和太鼓と相撲甚句が大好き!家族太鼓山本家(かぞくだいこやまもとや)です。楽しむ事が上手くなる初め~の第1歩♪

神戸で【元関取が作る本物の味】な、ちゃんこ鍋屋を営んでおりました。私はお関取じゃ有りませんよ(笑)“オカミサン”でした。

【家族太鼓山本家に訪問下さった皆様へ】

山本家族3人だけで産声をあげた≪家族太鼓山本家≫ですが、神戸から舞鶴に越して来て、色んな出会いが有り、現在は家族だけでなく幅広い年齢層の友達の集まりになりました。 笑顔と心の温かさにあふれている稽古場でのみんなは、血はつながっていないけれど、まさに『家族』のような仲間です。 家族太鼓山本家への連絡・入会希望問い合わせなどは、kazokudaiko-yamamotoya-aty(アットマーク)ymail.plala.or.jpにお願いいたします。 尚、(アットマーク)は、@に書き換えて送信してください。 【コメントを書き込んで下さる皆様へ】 なりすまし・嫌がらせ・個人攻撃等には、返信コメントを控えさせていただくか、場合によっては、削除させていただきます。

救急隊の皆様有難うございました。

2007年11月23日 | 日々大切に生きたい。
救急車に乗ってしまいました

『もしあのまま、意識を失ったままたおれていたら、
あの気温の中で、冷たいコンクリートの床の上に倒れていたら、
倒れたまま低体温となり、時間経過によっては、
不整脈を起こして死に至ってた。自力で119番出来て良かった。』

私が職場で意識不明になり、倒れた現場に、
勤務日だった夫・星君(仮名)が駆けつけてくれました。
その現場を見て、救急救命士である夫・星君(仮名)から言われた言葉です。

九死に一生を得るとは、こういう事を言うのでしょうか。
夫・星君(仮名)、そして、夫・星君(仮名)と一緒に、
駆けつけてくださった、救急隊の皆様、
命が助かった事、本当に感謝しています。
有難うございました。

検査や分析をする私の課は、
課として1つの部屋が有りますが、
そこに、1日じっと居る事は有ません。

課長から課員まで、それぞれ担当する仕事が有り、
その部屋から、各自が色んな場所に出向きます。

特に私の移動範囲、行動範囲は課で一番広く、
『万歩計付けてみよか?』なんて
皆で冗談を言って笑っていました。

私の担当する仕事のひとつに、
『受け入れた原料をまず一番最初に検査する』
と言う仕事が有ります。
あらゆる菌を持ち込まない為にも、
その場所は、事務所や工場、
そして、課の部屋から離れた場所にあり、
毎日、数時間そこで一人で黙々と、検査をしています。

課の部屋で、みんなが一緒になる朝礼の時、
『あそこで倒れても発見が遅れるなぁ』なんて、
冗談で話していたのですが、
まさか、本当にそうなるとは思ってもいませんでした。

最近寒さも厳しくなり、朝は8.5℃
午後からも最高で12℃にしかならない、
皆がいる場所から、ずいぶん離れた場所、
原料受け入れ検査室(仮称)で、
一人黙々と検査をしていた私。
最近まで、その部屋には内線さえ有りませんでした。

左胸に激痛が走りました。
息を吸おうとすると、痛みが増し、
肺を広げる事も出来ず、
呼吸が出来ない状態になりました。
息が吸えない。胸が痛い。
心臓止まるの?死んでしまうんやろか。
恐怖心がいっぱいでした。
苦しくて苦しくて、
でも、息をしようとすると胸に激痛が走り、
呼吸が出来ない。
動く事も出来ず、しばらくしゃがんでいると、
痛みが少し治まり、息が出来るようになりました。
『狭心症?』『心筋梗塞?』
どうしても不安だったので、
勤務中の夫・星君(仮名)に電話をして、
状況を説明しました。
救急救命士である夫・星君(仮名)から
『心電図取ってみないとわからないけど、
短時間やし、その心配は無いと思うで。』と言われ少し安心し、
『とにかく早く検査を済ませて、暖かい課の部屋に戻るわ。』
と、電話を切りました。

