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和太鼓と相撲甚句が大好き!家族太鼓山本家(かぞくだいこやまもとや)です。楽しむ事が上手くなる初め~の第1歩♪

神戸で【元関取が作る本物の味】な、ちゃんこ鍋屋を営んでおりました。私はお関取じゃ有りませんよ(笑)“オカミサン”でした。

【家族太鼓山本家に訪問下さった皆様へ】

山本家族3人だけで産声をあげた≪家族太鼓山本家≫ですが、神戸から舞鶴に越して来て、色んな出会いが有り、現在は家族だけでなく幅広い年齢層の友達の集まりになりました。 笑顔と心の温かさにあふれている稽古場でのみんなは、血はつながっていないけれど、まさに『家族』のような仲間です。 家族太鼓山本家への連絡・入会希望問い合わせなどは、kazokudaiko-yamamotoya-aty(アットマーク)ymail.plala.or.jpにお願いいたします。 尚、(アットマーク)は、@に書き換えて送信してください。 【コメントを書き込んで下さる皆様へ】 なりすまし・嫌がらせ・個人攻撃等には、返信コメントを控えさせていただくか、場合によっては、削除させていただきます。

地・・・・。

2008年01月30日 | 日々大切に生きたい。
今日はなぜか、やけに『地』が気になりまして。
地酒・地ビール・・・・。
この『地』とはどう理解したらいいのかな?
『地』の定義って何なんだろう?って考えたり。
考え出すと止まらなくて、気になって仕方ない。
とりわけ、全国に販売ルートを持たない、
地産地消するものって感じだろうか?
生まれ育った地で愛され食される食品達。
昔は交通手段が悪くて、地産地消が当たり前だったんだろうなぁ。
でも、それって幸せだなぁ。
よその土地に行って、よその土地の人に『旨い』と言われる。
それはそれで幸せかぁ。
なんだかまとまりのない文章だけど、
なぜか今日は、そんな事に思いを馳せていました。

私は・・・・私の地元は・・・・。
生まれたのは、神戸の市民病院。
舞鶴に来る前にずっと住んでいたのも神戸。
でも考えたら途中大阪に10年居たし、
明石には18年も居た。
神戸にはのべ10年。舞鶴に5年かぁ。
あぁ、歳がバレル(汗)まぁ、別に隠してもないけれど(笑)

それぞれ思い出がいっぱいで、その土地その土地に友達も居て、
そんな幸せも有りかな。

そんな事を考えていたら、
ふと『フーチャンの中華料理の素』が気になった。
子午線で有名な明石市の木戸食品が製造する中華料理の素。
私はこの調味料が大好きで、しかも使い方は決まっていた。
何が何でもチャーハンのみ。
高校生の頃、皆で集まる喫茶店が有って、
どうしてもそこのチャーハンの味の正体を知りたかった。
美味しくて美味しくて・・・・。
ある日、マスターがちょっと外出した時に、
カウンターの中を覗き込んだ。
『フーチャンの中華料理の素』と書いてあった。
地元の食品会社の製品だった。
それからと言うもの、チャーハンと言えば、ずっと木戸食品の
『フーチャンの中華料理の素』だった。
高校生の私。友達の家に遊びに行った帰り、
『すみませーん』と、工場に寄って買って帰って来た。
こんなの、全国に販売ルートを持つ大手企業では
考えられない事だよね・・・・。
何だかほのぼのとして幸せだった。
今でも、自転車で木戸食品に寄り道してるその頃の自分が、
セピア色で思い出せる。
木戸食品は、ソースも作っていて、その名も『ドリームソース』
良く見かけた看板も地元だったからなんだね・・・・。
私は、まろやか味よりも、香辛料しっかりめで、甘酸っぱさもパンチが効いた
ソースが大好き。

ソースが気になりだすと、明石や神戸に『地ソース』がどれだけ有るのか
知りたくなって、調べてみた。
ど素人のやる事だから、いっぱい抜けているだろうケド、
神戸には7社見つかった。明石では、木戸食品1社しか見つからなかった。
神戸に居たけど全然知らなかった『タカラソース』
名前は良く知ってた『ブラザーソース』
「どろソース」が陽の目を浴びるきっかけとなった『オリバーソース』
『ニッポンソース』?ここは全く知らなかった。
東灘区の『阪神ソース』ここも知らなかった。でも、日本で初めてソースを作った会社のようだ。
『ばらソース』うんうん。聞いた事ある。どこかの店で見た事もある。
そして私が住んでいた灘区の『プリンセスソース』
なんでこんな名前が付いたのだろう。

なぜか急に気になった『地』
神戸と明石のこの8社のソース、
全部食べ比べてみたいなぁ。

好きな色は何ですか?

