和太鼓と相撲甚句が大好き!家族太鼓山本家(かぞくだいこやまもとや)です。楽しむ事が上手くなる初め~の第1歩♪

神戸で【元関取が作る本物の味】な、ちゃんこ鍋屋を営んでおりました。私はお関取じゃ有りませんよ(笑)“オカミサン”でした。

【家族太鼓山本家に訪問下さった皆様へ】

山本家族3人だけで産声をあげた≪家族太鼓山本家≫ですが、神戸から舞鶴に越して来て、色んな出会いが有り、現在は家族だけでなく幅広い年齢層の友達の集まりになりました。 笑顔と心の温かさにあふれている稽古場でのみんなは、血はつながっていないけれど、まさに『家族』のような仲間です。 家族太鼓山本家への連絡・入会希望問い合わせなどは、kazokudaiko-yamamotoya-aty(アットマーク)ymail.plala.or.jpにお願いいたします。 尚、(アットマーク)は、@に書き換えて送信してください。 【コメントを書き込んで下さる皆様へ】 なりすまし・嫌がらせ・個人攻撃等には、返信コメントを控えさせていただくか、場合によっては、削除させていただきます。

『舞鶴共済病院・創立100周年記念式典・祝賀会』

2007年03月28日 | 日々大切に生きたい。
『舞鶴共済病院・創立100周年記念式典・祝賀会』に、
参加させていただきました。

ゲストとして演奏させていただける事になり、
笛・チャンチキ・大太鼓の稽古に、
今まで以上に、真剣に
取り組むきっかけを作っていただいたと、
本当に感謝しております。

昼・夜の部、合わせて、450名ものご参加で、
たくさんの方に、
家族太鼓山本家の演奏を聞いていただけました。

    

相撲の寄せ太鼓をイメージしての締太鼓
  ↓
相撲甚句
  ↓
チャンチキ笛の音
  ↓
それ竹節
  ↓
そして、その後に続く大太鼓演奏。

それは、たくさんの方々を前に、
そして、子供達が居ない、
今回は大人だけで舞台に立つと言う
普段とは違った状態に、
非常に緊張した舞台でしたが、
自分達なりに満足のいく演奏ができたと思っています。

日本海・水平線からの日の出・舞鶴港。
力強い大きな海をイメージした曲、
<大洋~YAIYOU~>と言う
私が打つ大太鼓の曲を作曲して下さり、
舞鶴まで稽古指導に来て下さった、
和太鼓松村組の松村公彦先生。

準備期間が少ない中で、
間に合うようにと、以前から欲しかった、
念願の平太鼓を作って下さり、
舞鶴まで自ら納品に来てくださった
浅野太鼓楽器店の昭利専務。

演奏に関して構成のアドバイスを下さり
一生懸命励ましてくださった、
総合企画運営を担当された矢野社長。

稽古を見に来て下さり、
太鼓運搬・セットに大きなご協力を下さった、
共済病院のスタッフの方々。

いつもは一緒に演奏する子供達が、
今回、お酒の席なので、舞台に立つことが出来ず、
留守番する事になりました。
その子供達を全て自宅で見てくれていた
スタッフのりょうママこと、のんちゃん。
7人の子供達を一手に引き受けてくれて、
にわか保育学童園となったのでした。

そして、家族太鼓山本家のスタッフ頭として、
マネージャー的実務を全てこなしてくれた
私の夫、星君(仮名)。

たくさんの方のご協力で、私達打ち手4人は、
納得のいく演奏をする事ができました。
本当にありがとうございました。

昼の部では、舞鶴共済病院関係者の方々のほかに、
国会議員、府議会議員、市会議員、
知事、市長、海上保安学校・学校長、
第八管区海上保安本部・本部長、
海上自衛隊総監、舞鶴医師会会長、舞鶴消防長、
など等、そうそうたるメンバーが名を連ね、
今までに無い緊張感で演奏に臨みました。
でも、みなさんが温かな目で見つめ、
演奏を聞いて下さり、そして大きな拍手をいただき、
とても嬉しかったです。

