本が好き 悪口言うのもちょっと好き

読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

禅と脳

2009-10-24 | その他
禅と脳―「禅的生活」が脳と身体にいい理由
有田 秀穂,玄侑 宗久
大和書房

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 ”脳ブーム”だというのは知ってたけれど、先日テレビを見ていたら、今、”仏教ブーム”でもあるらしいんですね。東京では、”仏女”と呼ばれる”仏教かぶれ?の女性をターゲットにしたいろんなイベントが盛況とのことだが、そういえば、”仏陀再誕”という映画の大きなポスターを駅で見たなぁ・・・(あ、あれは仏教とは関係ないか?)

 

 別にそのブームに煽られえてこの本を手にしたわけではありませんが、でも、このブームのおかげで、この本が私の目のつくところにあったとも言えるのかもしれません。

 

 本書は、禅僧である玄侑宗久氏と医学部教授である有田秀穂氏の対談です。

 

 有田氏は、セトロニン神経という脳内の神経の働きに注目されているのだそうですが、このセトロニン神経のことを

 

 起きているとき、覚醒しているときにずっと活動しています。そして呼吸法やリズムの運動をするとその活動レベルがぐっと上がってくるわけです。上がると、大脳皮質の働きが抑制されたり、痛みを抑えてくれたり、姿勢をよくしたりなどいろんなことが起こります。

 

 ところが、特定の働きは何もしていないんですよ。

 

 僕はそれをオーケストラの指揮者にたとえているんです。オーケストラの指揮者は実は楽器を全然演奏していない、けれども、楽曲の一つの状態、雰囲気を作り出すという意味では重要な役目をはたしている。

 

  と説明されます。

 

 またこのセトロニン神経は脳幹という、人間の脳の中では古い部分に存在して、言語や意識をつかさどる大脳皮質に作用し、ベータ波をアルファ波に変えることができるのだそうです。アルファ波といえば、リラックス法などでよく聞く言葉。 

 

 玄侑氏は、意識を抑制することにより得られる世界を、座禅や、瞑想の実践を通して見ておられるので、人間の脳や意識というものを、逆方向からアプローチして出会った二人の対談という感じで、とても面白かったです。

 

 有田氏は大学教授でもいらっしゃるので話すことも慣れてはおられるのでしょうが、しゃべらせると坊主(失礼)だけに、玄侑氏の優勢が目立ちます。

 

 それに、医学、科学の世界に属していて、宗教に近づくのはリスクが大きい。似非科学者とレッテルを張られれば、その後の研究に影響してしまうんでしょうね。だからかもしれませんが、有田氏は当初、玄侑氏の話術に引き込まれないようにととても慎重で、少し腰が引けた感じが見て取れまいしたが、後半はすっかり意気投合という感じで、口も滑らかになってきて、話も盛り上がってました。

 

  とはいえ、本書では、お二方どちらもがプロ。物事を理解するときの、バランス感覚に優れておられるので、似非科学に走ることも無く、オカルトにはしることもなく、安心して、そして楽しめるものでした。 

 

  健康な精神は健康な肉体に宿るという言葉もあり、普通に生活していても意識と体が密接に連携しているということは理解していたつもりなのですが、それでも全然理解していなかったんだなぁということに改めて気付かされました。

 

 ヨガなどが呼吸を重視するのも、科学的に意味のあることだし、禅や瞑想により、意識の働きを押さえることで、”自分”を”体”に任せてしまうと、そこで見えるものがあるんですねぇ・・・。

 

 よく、昔の人の食物に対する知恵が、化学的にも結構正しくて、どうしてそんなことがわかったんだろうと不思議に思っていましたが、昔の人は、単純に自分たちの”体”に敏感だったのでしょうね。

 

  柳澤桂子氏の”生きて死ぬ知恵”という本で彼女の般若心経の解釈を読んだとき、科学と仏教の境界は決して絶対ではないということをぼんやりと感じましたが、今後、もっともっと宗教が面白いことになりそうです。

 

 ただ、それだけに、科学も宗教も取扱いに注意しないと、一流大学の学生たちがコロッとはまって、テロや殺人を犯してしまった、あのカルト宗教団体のようなことになってしまうんだと思いますし、そんな難しい理論が理解できない私のような人は、もっと簡単に”最先端の研究成果をもとに開発された”と称する、食品や化粧品、健康器具、はたまたは勉強の実践法などという広告に惑わされてしまうことは間違いないです。

 

 と、ちょっと怖い気もしますが、それでもこの本を読んで、自分の体に向き合える、瞑想や座禅に、興味がわいてきてしまいました。