私自身の仕事中に、これまた仕事中である夫に電話するなんて事、
これまで1度も有りません。

でも今考えてみれば、虫の知らせと言うか、
この1本の電話が、功を奏したのだと思いました。

1時間後に、また同じ症状に襲われたのです。
今度は、さっきとは違い、痛みが治まりません。
吸おうとすると痛みが増す為、
呼吸をすることも出来ません。
会社の電話は外線につながらず、
119番が出来ませんでした。
ここで死んでしまうんかな・・・・。
そんな思いが脳裏に渦巻く中で、
たまたま原料受け入れ検査室(仮称)まで
持って行っていた自分の携帯で
119番にかける事が出来ました。

精一杯、会社名と場所を言っていたつもりですが、
119番の人には解ってもらえず、
『もしもし?どこですか?』と言う声が返ってきます。
何度か会社名を言ってみましたが、
返って来るのは『どこですか?』と言う返事。
とっさに、『星(仮名)の家内です!主人を呼んで!』と
言いました。
それでも『もしもし?もしもし?』と言っているので、
電話を切り、もがきながら夫・星君(仮名)の携帯に電話しました。
でも、気づかないのか、呼び出し音が、
私の耳にむなしく響くだけでした。
このまま死ぬのかな・・・・。
『お父さん(普段は主人をお父さんと呼んでいるので)』助けて・・・・。』
声にならない声をあげ、涙がぽろぽろこぼれました。

ふと気づくと、夫・星君(仮名)の顔が有りました。
夫・星君(仮名)の顔が見えた瞬間、
これで助かる・・・・。と言う思いと同時に、
涙があふれてきて、『お父さん・・・・』と
言った事だけ覚えています。

今年の4月に、救急隊から消防隊に異動していた夫・星君(仮名)。
だから普通なら救急隊として、
夫・星君(仮名)が、来る事は無いはず・・・・。
倒れたのが私やったから、個人的に来たのかな・・・・。
そう思っていたのですが、
朦朧とした意識の中で『タンカに・・・・。』
と言う言葉が聞こえました。
タンカ?と言うことは、救急車が来たん?
救急車のサイレンを全く知らない私。
私は、その時に初めて、電話している途中で、
意識消失したんだ・・・・と自ら知る事になり、
また新たに、『意識が無かった時』が有る事に、
恐怖感を覚えました。

携帯でかけた為に、通話状態が悪く、
その上、痛みと呼吸困難で声にならなかった私・・・・。
聞き取りにくかった私の119番通報。
センターでは、受け答えする人だけでなく、
他の職員も数人、通報の声を聞いてくれているそうです。
私が119番した時に、
その声を偶然聞いてくれていた消防職員のTUさん。
私たち家族の事を良く知ってくれているTUさんが
聞き取りにくい私の声を聞き取ってくれたのです。
会社名と星(仮名)の家内です!を
聞き取ってくれたんです。
『場所は○○!○○は、星(仮名)の奥さんの勤務先や!』

TUさんのおかげで、センターから夫・星君(仮名)に
連絡が行き、今は消防隊の夫・星君(仮名)が、
救急隊の人と代わって、救急車で駆けつけてくれたのでした。

1時間前に、胸の痛みで夫・星君(仮名)に電話していた私。
その為、TUさんを通しての連絡に、
私だと確信して駆けつけてくれた夫・星君(仮名)。
原料受け入れ検査室(仮称)で、倒れた私のそばには、
携帯が開いたまま落ちていて、
119番して、そのまま気絶した事を物語っていたそうです。