夜の部では、職員さんや、OBの方々で、
会場はあふれんばかりの人・人・人。

大人だけの演奏の機会をいただいた事は、
とても貴重で、感謝しています。
でもその中で、大きな発見もありました。

私達、家族太鼓山本家は、
子供から大人まで老若男女壁の無いチーム。
いつもの稽古時は「こら!休憩中にあばれない!」
「人が説明してる時は、ちゃんと聞く!」と
叱る事も有る子供達ですが、
その子供達が、私達大人に
どれだけ元気と癒しをくれていたかが判りました。
大人だけで稽古した日の、なんとない寂しさ。

私達は、他人の集まりだけど、
やはり、本当の大家族のような仲間、
<家族太鼓山本家>だと、あらためて
心にしみるものが有りました。

命よ助かって。

2007年03月26日 | 日々大切に生きたい。
私の夫くん、星君(仮名)は、救急救命士です。
不思議な事に、星君(仮名)と一緒に居ると、
事故や怪我などの場面によく遭遇します。
星君(仮名)は、人を助けるために、
そんな星の下に生まれたのかもしれません。

ウチからすぐ近所の、星君(仮名)実家に
2人で、おかずを持って行った時、
なぜか実家の前で頭から血を流した人が倒れていました。

お友達のお家からの帰り、
道端で倒れてる人。その横でお孫さんが、
「おばあちゃんが突然倒れた」・・・・。

昨年の大阪場所では、私達のすぐ後ろの、
升席の人が突然倒れて。

買い物の帰りには、自転車同士の衝突で、
ひとりは、うずくまって・・・・。

家族で過ごすプライベートな時間に、
そんな場面に遭遇した時、
星君(仮名)は、救急救命士として
消防署の仲間が来るまで、
救急車が到着するまで、
救命措置を行います。
何も出来ない私は、そばで祈るしか有りません。

娘は、ふだん家でのんびりしている星君(仮名)と、
現場で、救命士として動いている
星君(仮名)の違いを目の当たりにしています。

娘はそんな星君(仮名)を、
すごく尊敬してるようです。
もちろん私も。

今日は、私の大太鼓の稽古に、
近くのスタジオに行きました。
娘と私が、スタジオで、太鼓の稽古をしている間、
星君(仮名)は、散髪に行きました。

その帰り、3人で買い物に寄る途中、
「えらい混んでるなぁ」と思ったら事故でした。
自転車に乗った方が、車にはねられたのです。
星君(仮名)は、すぐに車から降りて現場に。
みんな遠巻きに見ているだけで、
誰も救命処置をしていなかったのです。

その緊張した空気は、今まで私が遭遇してきた物とは
違いました。心肺停止状態でした。

星君(仮名)が心臓マッサージをしていると、
「私がやります!看護師ですから!」と
通りがかりの女性。
星君(仮名)は、自分が救急救命士だと言うことを、
明かさずに、何も言わず交代し、
その看護師だという人に心臓マッサージは任せて、
自分は、はねられた人の、気道確保の体勢を作ってあげていました。
「自分は救命士です。」と言えば良いのに・・・・。
と、思ったのだけど、星君(仮名)は、
「誰がやってもかまへん。命さえ助かれば。」
といつも言うのです。

しかし・・・・
あまりの現場を見た私は、ショックで、
食欲も出ずに、考え込んでしまいました。

私は阪神淡路大震災で奇跡的にも命が助かった。
とてもありがたいと思ってる。
たくさんの人に助けてもらった。
私も誰かを助けたい。
恩返し・・・・。いつもそう考えるけど、
私は誰かの役に立っているのだろうか。

救命措置をしている星君(仮名)の前で、
娘と2人、ただ呆然としているだけだった。

あの人の命・・・・助かってほしい。


大相撲大阪場所。

2007年03月25日 | 日々大切に生きたい。

いつもは家族4人で行っていた大阪場所ですが、
今年は、たくさんで行って来ました
私の夫君、星君(仮名)の実家のすぐそばのSTさん。
そこの奥さんのお兄さんが、今の私の職場の上司です。
世間は狭いなぁと、この縁に驚き、
せっかくだからと、上司のNKさんも、
一緒に行く事になりました。

