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パンダ好きな私のある日の出来事

パンダが好きです。
そんな私の毎日の中で・・・
起こったこと。行ったところ。

紅葉の三溪園

2012年12月06日 23時21分41秒 | 旅行
紅葉が美しい三溪園に行ってきました。
ほたるを見に行ったり、梅を見に行ったり、お弁当を食べに行ったり、何回か行っているけれど、そういえば、内苑をじっくり見たのは初めて。
横浜とは思えない景色でした。



永観堂のような橋がかかってます。
ちょっと小さいけど。



二条城から移したというお茶室。
2階の窓からは三重の塔が見えるんだそうです。



豊臣秀吉が作ったというお堂。
明治、大正、昭和と横浜で財をなした原家が集めたのは、古美術だけじゃなくて、全国の(というか京都とかの)古い建物。
それを集めたのが、三溪園なのね。
・・・・なんだか不思議。
建物を収集したっていうのが。
そのおかげで、今まで伝わったものもあるんでしょうね。



織田有楽斎のお茶室と言われてるお茶室。
お茶室がたくさんありました。



黄色の世界に。


赤の世界。

京都か鎌倉に来たみたい。
なんだか得した気分ね。

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三溪園のあと、赤れんがに移動して、billsでパンケーキ。



リコッタチーズが練り込まれたパンケーキ。
甘くないのねん。
ベリーとバナナ。
そうだな、ベリーのがおいしかったかな。

30分ぐらい待って、入って注文してから30分待ち。
おしゃべりしながら楽しめる相手と行かないとね。

勘三郎、亡くなる

2012年12月06日 00時12分57秒 | 芝居
先週、週刊誌で読んで、書かれているとおりの症状なら、今年いっぱいなのかな・・・
と思っていました。
勘三郎が亡くなりました。
好んで見る俳優ではなかったけれど・・・
まだ57歳。
一般社会では、大きな仕事を終えて重鎮になるべき年代ですが、歌舞伎では、これからという年代です。
もったいない。
自分たちの一門で、一座をくむことが多くて、いわゆる大歌舞伎の一座に出る機会が少なかった勘三郎。
積極的に追いかけたい俳優でもなかったのと、見たい出し物もなかったから、最後に見たのはさよなら歌舞伎座の最後の興行でした。
助六の白酒売をやったんだと思います。
大一座での、寺子屋・源蔵なんかは強い印象に残っています。
髪結新三は、菊五郎の重めでいやらしい悪党・新三よりも、若くて明るい愛嬌のある新三で、別の魅力がありました。

平成中村座の舞台(新しい歌舞伎)、一門での舞踊会、喜界が島での俊。
最近は、そういう試み的なものが多かったけど、だんだんと大歌舞伎に戻るもんだと思ってた。
ニンがかぶってしまうけれど、吉右衛門との共演だって見たかったし、菊五郎との共演だってありえたんじゃないかしら。
今までの外での積み重ねで、伝統ってもんがどんなものがわかって、これからじっくり腰をすえて古典に、大歌舞伎にがんばるときだったはずなのに。
もったいない。

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おそらく、私の父が亡くなったときの状況と同じだったんです。
大変苦しんだと思います。
それを見る家族のつらさはいかばかりかと思うと、心が痛いです。
もったいないとは思うけれど、楽になってよかった。
ちょっと休んだら戻ってきてくれないかな。
今でも、私が父に思うことです。

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そういえば、父が私に初めて歌舞伎を見せたのは、小学校1年生のとき。
国立劇場の鑑賞教室。野崎村でした。
松江(魁春)のお光でした。
それから、4年生のときに吉右衛門の俊。
5年生で、勘九郎(勘三郎)と芝翫で、女殺油地獄。
花道脇で見たのをよく覚えてます。

今年は、訃報が多い。
父と一緒に見た芝居に出てた人が亡くなります。
山田五十鈴、森光子、勘三郎。
オペラの畑中良輔。
お父さん、びっくりしちゃってるんじゃないかなぁ。