コンビニで偶然に見つけたフリーペーパーに載っている菅野みずえさんの文章にハッとさせられた。
「建設中の復興住宅も、全員が入居できるわけではありません。将来的に地元へ帰れる可能性のある避難指示解除準備区域の出身の人の中から、私達のような帰還が困難な地域の人間は「賠償金でさっさと別の地域に家を建てれば良い」といった声も聞かれるようになりました。4年経っても先の見えない状況から、避難住民の間でも分断が進むくらい、みんな疲弊しています。
私は国や県が使う「絆」という言葉は嫌いです。もともと「絆」という言葉は牛や馬を繋ぐ綱のことで、双方の繋がりの強さを示すものですが、私達は誰に引っ張られて、これからどこへ連れて行かれるのでしょうか。」
菅野みずえさんは、福島第一原発から20キロ圏内にあり、原発事故によって帰還困難地域となった福島県浪江町出身。現在は福島県伊達市の仮設住宅在住。積極的に他県へ出向いて自身の体験を語り、人災である原発事故の恐ろしさを訴え続けている。