そして、昨年まで、家族太鼓山本家の
メンバーだったAKちゃん。
大阪に帰郷したので、大阪場所に行く前に、
寄らせてもらって、生まれたての次男の
Masaya君と会わせてもらう約束
了解の上とはいえ、大勢で押しかけました

楽しくおしゃべりしたあと、
生まれたてのMasayaくんとAKちゃんは、
お家で留守番
AKちゃんの旦那様と、長男のTaiちゃんも
一緒に、大阪場所に向かいました。

大阪府立体育館に到着
いったん升席に案内していただき、
その後いつもどおり、若者頭の部屋へご挨拶に。
相撲協会の若者頭、白岩さん(元十両白岩関)に
お会いして、しばし歓談。

私が神戸に住んでいた頃、
大阪の甚句会に所属していて、
その頃からのお付き合いなので、
もう20年来のご縁をいただいています。
白岩さんには、毎年升席を用意していただいて、
感謝しています。
ウチのお義母さんと、娘は、
「さっき入り口で白岩さんにはお会いしたし、相撲見たい」と、
そのまま升席に陣取り。本当に相撲の好きな家族です。


仕度部屋の出入り口付近で撮ったので、
チョッと画像が暗いのですが、
千代白鵬さんです。

17年初場所で、幕下優勝を飾り、
同17年大阪場所で、新十両となった力士。
今場所は、幕下西の筆頭で、
関取への返り咲きを狙っておられます。
ちなみにこれは、お関取当時のフォトです。

大銀杏が似合っておられます。

そして、これも支度部屋付近なので、
同じく少し暗い画像ですが、
玉光国さんです。

以前、ウチに遊びに来てくれた、
玉乃島関のお兄さんです。
玉ノ国の四股名で、
十両も務めていた力士さん。
また、十両の土俵上で、
取り組みを見れる日を、
楽しみにしています。

山本家族の家の壁には、
貴乃花関
小錦関
若乃花関
栃東関
春日錦関
土佐の海関
などなど・・・・
たくさんの有名力士と一緒に撮った
フォトが飾ってありますが、
白岩さんは、今有名な力士だけではなくて、
これから強くなるだろう力士さんを
呼んで来てくださり、フォトを撮ってくださるので、
とっても有名なお関取りの、
入門した頃のフォトが有ります。
可愛い

今年の大阪場所では、
嬉しい事が重なりました。
何年ぶりでしょうか。
芋縄純市氏とお会いする事が出来ました。

芋縄氏は、大阪で、スーパーマーケットや、
ディスカウント酒店。
そして、ちゃんこ鍋屋などのお店を、
合計35店舗経営する
スーパーコノミヤの会長さんです。

芋縄氏とのご縁も、
かれこれもう20年ほどになりますが、
ここ数年は、大阪の甚句会も辞め
舞鶴に越してきたことも有り、
なかなかお会いする機会も有りませんでした。

芋縄氏を、土俵近くの桟敷席で発見したので、
升席から下りて行ってご挨拶。
芋縄氏、しばらくじーっと私の顔を見つめ、
「前は、もっとスマートやったな?」とひとこと
はい。そのとおりです

芋縄氏の優しいはからいで、
一緒に行った上司のNKさんと、
私の夫君、星君(仮名)は、交代で、
東西会の桟敷席に座らせていただきました。

審判の親方と、控え力士の間に見えるのが、
夫の星君(仮名)です。
審判は、もと若嶋津関、現松ケ根親方。
夫の星君(仮名)感動のひとこと。
「土俵のすぐ下で見る相撲は、
すごい迫力や

桟敷席は、飲食・おしゃべり禁止なので、
芋縄氏は桟敷席のすぐ後ろの
知り合いの記者席に座り、
私は、そのすぐ後ろ、芋縄氏所有の升席に
座らせていただき、
なつかしい昔話に花を咲かせました。

