『エストラパード街』(ジャック・ベッケル監督、1953年)を観た。
食事の時、自分のをそっちのけで夫アンリの皿のを食べようとするほど、フランソワーズは夫にベタ惚れ。
ところが、カーレーサーのアンリの仕事場へフランソワーズが訪ねて行くと、何と夫が浮気をしているらしい雰囲気がある。
その場は、職場の者が取り繕いうまく収まったが、フランソワーズの友人ドゥニーズが愛人を送るアンリを目撃してしまう。
翌日、ドゥニーズから話を聞いたフランソワーズは、即刻、家出を決意して行動に移し、エストラパード街にあるアパルトマンを借りる。
独り身のアパルトマン生活を過ごすことになったフランソワーズだが、隣りの部屋の若者が何かと世話を焼いて来る。
その若者ロベールは勝手に、図々しくフランソワーズの部屋に入って来たりして、どうもフランソワーズに好意を寄せて・・・
夫は妻がなぜ突然家からいなくなったのか、訳がわからずうろたえる。
そこへ丁度、妻から家政婦に電話があり、うまく住所を聞き出させる。
ヨリを戻そうと、そのアパルトマンへアンリは行くが、部屋から聞こえてくるのは男と女の声。
それを悟って階段を降りるアンリ。
夫婦ものの、コミカル味をまぶした心のすれ違い。
それに絡んで、隣人ロベールがフランソワーズを愛しようとして、アタフタとしながら戸惑うフランソワーズ。
その微妙さが観ていて飽きない。
そもそもこの作品のフランソワーズ役はアンヌ・ヴェルノンで、アパルトマンの隣人がダニエル・ジェラン。
となると『エドワールとキャロリーヌ』(1951年)で夫婦役をした二人。
だから姉妹作と言っていいと思う。
これと言って劇的な筋もなく、軽いタッチでたわいない内容だと見せながら、人の心理のアヤをうまく引き出す技は、並の監督ではそんな簡単に出来るものでない、と思う。
これでまた一つ、好きな作品が一つできてしまった、と幸福感も同時に味わえる作品だった。
食事の時、自分のをそっちのけで夫アンリの皿のを食べようとするほど、フランソワーズは夫にベタ惚れ。
ところが、カーレーサーのアンリの仕事場へフランソワーズが訪ねて行くと、何と夫が浮気をしているらしい雰囲気がある。
その場は、職場の者が取り繕いうまく収まったが、フランソワーズの友人ドゥニーズが愛人を送るアンリを目撃してしまう。
翌日、ドゥニーズから話を聞いたフランソワーズは、即刻、家出を決意して行動に移し、エストラパード街にあるアパルトマンを借りる。
独り身のアパルトマン生活を過ごすことになったフランソワーズだが、隣りの部屋の若者が何かと世話を焼いて来る。
その若者ロベールは勝手に、図々しくフランソワーズの部屋に入って来たりして、どうもフランソワーズに好意を寄せて・・・
夫は妻がなぜ突然家からいなくなったのか、訳がわからずうろたえる。
そこへ丁度、妻から家政婦に電話があり、うまく住所を聞き出させる。
ヨリを戻そうと、そのアパルトマンへアンリは行くが、部屋から聞こえてくるのは男と女の声。
それを悟って階段を降りるアンリ。
夫婦ものの、コミカル味をまぶした心のすれ違い。
それに絡んで、隣人ロベールがフランソワーズを愛しようとして、アタフタとしながら戸惑うフランソワーズ。
その微妙さが観ていて飽きない。
そもそもこの作品のフランソワーズ役はアンヌ・ヴェルノンで、アパルトマンの隣人がダニエル・ジェラン。
となると『エドワールとキャロリーヌ』(1951年)で夫婦役をした二人。
だから姉妹作と言っていいと思う。
これと言って劇的な筋もなく、軽いタッチでたわいない内容だと見せながら、人の心理のアヤをうまく引き出す技は、並の監督ではそんな簡単に出来るものでない、と思う。
これでまた一つ、好きな作品が一つできてしまった、と幸福感も同時に味わえる作品だった。
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