検査の結果、命に別状は無いと判り、安心ました。
そして、激痛で人は気絶する事が有るという事を、
初めて知りました。
ただ、倒れた原因は、死に直結しなくても、
もし、あのまま誰にも気づかれず
気を失ったまま、倒れたままだったら、
寒い部屋の中でどうなっていただろうと怖くなります。

夫・星君(仮名)の話では、発見された私が、
『お父さん・・・・』と言った後、
安心したのか、私は傾眠状態に入ってしまったそうです。
今でも、所々、記憶がとんでいて、ただただ夫・星君(仮名)が
来てくれた事に、感謝しています。

救急車で運ばれた時に、
看護師さんが私の体の冷たさに驚いていた事にも、
私自身が驚きました。
暖かい服装はしていたつもりですが、
体は冷え切っていたようです。

寒い部屋で、何時間も冷たい水を絶え間なく触っている検査。
考えてみれば、8.5℃ですもの、
冷蔵庫内での作業と一緒ですよね。
言ってみれば、冷蔵庫の中に、
1日に延べ4~5時間居るのです。
しかも、冷たい水を、冷蔵庫の中で、
絶え間なく1~2時間触っているのです。
たった一人で・・・・。

離れた部屋、閉鎖されたような環境、極度の寒さ、
色んな悪条件がストレスとなり、
今回のような事になってしまったようです。

私からの119番を聞き取って下さり、
夫・星君(仮名)に連絡してくださったTUさん、
救急隊の皆様、本当にお世話になりました。
有難うございました。

まだ余韻覚めやらず。和太鼓フェスティバル。

2007年11月19日 | 日々大切に生きたい。

和太鼓フェスティバルを終えて1日が経ちました。
まだ余韻さめやらずで、心の中が暖かいです。
本当に良い仲間と出会えたなぁと、
感謝の気持ちでいっぱいです。

上の写真は、『さて、演奏前に腹ごしらえだよぉ~』と、
楽屋で、みんなでお昼ご飯の図です。


髪を結う事が苦手な私が結んであげる普段は、
『イテテ!』と、髪をくくるのが大の苦手な娘・むすびちゃん(仮名)。
やはり不安そう・・・・。
でも、メンバーの一人でヘアメイク担当のMKちゃんにやってもらうと、
全然痛くなくて、『この髪型好き』と、
ずいぶんお気に入りの様子でした。
しかも、この髪飾り、既製品では有りません。
MKちゃんのお手製です
衣装も、ヘアメイクも、ものすごく人に恵まれている、
家族太鼓山本家。みんなみんな有難う。

昨年に引き続き、今回の衣装は、ものすごく思い入れがあって、
それを気に入ってくれたメンバーにも感謝です。
鏡に映してはルンルンしているNAGIちゃん。
可愛い

しかし、この真っ白な素敵な衣装には、
実は、とっても笑える話があるんです

さて、和太鼓フェスティバルを間近に控え、
本番と同じ稽古をしようと、全員で衣装を着た日、
『パンツが透けるやん』と判明。
何と、子供達の可愛い柄パンツが映っているんです
今流行の、『エロカワ』衣装にするつもりは有りません。
あくまでも清々しく、真っ白な衣装。
天使が舞うように、キラキラ楽しく舞いたい。

とにかく全員、ベージュを着れば大丈夫かなぁと、言いつつ、
白のレギンスをはくほうがより安心やね
と言う事になりました。

ところが・・・・。
娘・むすびちゃん(仮名)と一緒に、ネット検索しても、
今こんなに流行っているレギンスなのに、
黒はいっぱい有るけど、白が無い

『灯台下暗し』か?!と、近所のバザールへ。
それでもやはり、黒はいっぱい有るけど、白は無くて・・・・。
フェスティバルは直ぐそこに迫っていて、
正直、泣きそうな気分になっていた所、
娘・むすびちゃん(仮名)の声が
『お母さん!これは?たくさん有るで。全員分ある』と
見つけてきた白いレギンス。

