『スリ 〈掏摸〉』(ロベール・ブレッソン監督、1959年)を久し振りに観てみた。
一人暮らしの貧乏青年ミシェルは、競馬場で、観戦中の女性のバッグから金を掏る。
スリは成功するが、帰り道、たちまち捕まり連行される。
しかし証拠はなく、ミシェルは釈放された。
翌日、その金を持って母親のアパートを訪ねると、隣室の若い女性ジャンヌが応対した。
ミシェルはジャンヌにお金を預け、母親には会わずに帰った。
ミシェルがカフェで、友人のジャックに仕事の世話を頼んでいると、そこへ逮捕された時の警部が来た。
ミシェルは警部に、「優秀な才能のある人間は凡々と生きず、法も犯すことができる」と持論を吹聴する。
その帰りの地下鉄の中で彼は、新聞紙を使ったスリを目撃する。
そしてその方法を覚えたミシェルは、緊張しながらも試し、みごと成功する。
スリで生きていけると感じたミシェルは、次にジャックと会った時、依頼の仕事を断る。
スリを一週間ほど続けた頃、ターゲットの相手に見つかってしまい、その後ミシェルは警戒して家に閉じこもる。
部屋へジャックに案内されて来たジャンヌが、ミシェルの母親が病気であることを告げて帰った。
ミシェルがアパートを出ると、知らない男がミシェルに付きまとう。
気持ち悪がるミシェルだったが、その男と話してすぐに友達になった。
実は、その男はプロのスリだった・・・
モノローグを絡めながら物語は進む。
ミシェルは男から様々なスリの手口を教えてもらい、指の訓練もする。
二人は、銀行で金を下ろした男性から巧妙に掏り、その金を山分けする。
そして男は、今後はもう一人の男と三人で仕事をやろうと提案する。
その間に、ミシェルの母親は危篤になり、ミシェルと最後の話をした後に亡くなる。
葬式は、ミシェルとジャック、それにジャンヌの三人だけであった。
ミシェルは、カフェで会った警部に、“スリがどんなに達者でも人間性を発展できない”という警部の考えを否定し、
“スリをしても許される人間はいる”けど、それが誰かは教えないと言う。
このようにミシェルは自己解釈し、スリという犯罪を正当化する。
そこには、世の中から孤立した青年の孤独な姿が浮かび上がる。
そして、ミシェルが正当化する下地には、疑っている警部が部下を使ってひそかに部屋を捜索させても、なんら証拠が出て来なかったこともある。
ミシェル、ジャックとジャンヌの三人で遊園地へ行った時、ミシェルは、ジャックとジャンヌが愛し合っていると感づいたはずである。
何しろ、映像的にはいろいろと省略されているうえに、個々の感情表現をさせない。
だから観ている側が、目つきなどの微妙な仕草を感知し、意味合いを捕えるより方法がない。
ミシェルとジャックは友情で結ばれているが、ミシェルはジャックの忠告を聞かず犯行を重ねる。
しかしある日、ミシェルが駅に行くと丁度、仲間の二人が連行されるところを目撃する。
警部はミシェルも一味だと感づいているが、彼の将来を思いいろいろと忠告したりする。
そんなミシェルは、ジャンヌに、自分がやっていることは困難に挑むためだと言ったりする。
ミシェルは旅に出たいと思い立つ。
イタリアへ行き、その後、ロンドンで2年間稼ぎまくるが、裸同然でまたパリへ帰ってくる。
その間に、ジャンヌにはジャックとの間の子がいたが、彼とは別れていた。
ジャンヌを助けたいと、ミシェルは真面目に働き出すが、ある日、カフェで新聞の競馬欄を見ていた男と知り合い、一緒に競馬に行く。
男が大金を持っているのを見たミシェルは、又もや観戦中に、男から金を掏ろうとし、その相手からついに手錠を掛けられる。
刑務所にジャンヌが会いに来るが、その後、ジャンヌは子供が高熱を出していたために会いに来なかった。
やっと会いに来たジャンヌとミシェルは、面会室の金網越しに頬を寄せ合い愛を確認し合う。
そしてミシェルは、“君のもとへ行くのに、何と遠回りしたことか”と思う。
淡々とした映像であっても、スリリングなスリの手口を見せながら、ほとんど愛情表現も見せず、最後にはミシェルとジャンヌの愛の物語に持っていき感動させる。
その手腕のうまさはピカイチと納得させられる一品であった。
