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和太鼓と相撲甚句が大好き!家族太鼓山本家(かぞくだいこやまもとや)です。楽しむ事が上手くなる初め~の第1歩♪

神戸で【元関取が作る本物の味】な、ちゃんこ鍋屋を営んでおりました。私はお関取じゃ有りませんよ(笑)“オカミサン”でした。

【家族太鼓山本家に訪問下さった皆様へ】

山本家族3人だけで産声をあげた≪家族太鼓山本家≫ですが、神戸から舞鶴に越して来て、色んな出会いが有り、現在は家族だけでなく幅広い年齢層の友達の集まりになりました。 笑顔と心の温かさにあふれている稽古場でのみんなは、血はつながっていないけれど、まさに『家族』のような仲間です。 家族太鼓山本家への連絡・入会希望問い合わせなどは、kazokudaiko-yamamotoya-aty(アットマーク)ymail.plala.or.jpにお願いいたします。 尚、(アットマーク)は、@に書き換えて送信してください。 【コメントを書き込んで下さる皆様へ】 なりすまし・嫌がらせ・個人攻撃等には、返信コメントを控えさせていただくか、場合によっては、削除させていただきます。

我が家は楽しい(*^_^*)

2007年06月30日 | 日々大切に生きたい。


山本家族では、休日に(いや、平日もやってるなぁ
歌や踊りを、家族で真剣に稽古したりもします。
以前は、マツケンサンバのDVDも購入し、踊りにトライ!
しかし、夫・星君(仮名)は、踊りが苦手、
見ていておかしいのです。
私と娘・むすびちゃん(仮名)が、
一生懸命伝えても、無理でした(^_^;)
なので、東急ハンズで衣装だけ用意して、
夫・星君(仮名)は、成り切りサンバしていました(笑)

これからますます暑くなり、
窓を開けてる時間が長くなりますが。
もしかして、ウチの家からの笑い声は、
近所迷惑かもしれません

先日、1泊2日の野外学習を終え、帰宅した娘・むすびちゃん(仮名)
キスとアジの美味しい干物をお土産に持って帰ってきてくれました
これが単なるお土産ではなく、「干物つくり体験」と言う事で、
自分で作ってきたと言うのですから驚きました。
もちろん、家でもお料理を手伝ってはくれますが、
あまりにも綺麗なので、
思わずいらん事を聞いてしまいました(^_^;)
ごめんね。娘・むすびちゃん(仮名)

母「こんなに綺麗に誰が開いたん?
娘「体験やのに、私に決まっとうやん!
母「横で漁師さんがだいたいやってくれるんやろ?
娘「ちゃうって!説明はしてくれるけど、自分で全部したんやって
母「え~でもメッチャ綺麗で?
娘「だからな。エラのとこをグイッとして、背から開いてな・・・・
  内臓を出すやろ?それを空に投げたら、
  ウミネコか、かもめかが、サッ!と咥えて行くんや
  ほんで、骨にくっついとる身をなこうしてササッと・・・・(*^_^*)」
身振り手振りをまじえて、終始笑顔で説明してくれました

ちゃんこ鍋屋を営んでいた頃は、
ウロコが飛んでも、厨房の床ごと、
ザザーっと水洗い出来るので、
魚もさばきましたが、
家でやると、いつまでも臭さが残るので
最近は全然家で魚をさばくなんて、
やっていませんでした。
一度も教えた事ないのに、娘の巧いこと。
ビックリでした。

そして、娘・むすびちゃん(仮名)が
もうひとつ笑顔で話してくれたのは
「そうそう、校長先生は、みんなの様子を写真に撮らなあかんやろ?
で、私が自分のんが早く出来たから、校長先生から頼まれて、
先生の分、私がやったんやで全部で9尾も開いたんや(*^_^*)」

心配していた雨も大丈夫で、
楽しみにしていたキャンプファイヤーも出来て、
お味噌汁も上手に作れて、
大満足の野外活動だったそうです

大敷網漁を見学し、釣りも経験した娘・むすびちゃん(仮名)は、
えらく魚関係の事に興味を持ち、
「なぁ、釣り連れて行って(*^_^*)」とひとこと。
しかし・・・・。
色んなことに興味津々、好奇心旺盛、
行動力有り!何でもやってみる!の
夫・星君(仮名)と、私ですが、
2人とも、釣りだけは今までに興味もあまり無く・・・・。
どうやって良いかもわからない(^_^;)