2008年01月25日 | 日々大切に生きたい。
友人のりょうママは、舞鶴障害児・者の地域施活を考える会「歩っこり」の代表者です。
りょうママのブログを見ていたら、『好きな色は何ですか?』との記事が有り、
思わず即答。はやばやと書き込みをしました(*^_^*)

小さな頃から私は黄色が大好きです。
幼稚園の頃、お友達がみんな『赤!』と答える中、
私は黄色が好きでした。
お家で飼っていたセキセイインコの名前は“レモンちゃん”
もちろん黄色。

黄色の次は?と聞かれると、次に好きな色はピンクです。
だから、好きな色に影響されてか、
大好きな花は、ひまわりとチューリップ。

神戸に居た頃は、但東町のひまわりまつりと、
チューリップまつりに行きました。
なのに、考えてみると、舞鶴に越して来てからは、
行った事が有りません。

但東町・・・・豊岡市は、神戸と同じ兵庫県だけど、
行くんだったら、舞鶴からのほうが近いやん
何で今まで行かなかったんだろう。
こんなに家族でお出かけするのに。

で、さっそく夫・星君(仮名)をお誘い
写真を見せて、出石そばの話をして、シルク温泉の話をして
『連れて行ってぇ』もちろん答えは『ええでぇ

まだ先の話ですが、一緒に行く人この指とーまれ!

    

    

今日は、味噌ちゃんこです。

2008年01月23日 | 日々大切に生きたい。
ウチに有った事を忘れて、特売で買ってしまった人参
冷蔵庫には、大きな人参が合わせて6本・・・・。

数日前に、ブリ大根にするはずが、ブリだけ照り焼きで食してしまい、
これまた冷蔵庫に大きな大根が・・・・。
面倒なので、新聞紙にくるまずにポイっと冷蔵庫に入れていたのが間違い。
大根のシワが少々増えている。
人参も大根も、早く使わなければ・・・・

で、今日のメニューは『乱切り野菜の味噌ちゃんこ鍋』となりました。

人参と大根を大きめの乱切りにして、活力鍋にかけている間に
これまた特売で買っておいた、国産(と書いてある)牛スジ肉をコトコトの煮る。
糸コン・長ネギ・えのき・薄あげも加え、
みりん・砂糖・日本酒・味噌・2種類の醤油で味付け、
化学調味料は使わない。
牛スジ肉の旨味がたっぷり出ているので、
かつお出汁で炊かなくても深みが有って美味しい
と、自画自賛

しかし・・・・いつも『学習しろよ』と
自分で突っ込むのがその作る量
良く働き、良く食べる大学生のバイト君達の為に、
毎日、たくさんのまかない飯を作っていた
ちゃんこ屋さん女将時代の名残か
どうしても作りすぎてしまう。
今は、バイト君は関係ないが、
だいたいいつも、どんな料理も
『明日の夫・星君(仮名)のお弁当と、お義母さんのぶん。』と、
思って、多めに作るのだけれど・・・・。
気が付くと、何人家族と驚く量

この前も、牛スジ肉カレーを作りすぎてしまい、
(牛スジ肉の特売が、2週連続だったんです
今にも鍋から溢れんばかり
友達に『作り過ぎてんけど食べてくれる?』とカレーをお家まで配達しました

それなのに・・・・。今日もまたやってしまった
あ~ぁ、明日の朝も、味噌ちゃんこ鍋だね

でも、美味しいから・・・・まぁいいかぁ。

では、本日の晩御飯いっただきまぁ~す
お~人参も大根も、とろけるぅ~


誕生日おめでとう。その弐。

2008年01月19日 | 日々大切に生きたい。
1月19日。
119・・・・夫・星君(仮名)の誕生日その日は、星君(仮名)の職場の後輩の結婚式でした
先日、私が職場で意識不明で倒れた時に、夫・星君(仮名)と共に救急車で駆けつけてくれた隊員さんでも有ります。

普段から、後輩が遊びに来た時に『星君(仮名)は慕われてるのね(*^_^*)』とは感じていましたが・・・・。
(いじられキャラと言うか、つっこまれキャラと言うか・・・・