神戸に住んでいた頃は、大阪場所のたびに、
芋縄氏の娘婿さん(元・朝潮関)が、
親方を務める、当時の若松部屋の
朝稽古を拝見させていただき、
稽古の後の、ちゃんこ鍋を、
力士の方々と一緒にいただいておりました。
当時は、若松部屋でしたが、
元・朝潮関は、
現在、高砂部屋を継がれていらっしゃいます。

お知り合いが、芋縄氏のところに
挨拶に来られるたびに、
「としえちゃんとは20年来の付き合いでね。
相撲甚句が上手いんやぁ。」と、
もったいない紹介をしてくださるので
恐縮でした

会長・芋縄氏の長男さんは、スーパーコノミヤを継ぎ、
社長さんとして勤められています。
次男さんは、お医者様で、その奥様は、
なんと、グリコ社長の娘さんなのです。
そして、芋縄氏の娘さんは、
元朝潮、現・高砂親方の奥様、
高砂部屋の女将さんです。

すごい人はすごい人と縁が有るものなんですねぇ。
「芋縄さんの縁ってすごいですね。
なんでそんな人たちと出会えるんでしょう?」
と言うと、
「なんでも一生懸命やってたら、
縁は後から、ついてくるもんやで。」
とのお応えでした。
なるほど。

石川県七尾市・輪島市の地震。

2007年03月25日 | 日々大切に生きたい。


震度6強。阪神淡路大震災には及ばないとしても、
立っては居られないはず。建物の損壊も絶対に有る・・・・。
物が倒れてくれば、人の命は・・・・。
阪神淡路大震災の恐怖が蘇ってきた。
緊急の電話以外は控えなければ・・・・とは
解かっていても、石川県と聞いてじっとしていられず、
浅野太鼓の昭利専務の携帯にすぐ電話をした。
『ツーツー』つながらない。
話中なのか、緊急時で電話が殺到しているのか
判断がつかない。
10分経ってやっとつながった。
「あ~山本さん。ありがとう。大丈夫。
揺れは大きかったけど、大丈夫。」
専務の無事の声を聞き、ホッとして電話を切った。

ホッとしたのもつかの間。
泊まり明け勤務でさっき帰ってきたばかりの
夫の星君(仮名)に電話がかかる。
もともと午後からの数時間、
人員が足りないので出勤する予定だったが
予定より早く、石川県の地震対策で出勤する事になった。

出勤した星君(仮名)から電話が入る。
「石川県まで行くかもしれない。
国からの命令待ち。現在、待機中。」
とのことだ。
阪神淡路大震災でも、他県から助けに来てくださった方が、
余震や過労で、亡くなられた方もいらっしゃる。
国の命令なら行かなければならないし、
たぶん、星君(仮名)なら、命令じゃなくても、
任意の招集でも、自ら行くだろう。
心配な気持ちを抑えて答えた。
「私は阪神淡路大震災で、家を失い、
目の前で人が焼け死んでいった。
でも、色んな人に助けられて、今こうして生きていられる。
うちらは大丈夫。石川県行って、一人でも多くの人を、
助けてあげて。」
心身ともに強くなければならない救急救命士。
日中はもちろん、夜中に何度も出動する。
仮眠も満足に取れない。
40代最後の年。「救急救命士として現役で居られるのも
あと少しだろうなぁ」と口癖のように言っている。

阪神淡路大震災を経験しながら、
いま、何も出来ない自分に、いらつきを覚える。

かんてんぱぱの詰め合わせと、豚キムチちゃんこ鍋。

2007年03月17日 | 日々大切に生きたい。

家族太鼓山本家の元メンバーで、
今は大阪に引っ越した、AKちゃん。
彼女から、内祝いが届きました。
お返し要らないよ。と言ってたけど、
勝手なもので、届くと嬉しい
私の好みを熟知してくれているAKちゃんなので、
かんてんぱぱのゼリーセットです。