泣きそうな気分だった私のはずが、思わず大笑い。
手を叩いてお腹抱えて笑いました。

『確かに真っ白でフィットするし、温かそうやけど、
それはお父さん達の冬用ステテコやん。
しかも、前、開いてるし


『パンツが透けんように。それから、太鼓打ってて、
もしスカートがチョットくらいめくれても大丈夫なように、
衣装の下にはくんやろ?膝から下しか見えへんし、
観客のみんなにはわからんやん』と、
とっても無邪気で可愛い娘・むすびちゃん(仮名)。
何でもポジティブな娘・むすびちゃん(仮名)は、
いつも私を笑かしてくれます。

色々探して、大人から子供までやっと全員の白レギンスを確保。
あ~良かった。ズボン下をはかずに済みました。



これは、演奏後、楽屋でチームメイトみんなで食べたケーキです。
『娘・むすびちゃん(仮名)の誕生日をみんなで祝ってやってぇ~』と、
言うのを口実に(笑)何とか同じ時間に、
打ち手・家族スタッフ・元メンバー・元家族スタッフに、
集合をかけました。

3日前と、当日、結婚記念日を迎えた、2組のご夫婦の
お祝いをしたかったんです。
でも、≪やっさん≫はいつも撮影隊をしてくれているし、
客席から、楽屋まで、どうやって呼び出そうか・・・・。
不自然やとあかんしなぁ・・・・。

でも、なんとかこれも乗り切り、みんな集まってくれました。

娘・むすびちゃん(仮名)のハッピバスデーに続き、
2番と3番は、『おめでとう結婚記念日おめでとう○○周年』と、大合唱しました。

家族の基本。家族と呼ぶにあたり一番小さな集合体である夫婦。
6周年と、15周年。
そして、2人と言う小さな集合体が、
子供を授かる事で段々大きくなっていく・・・・。
結婚記念日と、子供の誕生日。
おめでたい事が3つも重なった家族太鼓山本家。
ものすごく心に残る11月18日、
第7回舞鶴和太鼓フェスティバルになりました。

第7回舞鶴和太鼓フェスティバルを終えて。

2007年11月18日 | 日々大切に生きたい。
第7回和太鼓フェスティバルが終わりました。
この写真は、第6回で、昨年の衣装ですが、
昨年に引き続き、今年も衣装を作りました。
昨年とはまた違った趣の衣装。
両方とも、とてもお気に入りの衣装です。



ジャーン今年の衣装です。
 
真っ白で天使のような私達(?)

昨年まで、うちのチームで活躍してくれていたAKちゃん。
なんと!引越し先の大阪から、家族みんなで駆けつけてくれました。
私が『炎太鼓』さんの大ファンである事を
良く知っているAKちゃんはこの衣装を見て、
「なるほど」と納得してくれました。
そして、この衣装を作るにあたり、
これまた炎太鼓さんの大ファンである、
北九州の友人Mちゃんからのアドバイスを
もらいました。
彼女は、この衣装の黒バージョンを、
数年前から愛用していて、
作り方のポイントを、惜しげもなく伝授してくれました。
おかげでこんなに素敵な衣装に仕上がりました。
有難う。

去年も、今年も、衣装を着ていると、
何人もの人に声をかけられました。
「素敵!」「どこで買ったの?」「特別注文?」
「え~!どうしたんそれ?!」
とても反響が大きくて、すごく嬉しい私です。

それもそのはず、素人チームの私達ですが、
なんと恵まれた事に、専属の衣装さんが付いてくれています。
今年の2月に、浅野太鼓の専務さんが、
我が家に直接平太鼓を届けてくださった日には、
衣装さんにも我が家に来てもらって、
浅野太鼓の専務さんと会ってもらいました。
専務さんは、太鼓だけじゃなくて、
着物等の衣装にも、とても詳しくて、
ウチの衣装さんと、舞台衣装について、
熱く語り合っておられました。

