島胡椒 【ピィパーズ】

島胡椒の増産活動を推進しながら、苗作り、栽培方法などの指導を、「イトマンやまねこ農園」を開き運営しています。

島コショウ ピィパーズの歴史

2023-01-01 09:49:08 | いとまんヤマネコ農園
胡椒&ヒハツモドキ(ピィパーズ)の歴史

ヒハツモドキ(ピィパーズ 参考文献※1)が琉球(沖縄)に入ってきたのは詳細は不明ですが、
これまで発刊されました文献をもとにそのルーツをまとめてみました。

ヒハツモドキも胡椒の仲間です。
 胡椒は、14世紀~16世紀、琉球の三山王統(グスク時代)から第一尚王統の時代大交易時代に
おいて、東南アジアに交易船を走らせていた時代に入ってきたものと思われます。
大島筆記(参考文献※2)によると「胡椒本唐(中国)にも無き物なり」と記されています。
 朝鮮貿易に関わっていた日本人商人にとっても、胡椒を始め南海のの産物は欠かせない物で
あり琉球国から取り入れて他国へ再輸出であったといわれています。

 胡椒が朝鮮に伝来したのは1389年琉球国中山王察度(さっと)が高麗王辛昌のもとに遣わした
使者の玉の献礼物の中に「蘇木600斤。胡椒300斤」が含まれていたいたようです。
(参考文献※3)
高価のため日本や朝鮮が、なんとか種を入手して、国産化しようと試みたようですが実現は
しなかった。
 その訳は種子を煮て発芽しないように細工したとも言われるが、真意はわからない。
(参考文献※3)
琉球国内では東南アジアから輸入して、再輸出に徹していたため国内での商品化は定着しな
かったと思われます。
この時代に胡椒に似た「ヒハツという植物も存在していた。(参考文献※2)」
 大島筆記に「ヒハツ多し蔓性にて土筆(つくし)のような実を結ぶ、花はなし蒸して蓄え
胡椒のようにして伝えリ」(参考文献※2)
この時点でヒハツかヒハツモドキかは不明ですが、現存する「ヒハツモドキ」と思われます。

琉球から中国への胡椒の輸出は1555年(嘉靖24年)を最後に停止しています。
その背景には中国の王代が変わり、清朝が展海令を出し東南アジアへの渡航をすることになる。
それを期に香辛料貿易による琉球国の黄金時代は終わることになる。
胡椒の中国への輸出については「中世南島通行貿易の研究」小葉田淳氏が次のとおり記して
います。
 尚徳王・尚円王期(1461年~1476年)20,000斤・・約12トン
 尚真王期(1477年~1526年)    72,000斤・・約43.2トン
 尚清王期(1527年~1555年)    7,000斤・・・約4.2トン  合計 約59.4トン
 
その頃の世の中の動きは・・
  足利尊氏が京都に幕府を開く(1338年)
  明が中国を統一(1368年)
  応仁の乱 (1467年)
  コロンブスがアメリカ大陸を発見(1492年)

参考文献
※1:石垣方言辞典 文法検索編 宮城信勇著 pー290 ひはつもどき【ヒハツモドキ】(植)
   「ピゥパージュ」とあり、ピィパーズを生かす会が現代風にわかりやすく
【ピィパーズ】として表示「八重山の香り ピィパーズ」として平成19年(2007年)
9月4日商標登録完了。

※2:大島筆記上巻 発行所 琉球歴史研究会 発行人:比嘉寿助
   内容:琉球国王尚穆(ぼく)王(乾隆27年(1762年代)潮平親雲上一行が那覇港から
出港、途中台風にあい遭難。土佐国西南湾の大島湾に漂着したのを、藩の学者戸部良煕が、
一行の談話を口述によって記述した文献である。
※3:陳舜臣+高良倉吉他の皆さん 
    南海の王国・琉球の世紀 東アジアの中の琉球・・角川選書239


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