これが色々と美味しいのです。

デザートに重点を置いたので、
おかずは、簡単で手早く美味しく出来るもの・・・・。
となると、やはりちゃんこ鍋。
豚キムチちゃんこ鍋を作りました。

今回は、水を使わず、
野菜と、調味料の水分だけで食べるものにしました。
簡単簡単。どーんと入れて火にかけるだけ。

使うキムチの旨さで、この鍋の味が決まります
あまりキムチを大量に使うと、
キムチの味しかしないので、
そこは適量に。
そして、本みりん・清酒・お砂糖の素・醤油で、
味を調えまして、出来上がり

ビールが、進むおかずです。
と言っても、あまり飲めないので、
夫の星君(仮名)と2人で、缶ビールの小さいの2本でした。


わずか3年前・・・・。

2007年03月09日 | 日々大切に生きたい。








写真の整理をしていて、気分がトリプルダウン
今4年生の娘が1年生の頃の写真。
娘は、元気に明るく成長してくれていて、
ありがたい事ですが・・・・。
問題は、この私
わずか3年前は、今よりずっとスマートだったんだ・・・・。
と、あらためて認識
そう言えば、以前は「え見えなぁ~い」と、
実年齢よりも若く見られていたけれど、
でも今は、それなり・・・・。
体も重い。動きも鈍くなる。
何とかしなければと思いつつ・・・・。



家族太鼓山本家、大人の稽古。

2007年03月07日 | 日々大切に生きたい。
 
和太鼓松村組の、どの曲も好きなのですが、
中でも、“神戸発”と“宵宴”が、大好きな、
家族太鼓山本家の大人メンバー。
あの、楽しさを自分達の舞台でも表現したいと、
許可を得て、稽古に取り組んでいます。
私がひとり打ちするのは、松村公彦先生が、
作曲して下さった、大太鼓の曲。
その大太鼓の前に、“宵宴”を
大人チームで奏でます。

締太鼓・笛・チャンチキ・大太鼓。
チームのみんな、それぞれ各自が、
ここまで真剣に取り組めるのは、
ご指導下さり、曲を書いて下さった、
松村公彦先生のお陰です。
そして、浅野太鼓楽器店の太鼓が素晴しい事と、
頼れる浅野昭利専務のおかげです。

週1回の『子供から大人まで、家族みんなでの稽古』
とは別に設定した週2回の大人だけの稽古。
1週間の間に、太鼓の稽古が3回
みんな、へこたれずに頑張って、
締太鼓も、笛もチャンチキも、大太鼓も、
段々かたちになってきました。
ワクワクドキドキ

第1回 神戸グルメと “ 鯛茶ヅケーズ ”ライブを楽しむ会

2007年03月04日 | 日々大切に生きたい。
4月14日(土)に、やっと日程が決まりました
昨年からずっと言ってて、
なかなか実現できなかった事。

本当は、泊まりで計画してたのですが、
それだと、なかなか日程が決まらない
やはり主婦集団で行くとなると、
日帰りが精一杯

それぞれ、旦那さんや、実家に子供をお願いし、
この日1日だけ、OLの時の気分にかえっての
日帰り旅行。

メインイベントは、鯛茶ヅケーズさんのライブ

アカペラのプロなので、
歌の上手いのは当たり前なのですが、
話が面白い
聞かせる歌と、思わず笑ってしまう歌。
この構成が最高

ゴスペラーズと、吉本を
一挙に楽しめるライブと言う
表現が合うでしょうか。

うわぁ~楽しみ。
どきどきワクワク


それから、お知らせです。
3月の大阪場所ですが、
21日(水・祝)の升席を、
山本家で、2枡、用意しましたが、
現在の所7人のお申し出です。
あと1人ですが、
どなたか行かれる方は有りませんか?
お問い合わせは、
kazokudaiko-yamamotoya@cpost.plala.or.jp
にお願いします。
また、ご自身のアドレスをコメントを記載時に、
入れていただければ、こちらから詳細をお返事いたします。