一人暮らしの貧乏青年ミシェルは、競馬場で、観戦中の女性のバッグから金を掏る。
スリは成功するが、帰り道、たちまち捕まり連行される。
しかし証拠はなく、ミシェルは釈放された。
翌日、その金を持って母親のアパートを訪ねると、隣室の若い女性ジャンヌが応対した。
ミシェルはジャンヌにお金を預け、母親には会わずに帰った。
ミシェルがカフェで、友人のジャックに仕事の世話を頼んでいると、そこへ逮捕された時の警部が来た。
ミシェルは警部に、「優秀な才能のある人間は凡々と生きず、法も犯すことができる」と持論を吹聴する。
その帰りの地下鉄の中で彼は、新聞紙を使ったスリを目撃する。
そしてその方法を覚えたミシェルは、緊張しながらも試し、みごと成功する。
スリで生きていけると感じたミシェルは、次にジャックと会った時、依頼の仕事を断る。
スリを一週間ほど続けた頃、ターゲットの相手に見つかってしまい、その後ミシェルは警戒して家に閉じこもる。
部屋へジャックに案内されて来たジャンヌが、ミシェルの母親が病気であることを告げて帰った。
ミシェルがアパートを出ると、知らない男がミシェルに付きまとう。
気持ち悪がるミシェルだったが、その男と話してすぐに友達になった。
実は、その男はプロのスリだった・・・
モノローグを絡めながら物語は進む。
ミシェルは男から様々なスリの手口を教えてもらい、指の訓練もする。
二人は、銀行で金を下ろした男性から巧妙に掏り、その金を山分けする。
そして男は、今後はもう一人の男と三人で仕事をやろうと提案する。
その間に、ミシェルの母親は危篤になり、ミシェルと最後の話をした後に亡くなる。
葬式は、ミシェルとジャック、それにジャンヌの三人だけであった。
ミシェルは、カフェで会った警部に、“スリがどんなに達者でも人間性を発展できない”という警部の考えを否定し、
“スリをしても許される人間はいる”けど、それが誰かは教えないと言う。
このようにミシェルは自己解釈し、スリという犯罪を正当化する。
そこには、世の中から孤立した青年の孤独な姿が浮かび上がる。
そして、ミシェルが正当化する下地には、疑っている警部が部下を使ってひそかに部屋を捜索させても、なんら証拠が出て来なかったこともある。
ミシェル、ジャックとジャンヌの三人で遊園地へ行った時、ミシェルは、ジャックとジャンヌが愛し合っていると感づいたはずである。
何しろ、映像的にはいろいろと省略されているうえに、個々の感情表現をさせない。
だから観ている側が、目つきなどの微妙な仕草を感知し、意味合いを捕えるより方法がない。
ミシェルとジャックは友情で結ばれているが、ミシェルはジャックの忠告を聞かず犯行を重ねる。
しかしある日、ミシェルが駅に行くと丁度、仲間の二人が連行されるところを目撃する。
警部はミシェルも一味だと感づいているが、彼の将来を思いいろいろと忠告したりする。
そんなミシェルは、ジャンヌに、自分がやっていることは困難に挑むためだと言ったりする。
ミシェルは旅に出たいと思い立つ。
イタリアへ行き、その後、ロンドンで2年間稼ぎまくるが、裸同然でまたパリへ帰ってくる。
その間に、ジャンヌにはジャックとの間の子がいたが、彼とは別れていた。
ジャンヌを助けたいと、ミシェルは真面目に働き出すが、ある日、カフェで新聞の競馬欄を見ていた男と知り合い、一緒に競馬に行く。
男が大金を持っているのを見たミシェルは、又もや観戦中に、男から金を掏ろうとし、その相手からついに手錠を掛けられる。
刑務所にジャンヌが会いに来るが、その後、ジャンヌは子供が高熱を出していたために会いに来なかった。
やっと会いに来たジャンヌとミシェルは、面会室の金網越しに頬を寄せ合い愛を確認し合う。
そしてミシェルは、“君のもとへ行くのに、何と遠回りしたことか”と思う。
淡々とした映像であっても、スリリングなスリの手口を見せながら、ほとんど愛情表現も見せず、最後にはミシェルとジャンヌの愛の物語に持っていき感動させる。
その手腕のうまさはピカイチと納得させられる一品であった。
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