遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

震災から8年

2019-03-12 16:10:26 | 日記
平成31年3月12日(火)

東日本大震災八周年追悼式


東日本大震災から8年が経過した。
関連死を含む犠牲者は2万2千人を超える、、、、、
復興は見えるところのインフラ整備等が進んだが
今だに5万人以上の避難生活者が在る。



昨日(3月11日)、東京の国立劇場で政府主催の
「東日本大震災八周年追悼式」が行われた。

秋篠宮ご夫妻のご臨席のもと、岩手、宮城、福島
の被災3県の代表者、政府関係者が参列し開かれた。

冒頭、菅官房長官は「開式の辞で追悼式と言う所
を「きねん式典」と申し上げたと、後の記者会見
で陳謝した。



午後2時46分(震災の発生した時刻)、1分間の
黙祷を参列者全員で捧げる、、、、。





安倍総理の式辞では、「震災から8年、復興は着実
に進んでいる、、今後も被災者一人一人に寄り添い
支援、復興をを加速させていく、、、」と述べる。


秋篠宮殿下のお言葉は、「被災地で多くの困難を
乗越え、手を携えて努力を続けられ、、、支援を
される方等、力を尽くされ、環境整備などの復興も
着実に進み、、一方では多くの被災者が依然として
不自由な暮らしをされて居る厳しい現実が在ります。
取分け、放射線量の多い、帰還出来ない人々、
児童等の減少、風評被害等の影響に心が痛みます。
避難生活の長期化により高齢者等の心身の健康にも
深く心に掛ります。困難者が誰一人、取り残される
事なく、少しでも早く平穏な日常に戻れる様に、、」

絶えず、国民の目線で居られる、、天皇ご一家の
心優しき人柄が偲ばれる、お言葉でした。

この後、岩手県の高橋勇樹さん、宮城県の今野昌明
さn、福島県の叶谷守久さん等が遺族代表の言葉
を述べ、亡くなられたご遺族の無念と、復興への
誓いをおこなった。




(写真はNHK TV 追悼式より)

岩手県陸前高田市では、津波被害に備えて、最大
12mの高台造成工事がほぼ完成、、、
目に見える所での復興が着々と進んで、、、
所がこの膨大な敷地に戻って来る人が殆ど見えず、
戻らぬ(戻れぬ)理由として、
「戻って来ても働く場所が無い、糧がない」
「8年も経つと、避難先にコミュニテイが出来た、
戻っても、知人も友人もいない、寂しいだけ、」
「戻りたくても、家を建てる金がない、」

また、原発被害の福島の方は、「避難解除されたが
何も無く、戻っても何も出来ない、」
「在るのは汚染水、汚染土、、、どんどん増える
ばかり、誰が何処へ処理するのか、」
「子供は帰るつもりがない、帰れと言えぬ、、
こんなで先行き、将来が見えるのか、、、」

昨日の中日新聞朝刊コラム「中日春秋」に、
俳人高野ムツオさん(宮城県多賀城市在住)の

「身の毛まで津波の記憶冬深し」


という句の紹介記事が在った。
高野さんは震災当日、地元のビルの地下で食事中
に地震に遭遇され、ビルから逃れる、、、、
途中、津波被害を目の当たりされる、、、
横転する車や瓦礫が散乱する中を、、、、、
震災忌が今年もめぐって来た、、  

今日の1句(俳人の名句)

身の毛まで津波の記憶冬深し


今だに蘇る津波の恐怖の記憶である、、、、
 (中日新聞、コラム中日春秋より)