私達の衣装・・・・。ブランド名はいえませんが・・・・・。
いえ、特に私達用に名前は付いていないので、
ブランドNON。とでも言いましょうか・・・・。

絵心の無い私は、希望のデザインを絵で伝える事が出来ません。
ですので「法被に鉢巻は苦手です。」
「短い法被に、お尻のシルエットがくっきりはっきりのスパッツも嫌です。」
「でも、和風・和柄は好きです。」
「こうして下さい。」「ああしてください。」と、
ひたすらわがままに、希望を口頭で伝えています。
専属の衣装さんは、それを見事に素晴しい衣装へと導いてくれます。

石川県の炎太鼓さんに、直で教えていただいた『それ竹節』は、
家族太鼓山本家の定番演目と言えるようになってきました。
(と、本人は思っています
毎週・毎週、半年間、楽しく厳しく『それ竹節』を
教えてくださった炎太鼓の地下朱美先生。
平太鼓をご自身が舞鶴まで持ってきて下さった浅野専務。
平太鼓の購入について、本当に親身になって協力くださり、
作曲も手がけていただきアドバイス下さった、
和太鼓松村組の松村公彦先生。
専属の衣装、ブランドNONさん。
そして、家族太鼓山本家スタッフの皆さん、
打ち手の仲間達。
たくさんの、たくさんの方々の力で、
今年も、充実した楽しい、感動的で心に残る、
和太鼓フェスティバルになりました。
みんなみんな有難う。


本番が終わって楽しみなのが、その日の打ち上げです。

今年は、中華レストラン東来さんで、集まりました。
私とした事が、あまりの美味しさに、食べる方に集中してしまい、
料理のフォトを取り忘れました
和太鼓フェスティバルの日でも有り、
娘の誕生日でも有る今年の11月18日。
東来さんは、なんと!娘・むすびちゃん(仮名)に、
バースデーケーキを用意してくださっていました。
しかもホールで!
美味しい料理のあとに、みんなで分けて食べたケーキ。
心が暖かくなりました。
東来の皆様、有難うございました。

でも・・・・。
和太鼓フェスティバルと言う重圧から開放されたのか、
メンバー一同ハイテンション
うるさくてご迷惑だったかも・・・・。

昨年の打ち上げでは、夫・星君(仮名)が、
衣装+かぶりもので、マツケンサンバを披露してくれて、
その後、みんな「いややわぁ~」とか、
「変やー」とか、キャーキャー言いながら、
結局は、全員がかぶりもので写真を撮るという、
楽しい打ち上げでした。
一部を、再度紹介してみますね。
  
昨年は、こんな感じでした。

今年は、特に何も無いかなぁと思っていたら、
夫・星君(仮名)が、突然

ミッキーマウスなんてやり始め、
そうすると、みんな「私も!」「私も!」「僕も!」になって行き、
またまた、楽しい打ち上げを過ごせたのでした。
誰かを撮ろうとするたびに、みんながそばに移動して写ろうとするもんだから、
にぎやかでにぎやかで。
去年は、男性が夫・星君(仮名)だけだったんだけど、
今年は、他のお父さんも居て、夫・星君(仮名)は、
嬉しそうでした。
では、写真の大公開(笑)
         
さてさて、今年も残り少なくなりました。
和太鼓フェスティバルを終えると、
「冬が来るなぁ。」「年末も近いなぁ。」と、毎年思います。
だけど、昨年と今年は特に、
「山本家族3人だけで産声をあげたけど、
今は良いメンバーに恵まれ幸せやなぁ」と、
とても幸せな気持ちで冬を迎えています。

第7回舞鶴和太鼓フェスティバル

2007年11月13日 | 日々大切に生きたい。
舞鶴和太鼓フェスティバル。
今年も近づいてまいりました。
ぜひ、たくさんの方に、ご来場いただきたいと思っております。