誰か、釣り大好きな人居られたら、
山本家族3人を連れて行ってくださいませ(^^ゞ


話し変りまして・・・・。

今日の晩御飯は、ナポリタンでした。
晩御飯の時に、夫・星君(仮名)が居ない日は、
ネギたっぷりの納豆ご飯
簡単丼
パスタなどなど、
たんぱく質・炭水化物・お野菜・きのこなど
冷蔵庫の掃除がてら
ひと皿で、簡単に、色んな栄養が取れるものを
作る事が多いのです。
このナポリタンには、冷蔵庫に忘れていた、
熟してちょっと柔らかくなってしまった
トマトくんが入っています。

喰いタン2が始まって以来、最終回にいたるまで、
ずっと覚えたかった曲。
愛しのナポリタン
でも、ビデオデッキが壊れ、録画できなくて、
覚えられませんでした(>_<)
あ、歌詞は、わかるんですよ。
覚えたかったのは、
踊りです、お・ど・り


タマネギと人参ピーマンとウインナーが
(コラボレーション)
魅惑のリズムで千切りカーニバル

あ~覚えられなかったなぁ(>_<)
どうしようかなぁ。ねえ?のんちゃん?(笑)
和太鼓フェスティバル後の、打ち上げがね・・・・(笑)

舞鶴共済病院創立100周年記念・OB会総会と、友人の新たな人生。

2007年06月24日 | 日々大切に生きたい。

阪神淡路大震災で、木造1戸建ての、
神戸・六甲道の自宅は全壊。
全壊した我が自宅を含め、
古い木造建築家屋が並ぶ同じ町内のその中で、
奇跡的に残った鉄筋コンクリート建物の
ちゃんこ鍋屋のその座敷。
私達が営むちゃんこ鍋屋は、
私達家族と、家を無くした近所の人たちの避難所となり、
通常では経験しないであろう、他人同士・何家族かが、
一つ屋根の下(ちゃんこ鍋屋の9畳の小さな座敷)に住む。
と言う事態になりました。
寒い寒い1月17日。
長い間テント生活を余儀なくされた方々を思えば、
他人同士とは言え、狭くても畳の上で過ごせた私達は幸せでした。
店の向こうに見える隣家は、1階が完全に押しつぶされ、
2階の屋根が、すぐ手の届く所まで崩れていました。

当時私を支えてくれたのは、家族や近所の人との心の結びつきや、
学生時代から付き合いの続く友人達からの励ましでした。
そして、本場所や巡業を、しょっちゅう見に行くほどの、相撲好きが高じて
『相撲甚句の会』に入っていた私には、
相撲甚句会の方々の励ましが、大きな気力の支えとなりました。
また、相撲甚句を唄う事。それそのものが、私に元気をくれました。

和太鼓の舞台演奏の機会をいただく現在、
ほとんどの舞台で、私は相撲甚句を唄います。
そこには、大きな大きな思い入れがあります。
阪神淡路大震災を忘れない。
命が助かった事への感謝の気持ちを、
唄う事によって再確認するのです。

私が和太鼓と相撲甚句を続けられるのは、
夫・星君(仮名)と、娘・むすびちゃん(仮名)と、
お義母さん。と言う、理解有る家族のおかげ。
一緒に稽古して、一緒に楽しんでくれる打ち手のおかげ。
そして何より、私達打ち手を支えてくれる、
『家族スタッフ』のおかげです。
みんな、みんな、ありがとう。



3月28日。大人だけの初めての舞台。
『舞鶴共済病院・創立100周年記念式典・祝賀会』
とても緊張して臨んだ事を覚えています。


6月24日。前回に引き続き、
『舞鶴共済病院・創立100周年記念・OB会総会』
オープニングにも声をかけていただき、演奏させていただきました。







再び声をかけていただき演奏出来る喜びに、
有り難さを感じ、感謝の気持ちでいっぱいです。

緊張の舞台を終えた後、私は神戸に向かいました。
学生時代の友人の、披露宴が有るのです。
技師として病院に勤務している友人。
お相手も、同じく技師仲間と言う事から、
会場は、医師や、技師の研究会チームの方々でいっぱいでした。

