原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

マユミ異変、に思うこと

2011年09月30日 08時32分28秒 | 自然/動植物

 道東の秋が日に日に深まっている。日中の気温はまだ20℃前後で暖かな日差しはあるが、朝晩は結構涼しい。秋の気配を実感しようと軍馬山に入った。まだ紅葉には少し早い。緑の中に秋の実りを象徴する赤い実がちらほら。アキグミである。まだ深紅ではない。眼をさらに転じた。すぐ近くにあるはずのマユミの実を探し求めた。あの薄紅の淡い色が見えない。なぜだろうと、さらに記憶にあるマユミの木へ。しかし、全く実がない。昨年は一週間早く山に入ったが、マユミは鈴なりに実をつけていたで。どうしたのだろう?周辺を歩き回ったが、マユミの実は見つからなかった。

(昨年のマユミ)

上の写真は昨年のマユミの実である。巻頭の写真と同じ樹を写している。今年は見事と言っていいほど丸坊主であった。わずかに残る葉が痛々しく見える。なぜ、こうなったのか?専門外ながら頭を巡らせる。樹木の病気か、土壌の変化、気候変動による異常現象、原因はいろいろ考えられる。しかし分からない。とくに気になるのは、この異変現象は軍馬山に限って起きていることだ。すぐ近くにある別の森ではマユミの実は実っていた。ただ昨年に比べ、たわわな実りという感じではない。やはり自然の中でなにかの変化が生まれているのかもしれない。

すぐ脳裏に浮かぶのは、やはり温暖化による異常気象。たしかにその影響はあるかもしれない。だが、なんでもかんでも異常気象のせいにしていいのだろうか、という思いも浮かぶ。新聞などの報道では、東日本の大震災を皮切りに、次々に日本を襲った台風、ゲリラ豪雨、ごく最近では秋の宮島の異常な潮位など、すべて温暖化による異常気象の影響と叫ぶ。どうもこうした画一的な報道には、抵抗を感じる。捻くれた脳細胞が強烈な拒否反応を示すのだ。

五千年から一万年のサイクルで地球の自然は大きく変動をしている。氷河期など良い例である。人間の文明が自然を破壊していることは事実で、温暖化などに悪影響を与えていることは十分に理解できるが、気候の変動というのは、もっと大きなうねりで動いていることも確かなのだ。人間の影響など案外僅かなものかもしれない。そんな思いが頭をもたげる。

思い出せば、昨年、山は大豊作であった。マユミの実の見事な写真が撮れたのもそのおかげであった。豊作は山で生活する動物を潤す。一番恩恵を受けたのはエゾシカだったかもしれない。豊富な餌はたくさんの子供を育てるのに大きな力となった。たぶんヒグマも同じであったと思う。ところが、昨年の反動なのか、今年の山々は豊作とは言えないらしい。当然ながら、増えた家族を養う食糧が不足する。秋の声を聞くと同時にヒグマ目撃情報が流れ出した。昨年よりかなり早い。彼らは餌を求めて住宅近くまでエリアを広げているからだ。

こんなふうに考えると、今の気候の変化は自然にとって通常の変化なのかもしれない。人間の影響で自然が破壊されるのは極力防がなければならないが、通常の気候変動まで環境問題に持ち込む報道情報に踊らされてはならない。彼らマスコミは「放射能が来る!」などと、恐怖を煽る過剰な言葉で注目を集めようとする。一種の職業的な詐欺的性格を有しているものだと理解した方がいい。

今年のマユミ異変の結論は、来年まで持ち越したい。来年の実のなり方を見れば、もう少し深く分かるはず。そのくらいの余裕を持って自然と接したい。

(今年のナナカマドは鮮やかだった)

自然界が交互に繰り返すリズムがあると仮定すれば、期待したいこともある。実は、昨年の道東の紅葉はいまいちであった。今年は一昨年並みに良い可能性を感じるからだ。マユミの突然の変化が、今年の紅葉への良い予兆になればいい。勝手に良い方に期待する甘さも否定しないが、それはそれでいいのでは。

どちらにしても、自然界の「理」は人間程度の思考では、とても及ばぬ先にあるのだから。


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