Music Mania

No Music No Life

交通事故被害者

2013年01月27日 | クルマ
昨日、マイミクのカインさんが車の追突事故の被害にあったという。
幸い、たいしたケガもなかったようだが。

もう10年以上前のことだが、僕は追突事故で酷い目にあったことがある。

その日は雨がシトシト降り、3月だというのに冬のように寒い日だった。
四日市の路上で信号待ちをしていたら、突然激しい衝撃が体全体を襲う。
後ろの車が僕のクルマに追突したのだった。
僕のクルマは信号待ちの先頭だったが、交差点の真ん中くらいまで突き飛ばされた。

相手の人は誠意というものがまるでなく、非常に荒っぽい野人のような男だった。

警察でわかったことだが、男は暴力団組員だった。
傷害などいくつもの前科があり、今も現役ヤクザだという。
そしてクルマは本人のものではなく、しかも車検切れ。
家は公団アパートに住んでいるらしい。
(このときの警察対応は非常に冷たく、実に不愉快だった)

その後、この暴力団員となんどか電話でやり取りしたが、今は忙しいだの、払う金はないだの、あそこに止まってたおまえが悪いだの、まるで修理代を払う気がなかった。

修理代金は35万円くらいだったと思う。

仕方がないので、市の交通事故相談センターへ行った。
事情を話したが、相手が払う気がない場合、どうしようもないと言われた。
安定した収入がなく、財産も差し押さえるものもない場合、日本の法律では強制労働は出来ないのでなんともならないと言う。

それでもあきらめられないので、弁護士に相談することにした。
しかし、弁護士にも同じことを言われた。
弁護士は逆じゃなくて良かった、つまり僕がヤクザに追突したのではなく、被害者側だったから良かったと言われた。
裁判をしてもいいが、そして確実に勝つだろうが、費用がかかるだけでメリットは何もないらしい。
そしてヤクザには関わるな、と言われた。

どうしても納得がいかない僕は、知り合いのツテを頼って、地元の暴力団事務所をたずねた。
対応してくれた組員さんは、警察よりもずっと親切に話を聞いてくれた。
結果、そういう問題を解決するために組を動かすと、100万円以上お金がかかるとのこと。
たかが30数万円の問題で100万円使うのか?男としての誇りのためにやる、というなら動いてもいいが、まあやめとけ、と言われた。

こうなったら単身、相手の暴力団事務所に乗り込み、そこの組長と話をしようかとも考えた。
今思うと、あまりに無茶な考えだが、当時は理不尽さに納得出来なかったのだ。

そうこうするうちに、周りからもヤクザとは関わるな、社会勉強したと思ってあきらめろといわれる。
修理に出したディーラーでも、ヤクザが相手ではなんともならない、代金はまけとくからあきらめたほうがいいといわれた。
(30万ジャストにしてくれた)

結局、泣き寝入りとなる。
クルマ修理代金30万円は自腹で払った。
医療費は特例で保険を使わせてもらった。
普通は相手の自賠責保険があるのだが、車検切れだったためそれもなかったのだ。

今もたまにネットでの交通事故相談でこの事例について尋ねてみるのだが、やはりなんともならないらしい。


コンビニ肉まん食べ比べ

2013年01月26日 | 食べ物
最近、会社の帰りコンビニによって肉まんを買ったりする。
どうせ食べるなら、いろいろなコンビニで買って食べ比べをしてみようじゃないか。

【ファミリーマート】110円



タケノコの歯ごたえがシャキシャキしていて良い。
味付けはやや甘口。
「豚肉を増量し食感を感じられる豚モモミンチとジューシー感を味わえる豚バラミンチを使用しました」(メーカーHPより)


【ローソン】100円(10円引きセール中)



肉の味がしっかりしている。
男性好みな感じかもしれない。
「濃厚でジューシーな肉の旨みと食感を楽しめる、ミンチとダイスカットの2種類の豚肉をまぜた中具を使いました」(メーカーHPより)


【サークルK】116円

 

値段が中途半端な116円
僕には少し濃い目の味付けに感じられた。
「生地はふわっと、ソフトな食感。具は筍・クワイといった食感を感じられる野菜を配合しました」(メーカーHPより)


【ミニストップ】130円

 

値段が高いだけあって、まるで中華街で食べたような味。
具も多い。
「豚バラ肉と豚モモ肉をバランスよく配合し、食べたときに肉汁が出るこだわりの肉まんです。ひとつひとつ手包みした皮のもっちりとした食感とジューシーな肉の味わいが絶妙です。」(メーカーHPより)

【セブンイレブン」110円

 

値段と味のバランスがいい。
具の量も微妙に多めだ。
「肉を炒めずに生肉の状態で包み工場で蒸しあげることで肉汁をとじこめた、ジューシーな肉まんに仕上げました」(メーカーHPより)


さあ、お腹がすいてきたでしょう。
あなたはどの肉まんが食べたくなりましたか?