数年前に、最愛の配偶者を亡くすと言う悲しみを経験。
そんな辛い経験をし、出会った2人。
きっと、人の痛みが解り、喜びも悲しみも分かち合える、
素晴しい夫婦として、第2の人生を歩んでいかれる事でしょう。

「とし瑛!何かひとことお願い!」と、突然指名され、とても戸惑いましたが、
震災の時に店まで来てくれて励ましてくれた友人への感謝の言葉と、
2人の門出を即興で相撲甚句の歌詞にし、
ひとふし唄わせていただきました。
♪めでたや めでたや 新郎新婦
  明るく和やかに 末永ごう幸せにぃ~
        は~どすこい~どすこい♪ 

この日の2つのイベントは、私にとって、
命の大切さ、有り難さを、
改めて考える事が出来た1日になりました。

みんな、みんな、ありがとう。

素晴しい高浜七年祭。

2007年06月17日 | 日々大切に生きたい。
天に召され今は亡き、前夫(元・お関取)。
私は、お関取の妻として、
「女が土俵に上がってはいけない。」
「女がマゲに触れてはいけない。」
そう言われてきた。駄目な物は駄目。
夫の髪に触れることさえ許されない。

大相撲。千秋楽の表彰の時、いつだったかある女性が、
「女が土俵にあがれないのは差別だ」と言った人が居た。
伝統に理屈は無用。駄目な物は駄目。それでいい。

私は都会で生まれ都会で育った。
そこに、伝統太鼓は無かった。
神戸から舞鶴に越してきて、
色んな村の太鼓と出合った。しかし・・・・。
創作太鼓と称して、伝統ある村太鼓のリズムに、
アーダコーダと色んなリズムを付け足して打ちたがる人が居た。
なぜ、伝統太鼓をそのまま大切にしないのか。
男だけじゃなく、女だって太鼓を打ちたい。
それならば、太鼓を打ちたければ、
伝統太鼓に要らぬ物を付けようなどとせず、
それはそれ、違う曲として取り組めば良い。
伝統太鼓を知れば知るほど、
それを守ろうとしない一部の人たちが嫌になった。

そんな気持ちの中で、前の職場で一緒だったお友達に声をかけてもらい
家族太鼓山本家のメンバー4人で高浜へ向かった。

太刀振り、太鼓、神輿、全てに感動した高浜七年祭だ。
太鼓好きの私にとって、ものすごく心に響く太鼓だった。

450年近くの歴史有るお祭。

やはり、その地の太鼓は、
地の人が、その地で打つからこその値打ち。
昔からの伝統の太鼓を、純粋に打つ。
そこに手は加えられない。加えてはいけない。
同じリズムを繰り返し繰り返し打つ。
それが、地の太鼓の良さである。





同じリズム。が、聞いていて飽きない。
男だけの伝統太鼓の世界。
素晴しい。美しい。芸術の世界だ。

「女だって太鼓を打ちたい。」その気持ちは解る。
人一倍太鼓好きな私なのだから。
でも、伝統太鼓に手を加えてはいけない。


太刀振りは、迫力があった。
綺麗だった。









溜め息が出るほど美しかった。
しかし、いったいこの若者達は、
どれほど稽古をしたのだろう。
足腰は安定し、迫力有る動きの中でも崩れない。
相当な努力が有ったはず。
素晴しい太刀振りだった。


神輿の練り歩きに私達も着いて行った。
止まったところで、太鼓と、太刀振りが繰り返される。
多くの人が、それに着いて行き、
太鼓と、太刀振りを何度も見ていた。




家族太鼓山本家のメンバーである子供達は、
私の友達に、前回の七年祭のアルバムを見せてもらい、
大満足。
「今度来る時は、高校生やなぁ」と言いながら、
帰路についた。

今回見れなかったメンバーに、
この感動を見せてあげたくて、
私達の稽古場に打ちに来てもらえるよう
頼んでみた。実現出来たら嬉しい事だ。

MTちゃんありがとう。
とても素敵なお祭でした。
次回も絶対見に行くから声かけてね。

ダイワボウマテリアルズの火災 ― ②

2007年06月08日 | 日々大切に生きたい。
夫・星君(仮名)が、約40時間ぶりに帰宅。
煙を少し吸い、喉や頭が痛いと言う。
しかし・・・・。しばし家で睡眠をとり、
明日の朝には、また出勤しなければならない。