第7回
舞鶴和太鼓フェスティバル
11月18日(日) 舞鶴市総合文化会館 大ホール
午後1時30分開演


過去、いくつかのチームに所属してきた私ですが・・・・。

『後から入ったくせに、何であの人が何で真ん中で打つの?!』
(その人が努力して、上手くなったんやから仕方ないやん。)
『チョッと打てるからと思って!』
(その人、稽古してるやん。あんた稽古してないやん。)
『あんな人、はよ辞めたらエエのに。』
(え?!その人の前で、あんたこないだ
「辞めんといて下さいねぇ」って、ネコナデ声やったやん。)
・・・・・・・・。
どこの、何の世界にでも、裏と表はあるけれど、
あまりにもひどい、某チームの人の裏表を見ていて、
そのチームに居る事がイヤになりました。

『ここは、あなたが居た都会の神戸とは違いますよ。
あなたの言っていることは、正しいけれど、
舞鶴は狭い世界ですからね。
権力者が「白い物」を「黒い」と言えば、
下っ端は「そうですね黒ですね。」と言わないと、
生きていけない世界ですよ。
いやなことを我慢してでも、このチームに残って、
打つ機会を得るか、
正義を通して、ここを辞めて打つ機会を失うか。
さあ、どちらにしますか。』
そんな内容の話を、過去に所属していたチームの人が、
自宅まで言いに来ました。

迷い無く『辞めます。』と答えました。
もちろん集団の中ですから、
自分の思いのままになるとは思っていません。
時には折れることも必要だと解っています。
でも、こんなウソだらけのチーム・・・・。
太鼓を打つ。それ以外に、必要以上の、表向きだけの、
ウソだらけの気遣いを強いられるのは、耐えられませんでした。

ウソはイヤ。「白い物は白い」にこだわりたい。
あたたかな気持ちで心を込めて、家族で打ちたい。
家族みんなで一緒に打ちたい。
そんな思いが一層強くなりました。

そんな思いから、平成16年の5月に、
山本親子3人だけで産声をあげた家族太鼓山本家ですが、
今では、小学校1年生から、ん10歳
幅広い年齢層の、友達の集まりになりました。

振り返ってみると、他のチームをやめ、
家族太鼓山本家を結成して3年半が経ちました。

最初は、数々の嫌がらせも有りました。
いや、最初だけでなく、今でも、嫌がらせをする人も居ます。
最初は、腹が立ってばかりの私でしたが、
最近は、「あほやなぁ」と、笑えるようになって来ました。
(だってほんまにアホみたいな嫌がらせするんですよ)

地元中学校の、特別支援学級で、和太鼓の講師として
週1回、授業を担当していた私ですが、
チームを辞めて半年ほどだったでしょうか、
「来月から、もう授業は有りません。」との連絡が、
そのチームの人から来ました。
その人は、その中学校に、ある形で、
非常に関わりの有る人でしたから、私は信じました。
「担任からは、直接連絡無かったなぁ」と思いながら、
「お世話になりました。」と、学校に挨拶に伺いました。
校長先生も、担任の先生も、「何が?」と、チンプンカンプン。

本人に問い正した所、「私が、学校を見ていて、もう山本さんの授業は終わりにしようと学校が考えている。そう感じたからそのまま言っただけ。
思った事を言って何が悪いの?そう感じたんやから仕方ないやん。」
開いた口がふさがらない返事が返ってきました。
問い詰めていくと「あんたの名前が売れていくのがイヤやったから!」だと・・・・。
そんな自分勝手な感情で、ウソの連絡をしてきたのでした。