ペレス・プラード楽団

2013年01月20日 | 音楽
僕の幼少期の音楽体験の中で、印象に残っているものの一つにペレス・プラード楽団がある。
ペレス・プラード楽団といえばマンボだ。

マンボというのは、キューバの音楽にジャズの要素を加えたもので、陽気なラテン系ダンスミュージックだ。
僕の父は、昭和40年代初め、友人の家にてステレオ・オーディオ・システムでマンボを聴き、その迫力と立体的なサウンドに感動したという。
そのせいで、僕が物心ついたころには、でかいステレオ・システムが居間に鎮座していた。

父は次から次へとレコードを買い、毎晩いろいろな音楽を聴いていたが、なかでもマンボはよく聴いていたような気がする。
マンボで一番有名なのは、「No.5」と呼ばれるもので、これぞマンボ・サウンドだ。

PEREZ PRADO Mambo No 5 - 1950s (from LP) (Slide)


ペレス・プラードという人物は、マンボ特有の「アーッ、ウッ!」という掛け声をしながら楽団の指揮をしている人だが、彼のヒット曲にはもう一つ有名なのがある。
それは「タブー」という曲だ。
なぜこれが有名なのか?
昭和40年代頃、ストリップ劇場でよく使われたらしいからだ。
これがドリフターズの「8時ダョ、全員集合」の加藤茶のストリップ風コントでも使われ、一躍全国的有名曲になる。
僕くらいの年齢の人だと「ちょっとだけよ、あんたも好きねぇ」のセリフで有名なアレだ。
正確にいえば、コントで使われたのはペレス・プラード楽団の演奏ではない。
メインリフがブラスなのに対し、ドリフで使われたのはピアノでメインリフが演奏され、そこへ独特の潰れたような音色のトランペットでメロディが演奏されたと思う。

ペレス・ブラードは1989年に亡くなったが、ペレス・プラード楽団は今も存在し、昨年来日公演を行うなど精力的に活動しているらしい。

メリーさんの謎

2013年01月19日 | 日常
【赤いメリーさん】

僕が10代の頃、津市の三重会館というところに、メリーさんと呼ばれる変わったオバサンがいた。
メリーさんは真っ赤なドレス、靴、帽子を身につけ、カバンや傘などの持ち物も全て真っ赤だったので「レッドおばさん」とも呼ばれていた。
顔はキッスのように真っ白なファンデーション、それに真っ赤な唇、目の周りは真っ黒という超厚化粧だったと思う。
メリーさんは、朝から晩まで三重会館の待合場所いて、1年365日見ない日はなかったと言われる。
それも、何十年も前からそこにいるといわれた。

メリーさんは何者なのか?
これは三重県人の間では、数十年前からの謎である。
メリーさんは謎を残したまま20年くらい前に姿を消した。

ここで僕が昔聞いた話や、知人が言ってたこと、またインターネットで調べたことなどをまとめてみよう。

メリーさんは何者で、なぜ赤い服を着ているのか?

・実は娼婦で、戦後からずっと客待ちをしている
・夫が戦争にいき、帰ってきたとき目立つように赤い服を着て、戦後からずっと待っている
・恋人が戦争にいき、戦争が終わったら赤い服を着て待っていると約束して、ずっと待っている
・息子、または恋人が、三重会館の前でクルマに跳ねられ血だるまになり、それからずっと赤い服を着てそこにいる
・家が火事になり、それから赤い服を着るようになった
・実は女装しているただの変態

きちんと調べようとすれば、正体はわかっただろう。
しかし、そこは触れてはいけない何かがあり、誰も正体を暴く人はいなかった。
謎は謎のままにしておいたほうがいいこともあるのだった。


【白いメリーさん】

横浜にもメリーさんという人がいて、その人は全身真っ白な衣装、顔は津のメリーさんと同じく、超厚化粧だったようだ。
この人は戦後から米軍相手の娼婦で、やはりその近辺では知られた存在だったという。
wikiで調べてみると、彼女は歌の題材や映画や演劇にもなっているようで、予想以上に有名な人のようだ。



【黄色いメリーさん】

wikiによると、名古屋には黄色いメリーさんがいたと言われる。
ただ、目撃談があまりに少なく、これは都市伝説の類かもしれない。

コメント (2)

大人の階段のぼる

2013年01月13日 | 日常
FMで嘉門達夫の「大人の階段登る時」という歌を聞いた。
この人の歌にしては、けっこうまともな内容で、明日成人式を迎える人に向けての曲だろう。
ここでは、人はどの瞬間に大人になるのだろう?
僕ははたして大人になっているのだろうか?
という疑問と共に、いろいろな事例が歌われる。

カードで買い物したとき
ワサビが旨くなったとき
サンマのハラワタが好きになったとき
初めて給料もらったとき
立ち食いソバ食ったとき
温泉で泳がなくなったとき
バーで「いつもの」と注文したとき
子供にオジサンと言われたとき
ネクタイが苦しくなくなったとき
親父と二人で酒を飲んだとき
健康診断がこわくなったとき
アイドルの顔が同じに見えたとき
子供の頃買えなかったものを大人買いしたとき
お相撲さんが年下に見えたとき
人の心の痛みがわかったとき
自分の限界に気づいたとき
親父の背中が小さく見えたとき
去り行く友を見送ったとき

以上が歌詞の内容だ。
もちろん、これは大人の本質ではないだろう。
大人であってもワサビが苦手な人もいれば、酒を飲めない人もいるし、アイドルが大好きな人もいる。

では、ロック音楽的に大人というのはどういう位置づけなのだろう?

本来ロックというのは反抗期のティーンエイジャーが、大人への反発の意味で聴くものだったと思う。
「つまらない大人にはなりたくない」というのがキーワードだったはずだ。
ここでいうつまらない大人というのは、世間体を気にし、長いものに巻かれ、自分を殺すような人間だったかもしれない。

現在40代半ばの僕は、おそらくつまらない大人なのだろう。
大人の階段を登った果てにあったのは、45年の年月を背負い、それに縛られてがんじがらめになっている自分だ。
それもまた、大人の一つの姿なのかもしれない。