後輩の救急救命士も、
ずいぶん育ってきたそうだ。
夫・星君(仮名)は、救急救命士として、
10数年務めた救急隊から、この4月、消防隊に戻った。

救急隊は、消防隊に比べ、出動回数が非常に多く、
夜中も、まともに仮眠を取れる日は、
数えるほどしかない。
そんな過酷な勤務状態だった。

消防隊に戻って、夜中の仮眠もまだ取れるようになるかと
思っていたが・・・・。そうでは無かった。
いずれにしても、厳しく、そして危険な職業だ。




朝の8時半頃、お義母さんを、所用に送っていく時、
白煙になっていたので、「そろそろ終息か・・・・。」と、
私は思っていた。


ところが、お義母さんを送り、家に戻ると、
黒煙に変っていた・・・・。
また、燃えはじめた・・・・。

これは、経験した者でないと解らないと思うが、
私は、何か怖い事があると、
あの阪神淡路大震災を思い出してしまう。
当時、神戸・六甲道に住んでいた私は、
あの地震で、自宅を失い、家の無い生活を、
数年経験したのだ。
何か、災害があるとその時を、思いだす。
恐怖で体が震えだす。涙が溢れ出す。
台風の時、風の轟音が、私に地響きを思い出させ、
私は、呼吸困難に陥った。
でも、夫・星君(仮名)は、出動して居ない。
世間のお父さんが、家族の為に家路を急ぐ時、
夫・星君(仮名)は、家族を残し、
署に向かわなければならないと言う運命だ。
呼吸困難で苦しむ私に、泣きながら「お母さん大丈夫?!」と、
しがみついてくるのは、娘・むすびちゃん(仮名)だった。

夫・星君(仮名)の職業。
それについては、きちんと理解して結婚したのだ。
私が、しっかりしなければ・・・・。

ダイワボウマテリアルズの火災。

2007年06月07日 | 日々大切に生きたい。
今日は、夫・星君(仮名)の当務日。
朝出勤すると、次の日の朝まで帰って来れない。
8時半交代なので、普段なら、7時45分頃に家を出る。
ところが今朝は、6時半過ぎに、「ダイワボウが火事や!」と、
朝ごはんも食べれずに、飛び出していった。
高野由里と住所が発表されているが、
その住所の一番端に有る工場だから、
我が家の有るNS町と、NK町とのちょうど町境になる。
だから、ダイワボウは、我が家から30秒もかからない。
目の前に有る工場だ。
引っ越して、今は、阪神間に住まいしているが、
以前、家族太鼓山本家のメンバーだった、AKちゃん家族が、
昨年まで勤務していた工場。
とても他人事と思えない。



目の前での大火。
辛く、苦しい、阪神淡路大震災の記憶が蘇る。
涙があふれそうになる。
平成7年1月17日。
バケツリレーする水も無い。
消火栓は、崩壊した建物で埋まり、
どこに有るのかも判らない。
消防車は来ない。道が無いのだから無理もない。
それでも火は、どんどん迫ってくる。
崩れ落ちた建物は、数人の人間の力だけでは、
どうしようも出来なかった。
ビクともしなかった。
あの時私は、崩れ落ちた建物の下敷きになり、
目の前で知人が焼け死んで行くのを、
助けてあげる事が出来なかった・・・・。
そこに居た皆は、気が狂いそうだった。

偶然今日は、仕事が休みだった。
何でも良い。どんな小さなことでも良い。
私に何か出来ないか・・・・。

すると・・・・突然
「車が来たらこのホース上を走らないよう、
すいませんが、言うてください!」
と、話しかけられた。
私の思いを知ってか知らずか、
はたまた・・・・。
夫・星君(仮名)が自分と同じ署員である事を、
知っていたのか、消防署の人からそう頼まれた。
野次馬根性と言うより、あまりにも身近な火事に、
心配で、皆、出てきている。
そこに居た数人のご近所主婦達で、
走ってくる車に「迂回してください。」
「このホース上は、走れません。」と、説明。
しかし・・・・色んな人が居る。
素直に迂回して下さる方も居れば、
なんと!強引に走っていく人も居た。
危うくその強引な車にひかれそうになった。

