和太鼓と相撲甚句が大好き!家族太鼓山本家(かぞくだいこやまもとや)です。楽しむ事が上手くなる初め~の第1歩♪

神戸で【元関取が作る本物の味】な、ちゃんこ鍋屋を営んでおりました。私はお関取じゃ有りませんよ(笑)“オカミサン”でした。

舞鶴共済病院創立100周年記念・OB会総会と、友人の新たな人生。

2007年06月24日 | 日々大切に生きたい。

阪神淡路大震災で、木造1戸建ての、
神戸・六甲道の自宅は全壊。
全壊した我が自宅を含め、
古い木造建築家屋が並ぶ同じ町内のその中で、
奇跡的に残った鉄筋コンクリート建物の
ちゃんこ鍋屋のその座敷。
私達が営むちゃんこ鍋屋は、
私達家族と、家を無くした近所の人たちの避難所となり、
通常では経験しないであろう、他人同士・何家族かが、
一つ屋根の下(ちゃんこ鍋屋の9畳の小さな座敷)に住む。
と言う事態になりました。
寒い寒い1月17日。
長い間テント生活を余儀なくされた方々を思えば、
他人同士とは言え、狭くても畳の上で過ごせた私達は幸せでした。
店の向こうに見える隣家は、1階が完全に押しつぶされ、
2階の屋根が、すぐ手の届く所まで崩れていました。

当時私を支えてくれたのは、家族や近所の人との心の結びつきや、
学生時代から付き合いの続く友人達からの励ましでした。
そして、本場所や巡業を、しょっちゅう見に行くほどの、相撲好きが高じて
『相撲甚句の会』に入っていた私には、
相撲甚句会の方々の励ましが、大きな気力の支えとなりました。
また、相撲甚句を唄う事。それそのものが、私に元気をくれました。

和太鼓の舞台演奏の機会をいただく現在、
ほとんどの舞台で、私は相撲甚句を唄います。
そこには、大きな大きな思い入れがあります。
阪神淡路大震災を忘れない。
命が助かった事への感謝の気持ちを、
唄う事によって再確認するのです。

私が和太鼓と相撲甚句を続けられるのは、
夫・星君(仮名)と、娘・むすびちゃん(仮名)と、
お義母さん。と言う、理解有る家族のおかげ。
一緒に稽古して、一緒に楽しんでくれる打ち手のおかげ。
そして何より、私達打ち手を支えてくれる、
『家族スタッフ』のおかげです。
みんな、みんな、ありがとう。



3月28日。大人だけの初めての舞台。
『舞鶴共済病院・創立100周年記念式典・祝賀会』
とても緊張して臨んだ事を覚えています。


6月24日。前回に引き続き、
『舞鶴共済病院・創立100周年記念・OB会総会』
オープニングにも声をかけていただき、演奏させていただきました。







再び声をかけていただき演奏出来る喜びに、
有り難さを感じ、感謝の気持ちでいっぱいです。

緊張の舞台を終えた後、私は神戸に向かいました。
学生時代の友人の、披露宴が有るのです。
技師として病院に勤務している友人。
お相手も、同じく技師仲間と言う事から、
会場は、医師や、技師の研究会チームの方々でいっぱいでした。

数年前に、最愛の配偶者を亡くすと言う悲しみを経験。
そんな辛い経験をし、出会った2人。
きっと、人の痛みが解り、喜びも悲しみも分かち合える、
素晴しい夫婦として、第2の人生を歩んでいかれる事でしょう。

「とし瑛!何かひとことお願い!」と、突然指名され、とても戸惑いましたが、
震災の時に店まで来てくれて励ましてくれた友人への感謝の言葉と、
2人の門出を即興で相撲甚句の歌詞にし、
ひとふし唄わせていただきました。
♪めでたや めでたや 新郎新婦
  明るく和やかに 末永ごう幸せにぃ~
        は~どすこい~どすこい♪ 

この日の2つのイベントは、私にとって、
命の大切さ、有り難さを、
改めて考える事が出来た1日になりました。

みんな、みんな、ありがとう。

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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
すてきでした (右端のおばちゃん)
2007-06-26 20:28:50
孫に教えてもらいながら打っとります。とてもすてきでしたよ。そうとう長い事やっとってでしょうね、あのお声は。すばらしいです。太鼓も、あんなに楽しい曲があるんですね。太鼓は好きですが音が大きいだけと思っているところがありました。おどろきました。見ていて楽しかったです。歌ったり踊ったりしながら楽しそうな太鼓でした。相撲も大好きなので相撲じんく?に参加させていただいてそれも楽しかったです。山本一族様のますますのご発展とご活躍をねがっております。
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Unknown (孫です(爆))
2007-06-26 20:32:55
私も見たかったです。家族太鼓産は噂には聞いているのですが、まだお目にかかったことがありません。おばあちゃんがものすごく喜んでいるので、私も是非みたいです。
色んな苦労をしとってなんやなと、家族みんなでブログ読みました。
これからもガンバッテクダサイ!
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右端のおばちゃんさま。 (とし瑛。)
2007-06-26 23:20:13
右端のおばちゃん(失礼!)さま、
コメント有難うございます。
どこから見て、右端におられたのでしょうか(^_^;)
でも、楽しんでいただけて何よりです。
もし、どこかでお会いしましたら、
「右端のおばちゃんよ」と、声をかけてくださいね。
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孫ですさま。 (とし瑛。)
2007-06-26 23:23:14
コメント有難うございます。
今振り返ると、苦労と言うより、
良い経験をしたなぁと、思います。
命が有ったからこそ言える事ですが・・・・。
演奏する機会が有れば、
ブログで、紹介もしていく予定ですので、
良かったら、見に来てくださいね。
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良い事です (わたしもおばちゃんです)
2007-06-30 15:50:21
山本家さんを見ているとマイペースでいやされます。神戸からきちゃってまだ4年ほどなんですね。それでもたくさんの方から声をかけてもらってよいですね。
舞鶴は狭いところでわたしはここに来て驚いたのが、本当に地元の人はよそ者を受けつけない事。すたれて行く一方なのに気の毒な土地がら風土です。わたしはもうここに来て40年近くですが、山本家さんみたいな、都会からきちゃった太鼓は初めてです。それもよく西地域で頑張っておられますね。西は東より閉鎖的です。とある村太鼓の人が、夏の商店街の祭に、自分ところを出させてくれと頼みに来られました。
山本家さんのところに負けたくないようです。
村の太鼓以外で西を拠点にされているのは山本家さんだけですね。いかに西が閉鎖的かということです。
田辺城祭でも西のお祭なのに山本家さんがでないのは変ですね。たぶん村太鼓が山本家さんに活躍されると悔しいからでしょう。競っても素人のわたしから見ていても山本家さんの太鼓はピカイチですよ。見ればわかります。待つの商店街のお祭でも山本家さんが出ちゃったら村太鼓の人たちが自分達の技術の低さに悔しい思いをするから、どうしても山本家さんを抑え自分達が出れるように頼みに来るのでしょうね。
かわいそうですね。狭い心が。
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