内田裕也が亡くなった。
この人のこと嫌いという人は多いと思うけど、スゴイ生き方だったことは間違いない。
おそらく、この人なりの信念に基づいて、一本貫き通したと思う。
周りから変人だと思われてただろうし、面倒くさい人だったんだろう。
普通は自分自身がそれに疲れて、丸くなるものだけど、ずっと尖ったまま生きるのは相当な精神力だったと思う。
彼は口を開けばロックンロールと唾を飛ばしていたが、いったいどれくらいロックンロールだったのだろう。
わりと早い時期に、自らが表舞台に立つことをやめ、若手の育成に育んできたように思う。
ここで伝説のバンド、フラワートラベリンバンドの登場である。
この1970年デビューの全英詞バンドは、どれくらいロックしているのか聴いてみようじゃないか。
まずデビューアルバムから
Flower Travellin' Band - Anywhere 1970 * (full album)
僕の予想を大きく裏切って、かなり本格的なロックアルバムだ。
ほとんど同時期のロックカバーで、「ブラックサバス (曲)」や「21世紀の精神異常者」などをやっている。
1曲目は知らない曲(マディー・ウォーターズのカバーらしい)だったが、16分くらいある。
当時(昭和45年)の邦楽界といえば、演歌と歌謡曲とグループサウンズしかない時代、こんな本格ロックサウンドのアルバムを出すなんて、まさにロックンロールだ。
完全にイかれてる。
しかし、本当にイかれてるのは次の「サトリ」というアルバムだ。
こちらはオリジナル曲で、LPレコード1枚にサトリしか入っていないというキチガイっぷりである。
Flower Travellin' Band - Satori Pt 1
"Satori Part 2" (1971) - Flower Travellin' Band
FLOWER TRAVELLIN' BAND - Satori Part III
Flower Travellin' Band ► Satori Part IV [HQ Audio] 1971
このアルバムは、同時期のツェッペリンやパープル、フロイドやクリムゾンらと充分対抗出来るレベルにあると思う。
ヘヴィで難解で、ギターソロが異様に長い。
東洋の匂いが感じられるメロディラインも秀逸だし、演奏テクニックもある。
当然、彼らは日本では売れなかった。
しかし海外ではなかなかの評価だったらしい。
こういうアルバムは、ビジネスとしては失敗するのは目に見えている。
それでも、あえてGOサインを出したというのは、内田裕也という人間のロックンロール魂だと思う。
ご冥福をお祈りします。
この人のこと嫌いという人は多いと思うけど、スゴイ生き方だったことは間違いない。
おそらく、この人なりの信念に基づいて、一本貫き通したと思う。
周りから変人だと思われてただろうし、面倒くさい人だったんだろう。
普通は自分自身がそれに疲れて、丸くなるものだけど、ずっと尖ったまま生きるのは相当な精神力だったと思う。
彼は口を開けばロックンロールと唾を飛ばしていたが、いったいどれくらいロックンロールだったのだろう。
わりと早い時期に、自らが表舞台に立つことをやめ、若手の育成に育んできたように思う。
ここで伝説のバンド、フラワートラベリンバンドの登場である。
この1970年デビューの全英詞バンドは、どれくらいロックしているのか聴いてみようじゃないか。
まずデビューアルバムから
Flower Travellin' Band - Anywhere 1970 * (full album)
僕の予想を大きく裏切って、かなり本格的なロックアルバムだ。
ほとんど同時期のロックカバーで、「ブラックサバス (曲)」や「21世紀の精神異常者」などをやっている。
1曲目は知らない曲(マディー・ウォーターズのカバーらしい)だったが、16分くらいある。
当時(昭和45年)の邦楽界といえば、演歌と歌謡曲とグループサウンズしかない時代、こんな本格ロックサウンドのアルバムを出すなんて、まさにロックンロールだ。
完全にイかれてる。
しかし、本当にイかれてるのは次の「サトリ」というアルバムだ。