そこで皆で協力し、自転車を持ってきた。

まさかこれをなぎ倒してまでは、道に入ってこないだろう。
ホースを踏まないだろう。


用事のある、お義母さんの、
送迎を約束していたので、
途中で抜けさせてもらった。
13時前に戻ってきたが、まだ鎮火はしていない。
「さっき、やっとお巡りさんが来てくれた。」と、
ご近所主婦軍団も、道の管理をお巡りさんに任せ、
ホースの前から離れる事が出来たそうだ。
いまだ、消火活動は、続いているようだが、
ちょっとした事でも協力し合えた事で、
ご近所の大切さ、ありがたさを感じた。

しかし、ダイワボウの損失を考えると、
目の前が遠くなりそうだ。
人命に及んでいない事だけを祈る・・・・。
<現在14時>


現在20時。
工場の65%を焼失し、14時間近くかかり、
さっきやっと鎮火したと聞いた。
人命は大丈夫だと聞き、ホッとした。

串カツ専門店 串の助 ~神戸・六甲道~

2007年06月03日 | 日々大切に生きたい。
久しぶりに、神戸は、六甲道に有る、
串カツ屋さんに行ってきました。
JR六甲道駅下車。六甲本通り商店街を、
北に3分ほど歩いて、山手幹線に出たらチョコっと右折。
とっても行きやすく、便利な場所です。

串カツ専門店 串の助さんは、
私が、神戸に居る頃に、良く行かせて頂いたお店。
近所で、とても身近で、当たり前のように食べていたから、
ここの美味しさが普通だと思ってた。
行けなくなって、
いかに美味しかったのかが初めて分りました・・・・。
舞鶴に越してきて思ったのが、
ここに匹敵する串カツが、無いという事。
だから、今日はとても幸せでした




カウンターだけ、20席のお店。
こげ茶色の木で統一された落ち着いた感じ。
重厚で高級感の有るお店です。

でも、実は、子供連れでも入れる。
と言うか、子供連れもとても大切にしてくれるお店で、
ちゃんと子供メニューも用意されてる。

若きイケメン大将と、気さくでほのぼの明るいご両親が、
家族で一生懸命に営まれています。

娘・むすびちゃん(仮名)は、
目の前で揚げてくださっているのを、
ものすごく真剣に見入ってました。

 子供ランチ、1000円は、
  串カツ7本・おにぎり・飲み物・アイスクリーム・お土産のおもちゃ付き。

 Aコースランチは、
  串カツ10本に、ご飯・赤だし・サラダ・アイスクリームまで付いて
  なんと1000円!安くて旨い!

 Bコースランチは、2000円。
  串カツ12本に、ご飯・赤だし・サラダ・アイスクリーム
  夫・星君(仮名)が「何で2本違うだけで1000円違うん?」と、 
  かつての常連の私に質問
  それは、Bコースは、有頭の活海老が使われているから
  全部食べられるように、ベストな状態に揚げて下さっているので、
  頭からカプリ!
  香ばしくてパリパリ噛むと旨味が口いっぱいに広がります。
 
お腹いっぱいで、しかも飛び切り旨い串カツに、
家族3人ご満悦なのでした。

串カツそのものが旨いのはもちろん、
『塩』『ソース』『からしソース』『合わせしょうゆ』の
4種の自家製ソースが、これまた旨い

1本1本を、目の前で揚げて下さり、
『塩でどうぞ。』とか、『からしでどうぞ』
とか、言ってくださいます。
このソース類をつけて食べる他、
ウニソースが乗ってるイカの串カツ。
甘酸っぱいタレが染み込んでるシメジの串カツ。
これなんかも絶品です。

家族で力を合わせて、
一生懸命経営されている串の助さん。
そんな所も大好きな理由のひとつです。

久々に食べる事が出来て、嬉しすぎて、
大将や女将さんとフォトを撮るのを忘れました
写真は、HPなどからお借りいたしました。
皆さん、神戸・六甲道に行かれる機会が有りましたら、
ぜひ一度、お立ち寄りください。
美味しいですよ

串カツ専門店 串の助 ~神戸・六甲道~

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