谷沢健一のニューアマチュアリズム

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ドリーム・ベースボールその3

2005-11-22 | プロとアマ
 さて、試合にはやはり5番ファーストで後半の出場。2打席1安打無失策。なぜか前回とそっくり同じ。安打はレフト線への、我ながら完璧な当たりだった。金田ボス曰く「こら、谷沢よ、素人相手に本気を出すな!」と。また叱られたが、実はボスの内心では「ああ、よかった。素人に負けた試合だが、プロらしさを見せてくれたよ」と思ったらしい。
 後で、ボスが「お前は、ふだん若いもんといっしょにやっているから、体がよく動くんだなあ」と驚き半分に褒めてくれた。膝の調子が悪いボスにとっては、自分自身がまどろっこしいのだろう。
 ボスの推薦だったのか、私は優秀選手賞を苫篠氏(元ヤクルト名内野手)とともにいただいた。その景品は地元産白米10キロだった! (実は、当日の昼食は地元のシェフによる和食で、ご飯がべらぼーにうまかったのである!)
 伊勢崎の皆さん、特に伊勢崎硬建チームの方々、楽しい試合でしたね。

ドリーム・ベースボールその2

2005-11-22 | プロとアマ
 11月19・20日は伊勢崎市野球場で、指導者講習会と地元チームとの試合。この球場には地元の生んだプロ野球草創期の功労者・鈴木惣太郎先輩(早大OBで、日米野球の交流の立役者でもあり、例えば米国進駐軍に接収されていた甲子園、西宮、後楽園の解放を早めた人物である)の碑がある。
 参加したプロOBが全員、碑を見学したが、私は皆が引き上げた後もじっくり碑文を読んだ。読み終えたとき、我知らず自然に帽子をとって深々と頭を下げていた。このような方々がおられたからこそ、プロ野球はわが国で随一のスポーツになれたのである。私たちはぜひともその遺志を継承しなければ、と改めて心に誓った。

ドリーム・ベースボールその1

2005-11-22 | プロとアマ
 ドリーム・ベースボールとは、名球会とプロ野球OB会とが共同参加して催される行事(主催、財団法人自治総合センター)である。元プロと地元アマチュアとの試合と野球教室を主とする。
 年間15会場で行われるが、すべて土日の催しだから、西多摩倶楽部の練習と試合(そして西多摩倶楽部の幹部を通して依頼される地元の行事)を優先していた私は、乞われてもなかなか参加できなかった。
 それで、カネやんこと金田正一ボスに「こら、谷沢よ、たまには俺たちのほうにも協力しろ!」と叱られもした。で、西多摩倶楽部のスケジュールから解放された先月と今月、2回にわたって参加できたのは嬉しかった。
 10月30日は、5番ファーストで出場。2打席1安打無失策で、まあまあだった。遊ゴロでアウトになった時も、打球は完全にヒット性だったが、なぜか我が足では1塁ベースまでが遠く、送球のほうが速かった。すると、観衆から野次の一声、「谷沢っ、真面目に走れ!」
 私も疾走したいのはやまやまだったが、アキレス腱負傷の後遺症かはたまた加齢現象か、アウトになったしだいである。(私はいつだって真面目なんだよ・・・と、いちおう書いておこう・・・)