また、出演が決まっていたイベントなのに、
その主催者に「出られなくなりました。」と、
私を装って辞退すると連絡された事も有りました。

数々の嫌がらせの中で、今年に入ってやられた嫌がらせは、
ほんまに笑ってしまうものでした。

「太鼓だけでなく、相撲甚句を唄いますし、
合いの手もメンバーが入れるので、スタンドマイクを2本お願いします。」
と、依頼していました。

音響の係が、以前所属していたチームの関係者だったので、
イヤな予感は正直あったのですが・・・・。

いざ本番。なんと用意されたマイクは、
体育館なんかに置いてある【演台】の上に置く
数10センチ高さのマイク。

立った姿勢で相撲甚句を唄う私たちに用意されたのが、
これ、キノコが生えてんの?と、突っ込みたくなるような、
寸足らずのマイクでした。
もう幕も開いていて、私達に注がれた何百の瞳。

もちろんこんな事に負ける私たちでは有りません。

笑顔で「すみませ~ん。椅子か何か台くださ~い」と、
その辺にいらっしゃる、過去のチームとは無関係のスタッフの方に、
台を持ってきていただき、マイクを上げてちゃんと唄いました。
子供達も、すごい笑顔で打っています。

聞いてくださる方にも、とても喜んでいただき、
大きな拍手や声援、手拍子。
子供達には「素晴しいぞ!」と、おひねりまで飛んできて、
とても充実した舞台でした。

演奏させていただいている私達や、
客席のみんなが笑顔で盛り上がっている中、
ふと目に入ったのが、客席の一番後ろで、
腕組みをして不機嫌そうににらんでるおばさんでした。
よく見ると、昔のチームの人でした。

そんな視線も、今の素晴しいチームメイトと共に居ると、
怖くも何とも有りません。
マイクの件も、あまりの子供っぽさに、怒るどころか、
終わってから、合いの手を入れてくれるメンバーと
「あほやな」と大笑い
ここまで来ると、なんだか気の毒になりました。

そんな、こんなで、
「太鼓に初めて出合った時の、
太鼓を始めた時の、純粋な真っ白な気持ち。
何だかチョッと好き。と、マイバチだけ持って
太鼓サークルに参加していた私が、
もう、めちゃめちゃ大好き!に変わるきっかけになった
炎太鼓さんとの出会い。」
“炎太鼓さんみたいに熱く”
そして“初心にかえろう”
“真っ白な気持ちを大切にしよう”と、
今回の和太鼓フェスティバルは、
“情熱”と“初心”と“真っ白”に
こだわっています。

ぜひ、皆様、舞鶴市総合文化会館まで、
足をお運び下さいませ。

テレビ出演の事。

2007年11月11日 | 日々大切に生きたい。
テレビ出演の話の続きですが・・・・。
『探偵ナイトスクープ』にも出た事が有ります。

あ、雑誌にも載った事も有ります。
あらためて、人生を振り返ってみると、
色んな経験をさせてもらってるなぁ。

20年ほど昔々の話ですが、神戸に住んでいた頃、
ファッション雑誌のNON-NOに載った事が有ります。
(え~!うそぉ~と言わないで

舞鶴に来て知り合った人、特に、神戸在住時代より、
20キロ肥えた後の私しか知らない人は、
驚くだろうと思います。

当時、『あなたの街でファッション診断』
と言うコーナーがNON-NOに有りまして、
北野町を友達と歩いていた私、
パチリとNON-NOスタッフの方が、
写真を撮って下さいました。

それが、『靴下にストライプを持ってきて正解!マフラーの結び方もおしゃれ!』
なんて、コメントと共にNON-NOに載って、
ものすごく嬉しかった事覚えています。

当時は、DCブランド全盛期で、
私も、BIGIやら、メルローズやら、コムデギャルソンなんかに
興味津々で、ボーナスを楽しみに働いていました。
と言うか、なんか、ブランド物を着ていないと、
安心できないと言うか、
ブランド物を着ることで、安心をもらっている。
そんな感じだった気がします。
若かったなぁ。

