『ぼくが生きてる、ふたつの世界』(呉美保監督、2024年)を観てきた。
宮城県の小さな港町。
耳のきこえない両親のもとで愛情を受けて育った五十嵐大にとって、幼い頃は母の“通訳”をすることもふつうの日常だった。
しかし成長するとともに、周囲から特別視されることに戸惑いやいら立ちを感じるようになり、母の明るさすら疎ましくなっていく。
複雑な心情を持て余したまま20歳になった大は逃げるように上京し、誰も自分の生い立ちを知らない大都会でアルバイト生活を始めるが・・・
(映画.comより)
聴覚障がいの人が身近にいないためか、聞こえない親のもとで育った聞こえる子の生活、ひいてはその精神的な負担について考えたこともなかった。
そのことを作品は気付かさせてくれた。
主人公の五十嵐大は、この作品の原作者の名そのもので、自伝的エッセイとして書かれているという。
だから内容的にリアルさがあり、大は小さい頃から、手話による親と世間の橋渡しが当然のように行動していた。
しかし、徐々に自分の家族と世間の家族のギャップを知り、中学生の頃には、親に距離を置くようになっていき反抗的な態度を取るようになる。
大は、自身の家族のことの悩みを打ち明ける機会も相手もほとんどいない。
だから孤独だと思う。
そのためだろう、それを振り払うように東京へ。
この作品で、聞こえない親のもとで育った聞こえる子のことを“コーダ”と言うことを初めて知った。
以前『コーダ あいのうた』(シアン・ヘダー監督、2021年)を観ていても“コーダ”の意味を考えずに通り過ぎていた。
このような“コーダ”が日本には2万数千人いることを今回教えてもらった。
作品の作りそのものも素晴らしく、素直な気持ちで感動させてもらった。
そして、今年のベストワンと言える秀作だと言い切れるほどだなと思った。