ポン・ジュノ監督の作品が入っているオムニバス映画『TOKYO!』(2008年)を観てみた。
1:インテリア・デザイン(ミシェル・ゴンドリー監督)
売れない映画監督の彼氏アキラと共にマイカーで上京し、友人アケミのアパートへ転がり込んだヒロコ。
愛車は駐車違反で持って行かれ、仕事も住まいも見つからず、アキラのみバイトの面接に合格して働き始める。
次第にアケミにも疎まれ始めるヒロコだったが、ある日、自分は徐々に“椅子”になって行き・・・
2:メルド(レオス・カラックス監督)
謎の怪人メルド。
彼は東京都内のあちこちのマンホールから現れては走り回り、通行人にぶつかって倒したり、持ち物を奪って食べる等の奇行を繰り返して恐れられていた。
メルドの住む下水道奥の地下深くには、旧日本軍の戦車の残骸や、手榴弾が残されていた。
やがて手榴弾をいくつも持ち出し、渋谷の街に次々と投げ、爆発させるメルド。
警察は地下に乗り込んで、遂に彼を逮捕する。
そして、不条理なテロ事件の裁判が始まる・・・
3:シェイキング東京(ポン・ジュノ監督)
一軒家に独り暮らしの引きこもり男。
父親からの仕送りの現金書留で生活し、自宅に来るピザや宅配便の配達人とは決して目を合わせず、テレビも見ずに読書三昧。
そんな生活を10年も続けていた。
ある日、女性ピザ配達人のガーターソックスが目に入り、思わず顔を上げて目を合わせてしまう引きこもり男。
丁度そこに地震が起こり気絶して倒れてしまう配達人。
どうしたらよいか戸惑い、右往左往する男だったが、彼女の手足には押しボタンのイラストが描かれており、なぜか「起動ボタン」のイラストを押すと目が覚めた。
その後、彼女がピザ屋を辞めたことを知った男は、会いたさが募り、遂に玄関の外へと踏み出し・・・
(Wikipediaより一部修正)
第一話の監督、ミシェル・ゴンドリーの名は初めて聞く。
調べてみると、ビョーク等のミュージック・ビデオやテレビコマーシャル作成の出身とのこと。
だがこの作品は頂けない。
テーマが、ヒロコによるアパート探し中心かなと思っていたら、後半で突然“椅子”に変わって行って、そのことに癒やされる女の話になってしまう。
真面目に観ていて馬鹿らしくなった。
続いてのレオス・カラックス作品も同じ。
“ゴジラ”のテーマ曲が流れるなか、汚らしい怪人メルドが動きまくり人々に嫌がられる。
何のために、こんなのを作るの?とウンザリする。
もっとも観るまでは、久し振りのカラックス作品なので期待していた。
カラックス(1960生)と言えば、私がまだ30歳台の頃、『ボーイ・ミーツ・ガール』(1983年)、『汚れた血』(1986年)、『ポンヌフの恋人』(1991年)の作品で凄く魅力にたけた監督だった。
そして当時、ジャン=ジャック・ベネックス(1946生)、リュック・ベッソン(1959生)と共に、ヌーヴェル・ヴァーグ以後のフランス映画界の「新しい波」だった。
この3監督の感性の鋭さに共感し、その何ものにも代えがたき思いはいまでも続いているが、それにしても、このカラックスの体たらくにはガッカリする。
そう言えばこの3監督、年齢的にはベネックスが私よりチョット上、後の二人はまだ60歳ぐらいのはずなのに新しい作品を聞かない。
もっともリュック・ベッソンは作っているようだが、私からするとあまりパァとしない。
と、この第二話を観て、どうでもいい他のことを思い出してしまった。
第三話のポン・ジュノの作品。
これがメインだったけれど、なるほど飽きはしないけれど、だからそれでどうしたの、と言う程度。
そもそもこの3作品、“東京”を題材にして、何を作りたかったのか。
単なる、意味のないお茶濁しの作品作りなのか。
