原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

8月15日に思う

2010年08月17日 08時45分21秒 | ニュース/出来事
1945年8月15日正午、天皇陛下の玉音放送が流れた。それは戦争終結の詔であり、日本の敗戦を決定づけた日であった。あの日から65年が経過した。「もう」というべきなのか、「まだ」と言うべきなのかは分からない。ただ半世紀以上を過ぎた月日を重く感じる。この日を戦争記念日とか終戦記念日とメディアは言う。何か釈然としない。本当の意味で、あの戦争に対する総括がされていないのでは。そんな疑問が何年も続いているからだ。

明治維新以来の軍国主義の台頭、財閥の成長が日本を侵略戦争に向かわせた。これが中学校から高校にかけて学んだ日本の近代史の概略であった。第二次世界大戦、支那事変、太平洋戦争について、深く掘り下げた授業は全くなかった。たぶん、戦後の教育は浅く薄く日本の近代史を教えることを徹底したのではないのだろうか。教えないというのが本当だったのでは。なぜそうしなければならなかったのかが分からない。ほんの一部だと思うが、アメリカと戦争をしたことも知らない高校生も現在いる。先生の問題もあるが、日本の歴史に対するスタンスがどこかおかしい。昔の文部省、現在の文科省は日本の戦争の歴史を総括(根底から掘り起こすことを)させることを嫌がっているとしか思えない。

言葉だけは終戦となっているが、沖縄の基地問題、北方領土の問題、靖国問題などが歴然と残っている。これで本当に戦争が終わったと言えるだろうか。歴史を適当にしか教えない中で、形だけを整えようとすると、とんでもない方向に流れていくのではないのだろうか。そんな不安を強く感じる。
戦後だいぶ経ってから、従軍慰安婦や南京大虐殺が話題となった。不思議なことだが、こうした問題は海外から上がった声が出発点ではない。日本人が動いて一つの波が生まれている。日本人すべてが自らの悪を認め、世界の世論を作るのであるなら、しょうがないと思う。だが、歴史を検証していない日本人に理解できる話ではない。またすべてを納得している話でもない。それなのに、なぜこうした渦が起きるのだろうか。靖国参拝問題も、変だ。中国も韓国も靖国神社の存在など以前は知らなかった。これは中国人の友人にも確認した事実である。彼らが靖国を認知するのは1980年代となってから。当時の社会党の代議士がわざわざ中国や韓国に出かけて吹聴してからだ。従軍慰安婦訴訟も日本人の弁護士が中心となって起きている。樺太の朝鮮人帰国の訴訟も同じ弁護士が起こしていた。
何が真実であったか、もっと事実を正確に検証する機会がほしい。理論はいろいろあってもいいが、相手を認めない論争は解決の糸口にならない。そのためにも事実の検証が大事なはずだ。これは右とか左とは関係ない話だ。日本の歴史に対する深い検証を怠った日本人の責任は重い。


なかでも、東京裁判は極めて異常に感じる。戦勝国が敗戦国を裁判するということは世界史の中でも例がない。こんな無茶苦茶な裁判の判例が今も日本人を縛り付けている。これも日本の怠慢だと思う。この矛盾に溢れた裁判の中身を大半の日本人は知らない。というより正確には知らされていない。この時下されたA級、B級、C級という各級の戦犯の内容を知っている日本人はどれほどいるだろうか。
A級、平和に関する罪。B級、通例の戦争犯罪。C級、人道に対する罪。Aは戦争に導いた指導者に向けられたもの。Bはいわゆる犯罪的行為(戦争現地で)。Cはニュールンベルグ裁判の引用で、ナチスに対する裁判のものであった。
戦勝国が敗戦国に対してどういう理由で戦争責任を追及できるというのだろうか。もし裁判をするなら、戦争にかかわらなかった第三国が判断をしなければならないはず。それが平等というものだ。これを主張したのがインドのパール判事であった。しかし、アメリカはこうした意見を一切無視して裁判を継続。判決を下している。

この裁判の異常さはたくさんあるが、典型をあげれば、南京大虐殺を指導したとして死刑となった松井石根陸軍大将(中支那方面軍司令官)のことがある。彼はA級戦犯ではない。B、C級戦犯として死刑になった。一般市民を殺害した罪として。それでは広島、長崎に原爆投下の指示を出したルーズベルト大統領はなぜ罪にならないのだろうか。一般国民を殺戮するという点では同じ戦争犯罪である。ここに戦勝国が敗戦国を裁くという異常さが明らかになっている。ルーズベルトは東京裁判に引き出されることはなかった。南京や従軍慰安婦問題で先頭に立つT弁護士は、東京裁判の異常さを弁護士として何とも思わないのだろうか。戦う相手が違う。戦争を告発するなら、東京裁判の無効を訴えるのが本筋のはずだ。さすれば、靖国問題だって解決する。A級戦犯が合祀されたと騒いでいる人はもう何も言えないから。

あの戦争についてあまりにも多くの人が口をつぐんだままだ。戦争というだけで『拒否反応』がでて思考停止となってしまうからだ。これも戦後教育の一つなのか。あの戦争をもう一度しっかりと見つめなおし、総括することが今の日本には必要のはずだ。そのためにも機密資料の公開や当時を知る人の生の声をたくさん聞くべきなのだ。
どんなことにも、光と影がある。影の部分をしっかりと見つめる勇気も必要である。もし本当に南京大虐殺が中国側の主張する通りであったなら、日本人としてそれは厳粛に受け止めるべきであろう。同時に中国で起こった、日本人虐殺の「通州事件」や「通化事件」もきちんと主張することもしなければならない。

どんな理由をつけても、戦争はやはり嫌である。だからと言って戦争で命を落とした先人たちを蔑ろにはできない。彼らの犠牲の上で現在があることも事実だから。
8月15日は日本の終戦記念日である。が、日本と対戦したアメリカ、イギリス、フランス、カナダは9月2日が終戦記念日。中国や旧ソ連は9月3日が終戦の日である。この違いを日本人の多くは知らない。風化する前に、あの戦争を日本人はもっと知るべきなのだ。
そのためには右の話も左の話も真摯に聞くべきだろう。どんなに色をつけても、事実は必ず見える。そのための正確な資料もたくさんほしい。アイリス・チャンの「レイプ・オブ南京」などに掲載された合成偽写真などは論外。これでは、南京はウソだったと言っているのと同じだ。
検証には時間がかかるかもしれないが、本当の歴史を知るための、自分を含めて日本人はもっと努力しなければならない。
8月15日にそう感じていた。

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2 コメント

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「終戦じゃなく敗戦!」 (numapy)
2010-08-17 12:48:13
中学一年の時に、オジから標題のように言われました。そこで初めて日本語の曖昧さを知った感がありました。真実は沢山あるけど、事実はひとつ・・・
この単純明快な真理を表現するには、日本語はあまり得意じゃないのかもしれません。
モチロン、日本語は世界に誇れる素晴らしい言語ですが、随分考えさせられます
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古い奴とお思いでしょうが (原野人)
2010-08-17 16:06:58
なぜか、鶴田浩二を思いだします。
右を向いても左を見ても、筋の通らぬことばかり、
世の中真っ暗闇じゃござんせんか。
この詞はだれか知りませんが、なにか、心に残ります。
日本は戦争に負けてよかったのでしょうか、それとも勝ったらもっと不幸になったのでしょうか。
戦争をしなかったなら、もっと幸せだったのでしょうか。
考えてもしょうがないことが、堂々巡りします。8月はいろいろなことを考えさせてくれるようです。
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