こちらはオリジナル曲で、LPレコード1枚にサトリしか入っていないというキチガイっぷりである。
Flower Travellin' Band - Satori Pt 1
"Satori Part 2" (1971) - Flower Travellin' Band
FLOWER TRAVELLIN' BAND - Satori Part III
Flower Travellin' Band ► Satori Part IV [HQ Audio] 1971
このアルバムは、同時期のツェッペリンやパープル、フロイドやクリムゾンらと充分対抗出来るレベルにあると思う。
ヘヴィで難解で、ギターソロが異様に長い。
東洋の匂いが感じられるメロディラインも秀逸だし、演奏テクニックもある。
当然、彼らは日本では売れなかった。
しかし海外ではなかなかの評価だったらしい。
こういうアルバムは、ビジネスとしては失敗するのは目に見えている。
それでも、あえてGOサインを出したというのは、内田裕也という人間のロックンロール魂だと思う。
ご冥福をお祈りします。
樹木希林さんに宛てた手紙で、ロックをビジネスとして考え無ければならない時が来たのでしょうか。
と胸の内を書き記していたので、思うように行かず、葛藤も多かったと思います。
ファーストアルバムはカバーなんですね。
内田裕也と言うとロックンロール!
といつも言ってる変な人と思っていましたが、オリジナルアルバム「SATORI」は非常に良いですね!
この当時の邦楽とは思えません。
かなり驚きました。
内田裕也はなにかとお騒がせ人間で、最近では樹木希林との不思議な夫婦関係の話題が多かったのですが、当ブログとしては、ロッカーとしての内田裕也を取り上げました。
ビートルズの来日公演の前座もやってる人ですが、映像を見る限り、ぜんぜんロックンロールではありませんでした。
なんだこの程度かと思ったのですが、フラワートラベリンバンドを聴いて納得しました。
きちんと本物のロックをわかってる人で、おそらく世界に通用するバンドとして育てたかったんだと思います。
実際カナダではチャートインしてますし、アメリカ進出も考えてたようです。
彼らにとって不運だったのが、ローリングストーンズ来日公演の前座をつとめるはずだったのに、来日中止になって話が流れてしまったことのようです。
ここでストーンズに認められてたら、世界に大きく羽ばたいな可能性あると思います。
私の好きなロックな人達が次々に死んで逝く。
5年ぶりくらいににフラワートラベリンバンドを聴いた。
30年前に初めて聴いたときと同じように心がふるえた。
私は今、病院のベットの上です。
病院で深夜にフラワートラベリンバンドを聴くと、
脳や臓器に直接突き刺さってきます。
36年前の交通事故が原因で入退院を繰り返しています。
つらいときに聴くと心に響きます。
私は、結婚して20年、ロックな生き方はやめたけど、
気持ちはあの頃のままであることを痛感します。
はじめまして。
36年前の事故から入退院を繰り返されてるということは、相当大きな事故で、生死の旗をさまようほどの重体だったことが予想されます。
その事故でその後の人生が大きく狂ったと思いますが、よくぞ生きてこられたと思います。
このサトリに見られる一種の狂気は、とくにKAZさんのような体験をされた方だと感じ方も違うんでしょうね。
僕は1970年前後の頃はまだ幼くて、生まれてはいたけれどロック体験はしていません。
80年代に入ると、すでにロックは死にかけていて、同時代の音楽より70年代の音楽にシンパシーを感じていました。
フラワートラベリンバンドは過小評価されてますね。
僕も最近まで聴いたことありませんでした。
案外、日本よりも海外の方が評価高いかもしれません。
コメントありがとうございます。
フラワートラベリンバンドをリアルで聴かれてたのですね。
ロックが一番熱かった時期を体験されてる人の言葉は重みが違います。
サトリはシングルだったのですか。
おそらくそれを買った人って、当時は少なかったんだと思われますが、海外のロックと比較しても負けてませんよね。
僕はその時期の邦楽ロックについてはまだまだ無知なのですが、他にも探せばすごいバンドがありそうです。