そんな疑問が先に立つような内容だった。
1:インテリア・デザイン(ミシェル・ゴンドリー監督)
売れない映画監督の彼氏アキラと共にマイカーで上京し、友人アケミのアパートへ転がり込んだヒロコ。
愛車は駐車違反で持って行かれ、仕事も住まいも見つからず、アキラのみバイトの面接に合格して働き始める。
次第にアケミにも疎まれ始めるヒロコだったが、ある日、自分は徐々に“椅子”になって行き・・・
2:メルド(レオス・カラックス監督)
謎の怪人メルド。
彼は東京都内のあちこちのマンホールから現れては走り回り、通行人にぶつかって倒したり、持ち物を奪って食べる等の奇行を繰り返して恐れられていた。
メルドの住む下水道奥の地下深くには、旧日本軍の戦車の残骸や、手榴弾が残されていた。
やがて手榴弾をいくつも持ち出し、渋谷の街に次々と投げ、爆発させるメルド。
警察は地下に乗り込んで、遂に彼を逮捕する。
そして、不条理なテロ事件の裁判が始まる・・・
3:シェイキング東京(ポン・ジュノ監督)
一軒家に独り暮らしの引きこもり男。
父親からの仕送りの現金書留で生活し、自宅に来るピザや宅配便の配達人とは決して目を合わせず、テレビも見ずに読書三昧。
そんな生活を10年も続けていた。
ある日、女性ピザ配達人のガーターソックスが目に入り、思わず顔を上げて目を合わせてしまう引きこもり男。
丁度そこに地震が起こり気絶して倒れてしまう配達人。
どうしたらよいか戸惑い、右往左往する男だったが、彼女の手足には押しボタンのイラストが描かれており、なぜか「起動ボタン」のイラストを押すと目が覚めた。
その後、彼女がピザ屋を辞めたことを知った男は、会いたさが募り、遂に玄関の外へと踏み出し・・・
(Wikipediaより一部修正)
第一話の監督、ミシェル・ゴンドリーの名は初めて聞く。
調べてみると、ビョーク等のミュージック・ビデオやテレビコマーシャル作成の出身とのこと。
だがこの作品は頂けない。
テーマが、ヒロコによるアパート探し中心かなと思っていたら、後半で突然“椅子”に変わって行って、そのことに癒やされる女の話になってしまう。
真面目に観ていて馬鹿らしくなった。
続いてのレオス・カラックス作品も同じ。
“ゴジラ”のテーマ曲が流れるなか、汚らしい怪人メルドが動きまくり人々に嫌がられる。
何のために、こんなのを作るの?とウンザリする。
もっとも観るまでは、久し振りのカラックス作品なので期待していた。
カラックス(1960生)と言えば、私がまだ30歳台の頃、『ボーイ・ミーツ・ガール』(1983年)、『汚れた血』(1986年)、『ポンヌフの恋人』(1991年)の作品で凄く魅力にたけた監督だった。
そして当時、ジャン=ジャック・ベネックス(1946生)、リュック・ベッソン(1959生)と共に、ヌーヴェル・ヴァーグ以後のフランス映画界の「新しい波」だった。
この3監督の感性の鋭さに共感し、その何ものにも代えがたき思いはいまでも続いているが、それにしても、このカラックスの体たらくにはガッカリする。
そう言えばこの3監督、年齢的にはベネックスが私よりチョット上、後の二人はまだ60歳ぐらいのはずなのに新しい作品を聞かない。
もっともリュック・ベッソンは作っているようだが、私からするとあまりパァとしない。
と、この第二話を観て、どうでもいい他のことを思い出してしまった。
第三話のポン・ジュノの作品。
これがメインだったけれど、なるほど飽きはしないけれど、だからそれでどうしたの、と言う程度。
そもそもこの3作品、“東京”を題材にして、何を作りたかったのか。
単なる、意味のないお茶濁しの作品作りなのか。
そんな疑問が先に立つような内容だった。