原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

絢爛たる落葉の陰で。

2010年10月22日 08時50分46秒 | ニュース/出来事
華やかな紅葉の絨毯が歩道を埋め尽くしていた。
色とりどりの葉たちは、道東の短い秋を物語っている。いつもの変らぬ風景のように見える。が、今年は少し違う。歩道から上へ目を転じると、そこにはまだ紅葉になりきっていない葉がびっしりと残っている。昨年の同時期は木全体が紅葉になっていた。明らかに昨年とは違っていた。気象の変化だけではない、大きな変貌がその陰にあるように感じた。

昨年、同時期に我が町の紅葉を写真にしてブログにしている(2009年10月23日のブログ参照)。その時と比べると、あまりに違う様子なのだ。紅葉が遅れているのか、と当初は単純に思っていた。だが、道にある落葉を見て、すでに紅葉がかなり進んでいることを理解した。つまり、色が変わった葉は、樹木にとどまることなくすぐ落ちていた。紅葉と落葉がほぼ並行して進んでいたのである。昨年との違いはなんなのだろうか。暑い夏のせいだという説があるが、門外漢の自分には想像すらつかない。だが、日本や世界各国から届く、昨今の異常気象のニュースを見る時、地球に何か不都合なことが起きているように感じるのはたしかだ。

(9月21日の並木。昨年と全く違う状況であった)

この10月20日に奄美大島を大雨が襲った。午後の、わずか2時間の中で260ミリを超える雨量を記録している。アメダス(全国の気象観測システム)によると、こんな雨量は過去30年間で2度あっただけだという。過去に前例があったからと、安心するわけにはいかない。大型の台風の襲来なら考えられるが、台風もない秋雨前線だけでの降雨量としては初めてなのだ。やはり特別な出来事だった、と思うべきだ。
短時間で260ミリを超えるということは、どれほどのものかと調べてみたら、とにかく凄い。
「傘はまったく役立たず、滝の下に立つような感覚。息苦しくなるような圧迫感があり、恐怖を感じる」という。21日の時点ではまだ奄美大島の被害はその全貌すら見えていない。

今年の夏の暑さも異常であった。短い夏で知られる道東では6月から30度を超す日があり、7月はともかく8月の末になっても酷暑は継続していた。

気象だけではない。野生動物の行動にも不気味な変化を感じさせる。この秋になって、異常なニュースが日本全国から発せられている。イノシシが人の前に現れ、餌をねだる。それだけでなく人を襲いだした。噛みつきサルが100人以上の人に被害を与えた。そして最近は、クマの出没ニュースだ。野生の熊(ヒグマやツキノワグマ)が街中に現れたり、人家に侵入、噛みついたり引っ掻いたりしている。
山に餌がないためなのかと、思ってしまうが、どうやらそうではないらしい。射殺された熊の胃袋を調べたら、山の幸でいっぱいであったという。つまり空腹だけで人家に近付いているわけではないらしい。いったいどういうことなのだろうか?
野生たちは基本的には人間に近づかない、という定説が見事に覆されてしまった。
一説では、里山の減少がこうした野生たちの侵入を許しているとか。また人間の進出が要因という説もある。いずれにしても、自然界の軸に変化があるように思えてならない。


すべてが自然界の警告なのかもしれない。あまりにも人間たちは勝手に地球を弄んでしまった。このままではとんでもないことになるという警告なのでは。ずっと以前から専門家たちは同様の警告を発していた。だが人はだれも耳を傾けなかった。現在あるのはそのツケが来たのでは。

政治家の堕落、経済人の傲慢、市民の無関心。責任の大半が人間にあることはたしかだが、はたしてそれだけなのだろうか。億年の単位で見れば、地球は温暖化と寒冷化を繰り返している。氷河期などはそのよい例だ。これは地球そのものが生命体で、生きている証拠でもある。そうした中で、人類の過ちが地球をさらに大きく狂わしている、とも言えるだろう。

紅葉の絨毯の陰で、自然界が人間に何かを訴えているような気配を、感じる。

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2 コメント

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紅葉なしに・・ (numapy)
2010-10-22 19:37:03
ハッと目の醒めるような紅葉がない、とみんな言ってますね。黄色くなってきたら枯れて落ちちゃう。
確かに一シーズンの話ではないと思います。
ことにヒグマは変だ!なぜ車が行きかう斜里の中心街に悠然と現れるのだろう。もしかしたらレミング同様、アポトーシスかもしれませんね。
ということは、人間にも直結してくる話です。
コップの中の嵐をやってる場合じゃないのになぁ。
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動物も自然も。 (原野人)
2010-10-23 15:45:38
たしかに、球上にある全てが、一種の細胞死を起こしているのかもしれませんね。そうでなければ、理解不能です。。
生あるものはいつか死ぬもの。地球がそうなるには早すぎると思いますが、一つの節目であることは間違いないような気がします。
今を充実させるしか、解決方法はないですね。充実の仕方に工夫が必要ですが。
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