊歩し、海ではアンモナイトや海棲爬虫類が繁栄していました。
その太古の地層が褶曲、隆起して、砂岩、泥岩、礫岩からなる岩石が、柔かい部分は波に侵食され、硬い部分が残って鋸の刃のように連なっています。この地層からはアンモナイト・ウニ・二枚貝・サメなどの化石も発見されています。
水戸藩2代藩主光圀公が命名したとされる清浄石の石碑が建っています。このこぎり歯状の海岸一帯は古来より神磯とよばれ神聖な場所とされ、酒列磯前神社の酒列(さかつら)とはこの神磯を指しています。
先端の四角の平らな岩が清浄石で、約3.6m四方の形から護摩壇石、阿字石ともよばれ弘法大師、親鸞聖人により護摩祈祷が行われていたとの伝えまで残っています。なお、海水浴場として有名な阿字ヶ浦は、阿字石前の浦なので名付けられたそうです。
岩礁地帯を過ぎた高台には、水戸藩第6代藩主治保公が、当時白砂青松の海岸と西に阿武隈の山を望む風光明媚なこの地を賞賛し、寛政2年(1791)に比観亭と名付けた「お日除け」(東屋)を建てさせたとの碑があります。
この比観亭に掲げられた扁額は、彰考館総裁立原翠軒が筆をとり桜の板に彫刻したもので、隣地の酒列磯前神社に保管されているそうです。
現在の比観亭跡からは、眼下に小さな漁港、磯崎港が一望できます。右方が白亜紀層の岩礁地帯、左方が阿字ヶ浦海水浴場とその先に常陸那珂港があります。