ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

ジャン・ルノワール・10~『浜辺の女』

2018年06月06日 | 戦後40年代映画(外国)
『浜辺の女』(ジャン・ルノワール監督、1946年)を観た。

乗船していた船舶を機雷で撃沈された経験がトラウマの、沿岸警備隊のバーネット中尉は、相思相愛の造船所の娘イブと、一刻も早く結婚しようと約束し合う。

靄の立ち込めるある日、馬に乗ったバーネットが浜辺を進んでいくと、古い難破船のところで薪を拾う謎の女ペギーと出会う。
薪運びを手伝うバーネットは、ペギーの家に一緒に行く。
バーネットがその家から帰ろうとした時、丁度、ペギーの夫トッド・バトラーが外出から戻ってきた。

トッドは画家だったが、今は盲目の身になっている。
トッドから歓迎を受けたバーネットだが、勤務のためと言い残し帰っていく。
大雨の日、バーネットの勤務先に現われたトッドを、バーネットは家まで送って行って・・・

盲目のためにペギーに対する所有欲が強くなっている夫のトッド。
それを厭うペギー。
バーネットとペギーの間柄は、急速に接近する。
ペギーはバーネットに言う、「彼の目が見えることを証明したら、別れる」と。

トッドの目は見えるのではないかと疑うバーネットは、浜辺の崖っぷちへとトッドを誘う。
観ているこちらとしても、どうもトッドが盲目らしく見えない。
だから、わざと見えないふりをして、ペギーを拘束し、それを絆にしているのだなと感じてしまわない訳にいかない。
だが、どうだろう。
トッドはどうやら本当に目が見えないらしい、という設定。

真面目に観ていると、何だかだんだんと、いい加減なシナリオがあからさまに見えてくる。
その後ラストまで、明らかにこれはB級作品。
嵐の中を、バーネットとトッドが釣りに出掛け対決するシーンや、ラストの結末なんかは、ふざけているを通り越してそんな設定も傑作のうちだと感心してしまう。

ジャン・ルノワールがこの作品を監督していると言われなければ、とてもルノワールの作品とは思えぬほどの作家性のない、在り来たりの出来である。
要は、単なるハリウッド映画という感じである。
そんな作品を、“allcinema”のように「ミステリアスな水や炎の表現に優れており・・・」と、平然と持ち上げている評もある。
何でもかんでもルノワールの作品だったら神様の作品と考えて、キーワードを当てはめればいいと考えているのか、私には理解のできない評である。
と、このようにこき下ろしても、不思議なことにこの作品は、最後まで興味深く観れた。
なぜか、全く退屈しないのである。
思うにこれは、ペギー役のジョーン・ベネットに陶酔させられてしまったからに違いないためだろう。

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2 コメント

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妄執 (rumichan)
2018-11-09 04:27:14
乗っていた船が、機雷で沈没した時の恐怖から逃れられない男.
彼は好きな女を救うために、夫を小舟で海に誘い出して、船に穴を開けて沈めようとした.

船の沈没の恐怖から逃れられない男=妄執
若い男の肉体を求める、男狂いの女=妄執
絵画への執着を断ち切れない、眼が見えなくなった画家=妄執

船の沈没の恐怖から逃れられない男が、夢中になって船を沈没させて、そして助けられた.
彼が助けられた時は、妄執から逃れられていた.
画家はどうしたか?.絵を燃やしてしまって(妄執を断ち切って)、町へ出てやり直すことにした.
男狂いの女も、二人が海に出てしまい助けを求めた時点で、妄執から逃れていたのでしょう.

もう一度書きますね.
船の沈没の恐怖から逃れられない男が、夢中になって船を沈没させて、そして助けられた.
彼が助けられた時は、妄執から逃れられていた.
ふざけた筋書きなのです.
けれども、『妄執』とは、どういうことか?、と考えて、
『妄執』とは、自分で自分が分らなくなることである、と考えれば、『妄執』をきちんと描き上げているのです.

この映画を、どうして高い評価が出来るのか?.
芸術とは、
作者の心=登場人物の心=読者(映画を観る観客)の心を描いたもの.
『妄執』=自分で自分が分らなくなること.
自分で自分が分らなくなる人を描いた、極めて下らない映画を高く評価した人は・・・・・

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ジャン・ルノワールはルキノ・ヴィスコンティを助監督に、イタリアで『トスカ』を撮っていたのですが、イタリアが戦争を始めたために中断し、結局アメリカへ渡ることになりました.
ジャン・ルノワールは映画化を計画していた『郵便配達は二度ベルを鳴らす』を、ヴィスコンティに譲り、後に映画化されたのですが、その作品の原題は『妄執』なのです.

『浜辺の女』と同じ頃、アメリカで『郵便配達は二度ベルを鳴らす』が撮られています.
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>rumichanさんへ (ツカヤス)
2018-11-09 11:51:51
この作品と、『南部の人』へのコメントありがとうございます。
この『浜辺の女』については、私はそんなに評価しませんが、それでも、どことなく魅力にあふれていて貴重な一作品だとも思っています。
ヴィスコンティの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』についてですが、他監督のは二作品ほど鑑賞していますが、ヴィスコンティ作品はDVDを所有しながら未だに棚に眠っている状態です。
再度ネオレアリズモ作品を鑑賞し直した時に観ようかなと思っています。
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