アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の『犯罪河岸』(1947年)を観た。
戦後間もないパリ。
歌手のジェニーとピアノ伴奏者の夫、モーリス。
ステージで色っぽく歌うジェニーに反応する客。それに嫉妬するモーリス。
二人が二階で住む、そのアパートの階下には、モーリスの幼なじみの女性カメラメン、ドラが住んでいる。
ある日、ジェニーがドラの所で雑誌用のポートレートを撮っていると、そこへ老富豪のブリニョンが女づれでやってくる。
女性には目がないブリニョンは、その場でジェニーの後援を申し出る。
その気になっているジェニーは、後日、実家に行くとの口実でブリニョンの邸に出かけた。
偶然から、ジェニーの行先がわかったモーリスは、逆上しピストルを持ち出してブリニョン邸に乗りこむ。
しかし、モーリスがそこで見たのは、ブリニョンの死体だった・・・
ジェニーはドラに、犯行の一部始終を打ち明ける。
一方、モーリスもジェニーの犯行だと確信し、悩む。
そこに現れる警部のアントワーヌ。
モーリスがジェニーを庇おうと必死になればなるほど、彼のアリバイに対する状況が不利になってくる。
これはサスペンスと言うより、刑事ものの一種。
そこが、観ていてとっても味わい深い。
警部のアントワーヌの、事件の裏付けを取るその動きに生活臭が漂う。
それに、モーリスのジェニーへの、嫉妬がからんだ愛情の表現の仕方。
ジェニーの方はモーリスを愛しながらも、過去の貧しさから脱却したくて、華やかな生活へあこがれる。
それに絡むドラの、二人への友愛。
ドラは、案外とモーリスが好きなのを伏せているかもしれないとの思わせ方が、また良い。
そして、ラスト。
なるほどと納得する、作りのうまさ。
さすが『情婦マノン』(1949年)、『恐怖の報酬』(1953年)のクルーゾー監督。
未見の『悪魔のような女』(1955年)を探してきて、どうしても観なければと焦ってしまう。
戦後間もないパリ。
歌手のジェニーとピアノ伴奏者の夫、モーリス。
ステージで色っぽく歌うジェニーに反応する客。それに嫉妬するモーリス。
二人が二階で住む、そのアパートの階下には、モーリスの幼なじみの女性カメラメン、ドラが住んでいる。
ある日、ジェニーがドラの所で雑誌用のポートレートを撮っていると、そこへ老富豪のブリニョンが女づれでやってくる。
女性には目がないブリニョンは、その場でジェニーの後援を申し出る。
その気になっているジェニーは、後日、実家に行くとの口実でブリニョンの邸に出かけた。
偶然から、ジェニーの行先がわかったモーリスは、逆上しピストルを持ち出してブリニョン邸に乗りこむ。
しかし、モーリスがそこで見たのは、ブリニョンの死体だった・・・
ジェニーはドラに、犯行の一部始終を打ち明ける。
一方、モーリスもジェニーの犯行だと確信し、悩む。
そこに現れる警部のアントワーヌ。
モーリスがジェニーを庇おうと必死になればなるほど、彼のアリバイに対する状況が不利になってくる。
これはサスペンスと言うより、刑事ものの一種。
そこが、観ていてとっても味わい深い。
警部のアントワーヌの、事件の裏付けを取るその動きに生活臭が漂う。
それに、モーリスのジェニーへの、嫉妬がからんだ愛情の表現の仕方。
ジェニーの方はモーリスを愛しながらも、過去の貧しさから脱却したくて、華やかな生活へあこがれる。
それに絡むドラの、二人への友愛。
ドラは、案外とモーリスが好きなのを伏せているかもしれないとの思わせ方が、また良い。
そして、ラスト。
なるほどと納得する、作りのうまさ。
さすが『情婦マノン』(1949年)、『恐怖の報酬』(1953年)のクルーゾー監督。
未見の『悪魔のような女』(1955年)を探してきて、どうしても観なければと焦ってしまう。
昔の洋画、特にモノクロが好みです。
悪魔のような女は面白いですよ( ◠‿◠ )
最後はどうなるんでしょう・・ジェニーは?
この「犯罪河岸」もそうです。
ご存知だと思いますが、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の作品はすごいですね。
「悪魔のような女」は、レンタル店ではリメイク版しか置いてありません。
以前はあって、いずれ観ようとしていたのに残念です。
でも、どうにかして探そうと思います。