帰宅した夫・星君(仮名)。『誕生日プレゼントもろた。』
『は誰に』と聞き返す私。『新郎に。』と夫・星君(仮名)。
何で後輩の結婚式に行って、その新郎から誕生日プレゼントをもらうのん(笑)

話を聞くと・・・・。ケーキ入刀後、そのケーキを食べさせ合うふたりの姿は
仲睦ましさを感じさせとても微笑ましいと思うのですが・・・・。
その直後に、新郎さんから呼ばれたそうです。
『今日は、大変ラッキーな方がおられます。
お誕生日の星先輩(仮名)前にどうぞ』と言うことで、
本来、新郎新婦さんしかその場所では食べないであろうウエディングケーキを、
夫・星君(仮名)は、その高砂席で、後輩の新郎から食べさせてもらったそうです
そのうえ、後輩の新郎から誕生日プレゼントをいただき・・・・。

開けてみて大笑いなんとマラカス
さすがいつも星君(仮名)と一緒に居た新郎君、的を射ている(笑)

そう言えば、今年の年賀状には、『飲み会の2次会寂しいですよー』と書かれているのが複数有った。
いずれも昨年3月まで、夫・星君(仮名)が異動前に一緒だった後輩君。
歓送迎会や飲み会は、勤務時間の関係も有り、課毎に行われるのが多いため、
課が違うとなかなか一緒に行けないのです。
みんな夫・星君(仮名)の飲み会2次会での小ネタを楽しみにしてくれていたらしいです。

※そうそう、私、いつも夫・星君(仮名)のオモシロネタばかり
 書いておりますが、星君(仮名)の名誉の為に申し上げます。
 2次会の小ネタばかりを考えているわけでは有りません。
 仕事はいたって真面目で、ちゃんと国家試験を通った救急救命士です。
 念のため

そして、晩は、おうちで誕生日のお祝い。
と言っても、後輩君の結婚式。2時過ぎまで食べていた夫・星君(仮名)は
「贅沢なもん食べたし、晩は軽くで良いわ~」とのことで、
いつもと変わらないフツーの晩御飯で、ビールで乾杯
それだけでした。
お互いに、何か物でプレゼント。なんて事は、
結婚してから全然無いのだけれど、
昨年の夏も(私の誕生日)特に物はもらってないのだけれど、
覚えてくれていて、一緒に乾杯できるだけで
お互い満足しています。なーんの不満も有りません。

お義母さんが炊いてくれたお赤飯で
(昔から誕生日は赤飯と決まっとる!とお義母さん。)
キャンドルを灯し、和やかにお祝いいたしました。
こんな小さな幸せが、私には、とっても大きな喜びなんです。
いや、誕生日を祝う・・・・一緒に年を重ねて行ける・・・・。
これほど大きな幸せは他に無いなぁ。

誕生日おめでとう。

2008年01月19日 | 日々大切に生きたい。
119・・・・救急救命士の夫・星君(仮名)。

星君(仮名)が小学校2年生の時に亡くなった星君(仮名)の父。
写真でしか会った事の無い私のお義父さん。
消防官だったお義父さん。

今日、1月19日に星君(仮名)が生まれた時、
お義父さんは、どんな気持ちだったんだろう。

お義母さんは、いつも生前のお義父さんの話を聞かせてくれる。
お義母さんから、お義父さんの悪口を聞いた事が無い。
その話の中に、星君(仮名)といっぱい重なる所がある。
・・・・温かな思いやりがある人。

あれ?オオボケな話は聞いた事が無い。
ん?それはお義母さんに似たのかな。

1月17日。色んな事を思い出す日。1年に1度、改めて命の大切さを考えさせてくれる日。

2008年01月17日 | 日々大切に生きたい。
5年前まで神戸・灘区に住んでいました。
元お関取りの前夫と共に、ちゃんこ鍋屋を営んでいました。
前夫はもう天に召されていて、今はお店も有りません。
縁有って舞鶴に越してきたけれど、
あの怖さは忘れる事はできません。

長田区・・・・。私のおじいちゃんの家は、
阪神淡路大震災で、全焼しました。
おじいちゃんの家だけじゃなく、町がみんな焼けました。

阪神淡路大震災よりもっと前。
昔、若い頃お付き合いしていた恋人は、
自宅の火災で、その時の火の恐怖で記憶を無くしました。
私の事が誰だか解からなくて、恋が終わりました。
「こんな事、ドラマの世界ちゃうの?何で私達に・・・・。」
その時から火事がとてつもなく憎く、怖く、大嫌いになりました。
なのに、阪神淡路大震災は、私の父の実家を、
私が良く遊びに行った“神戸のおじいちゃん”の家を町を、
奪ってしまいました。