佐賀のがばいばあちゃん。島田洋七さんパート2

2007年11月10日 | 日々大切に生きたい。
前記事で、過去のテレビ出演の事を書いたら、
メールや電話などをいただき、
けっこうな反響に驚きました

「見せて~」と、数名に言われたのですが、
今まで、過去のVTRを見せたのは、
お家の都合で、舞鶴から大阪に引っ越した
元、家族太鼓山本家のメンバーで、
この夏、世界陸上で通訳として活躍した
AKちゃんだけなんです

泊まりに来てくれた時に、時間も有るし、
ゆっくりと・・・・。という事で、
VTR鑑賞会となりました。

テレビ繋がりで、お話しすると、
ハイヒールさんと、河合俊一さんが司会をされている
土曜の朝の『あさパラ!』
にも、実は出演していました。
あの【あさぱらモニター隊】のメンバーやったんです、私・・・・。
もうずっと昔の話しで、
第○(←片手で数えられるひとけたです)期モニター隊やったんですけど・・・・。
月日が経つのは早いものですね。
今は≪第25期モニター隊≫だとか。

舞鶴に引っ越してきた頃にも、その後も、
テレビ局からは、何度か出演依頼が有ったのですが・・・・。
ここ何年かは、お断りしています。

でも、以前出演していた理由とはまた違って、
『出てみても良いかなぁ・・・・。』と、
最近少し思えるようになりました。

もし、そんな事になったら・・・・。
ここでまた、発表したいと思います。

ところで・・・・。
「どうぞ楽屋へ。」と、ご連絡をいただいたので、
人権の集い、がばいようちゃん(*^_^*)島田洋七さんの楽屋へ、
陣中お見舞いに伺おうと思います。
久しぶりに、お会いできる事、嬉しいなぁ(*^^*)

もうみなさん良くご存知だとは思いますが、
本当に話術に長けた方です。
絶対にたくさんの方に、
見に行って欲しいと思います

がばいようちゃん(*^_^*) 懐かしい島田洋七さん。

2007年11月05日 | 日々大切に生きたい。
人権のつどいで、島田洋七さんが、舞鶴へ講演に来られるそうだ。

もう、これは絶対行きたい
彼の話は、文句無しにおもしろい。
おもしろいかと思えば、ほんまに泣けてきたり、
何時間一緒に居ても、飽きない人だ。

何でこんなに『がばいようちゃん』を
知っているかと言うと・・・・。

私には、以前、神戸に住んでいた頃、
ちゃんこ鍋屋の女将さんと言う仕事の他に、
月に数回東京の某スタジオへ収録に。
と言う生活を送っていた時期がある。

私は、『しらばか』と言う、
鶴瓶さんや、研ナオコさんが司会をする番組に、
レギュラーで出させていただいていた。

(↑この写真は、鶴瓶さんが、舞鶴に落語公演で来られた時の写真です)
芸能界で活躍される歌手や女優さん
あるいは、俳優の奥さん、
そして、プロスポーツ選手の奥さん、
など等、あらゆる種類(?)の
女性陣で構成されていたこの番組。
この仲間に、実は私も入れていただいていた。

金曜日ゴールデンタイムの番組で、
かなりの視聴率だったのだが・・・・。
何と番組プロデューサーが大麻で捕まり
打ち切りになってしまった。と言う残念な思い出だのだが・・・・。

そのあらゆる種類(?)の
女性陣の中に、島田洋七さんの奥様もいらっしゃり、
数々のオモシロ話や、逸話を聞かせていただいた。
その話の内容に、阪神淡路大震災を思い出し、

ものすごく共感・感動した私は、
号泣してしまった事も有った。

しらばかスペシャル!なんかの時には、
どの女性陣も、夫婦や家族で出演し、
涙あり、笑いありの素晴しい番組だった。
島田洋七夫妻の話は、もうお腹をかかえて、
笑うわ・泣くわ、で、大変だった。

とにもかくにも、12月2日、
人権の集いでの『がばいようちゃん』の話は、
絶対に聞きたいのである。
彼の話術に、笑い、そして涙して、
心の大掃除をしようと思っている。