灘区・・・・。私が営んでいた、ちゃんこ鍋清王洋(せいおうなだ)と、
自宅の最寄り駅だったJR六甲道駅は、線路が崩れ落ちていました。
駅がつぶれていました。ぺしゃんこでした。
構内にいらっしゃった方が、亡くなられたと聞きました。





六甲道駅から、数百メートル南に歩いた所に有る
阪神電鉄・新在家駅も、線路が崩れ落ちていました。







六甲道の近辺、私の住む町は、私の自宅や店を含め、
壊れたり、焼けてしまったりした建物でいっぱいでした。
でも、ありがたいことに、私は命だけは助かりました。












あれから13年。
今朝は、穏やかに目が覚めました。
あぁ、私、生きてる・・・・。
安心感でいっぱいでした。
外は薄っすらと雪でした。
すやすやと横で眠ってる娘・むすびちゃん(仮名)に
『お~い!学校やでぇ。起きるでぇ。』と声をかけ、私は1階へ。

朝ごはん一緒に食べて、学校へ送り出し、
リビングでゆっくりとコーヒーを飲みながら、
昨日のブログに書いた、『起きとく?』と娘・むすびちゃん(仮名)が
言った言葉を思い出して・・・・。
思い出し笑いして、また元気が出ました。

産んで良かった・・・・。と、幸せな気持ちをかみしめ、
生まれてきてくれた、娘・むすびちゃん(仮名)に感謝です。

12年前、店の確定申告の準備で忙しい時に、風邪気味で発熱。
店が終わってから、深夜に申告の書類を仕上げるためには、
しんどい・・・・と、寝てしまうわけにはいきません。
3日間風邪薬を飲みました。妊娠に気づかずに・・・・。

『奇形、ダウン症、その他に“障害を持った子供”と言うのは、
原因が判るもの判らないものも含め、
今の日本の社会では100人に1人は生まれるのです。
あなた達妊婦さんが思っているよりも、多い割合だと思います。
妊娠初期の、この大切な時期に飲まれたのですから、
奇形児の生まれる可能性は、無いとは言えません。
しかし、風邪薬が原因とハッキリ言い切れる障害児は、
私の医師生活の中で、見た事は有りません。
中絶するのか、産むのか。
この子をどうするかはあなた次第です。』

あの時の先生の名前、顔、声、看護師さんの顔、
とても鮮明に蘇ってきます。
いったん家に帰って、悩んで悩んで泣いて泣いて、
産もう・・・・。と決めました。
産んで良かった・・・・。生まれてきてくれてありがとうといつも思います。

どんなに辛い事が有っても頑張ってこれたのは、
娘・むすびちゃん(仮名)が居てくれたから。
そして、娘・むすびちゃん(仮名)が居たから
「わしには子供が居ないから、子供の居る人と再婚したい。」
そう考えていた、夫・星君(仮名)と出会えた。

夫と、私の結びの神。娘・むすびちゃん(仮名)ありがとう。
娘にも私にもとても優しい夫・星君(仮名)ありがとう。
この世に夫・星君(仮名)を産んでくれて、
子連れの私との再婚を喜んでくれて、
娘・むすびちゃん(仮名)をすごく可愛がってくれるお義母さんありがとう。

1月17日。あしたの朝、穏やかに目覚められますように・・・・。

2008年01月16日 | 日々大切に生きたい。




私『なんか・・・・眠るのが怖いなぁ。』
娘『なんで?』
私『今眠ったら・・・・。
   あしたの明け方、揺れで起こされそうな気がして・・・・。』
娘『じゃあ起きとく?起きといたらええやん。
   起きといたら大丈夫!』
満面の笑顔で答えてくれた娘・むすびちゃん(仮名)。
『へ?』予想もしない答えに、思わずふきだしてしまいました(笑)
いつも娘からは元気をもらいます。
ありがとう。



黄色の矢印は、私が営んでいた『ちゃんこ鍋清王洋(せいおうなだ)』の店のテント。
店の横の電信柱は半分倒れかかっていた。
ピンクの矢印は、全て近隣の2階の壁や屋根。
1階は潰れ、ずり落ちた屋根で道はふさがれていた。
助かった命。大切に生きる。