奉(とも)の独り言

「オギャー」と泣きながら生まれてきました。
だから、死ぬ時は、笑って死ねるように生きたい!

あいさつをかわす

2008年02月12日 | 松下幸之助「道をひらく」

熊本:天草 

決断は物事の終わりではなく始まり。
決断したことを実現させてはじめて事が完結する。
=松下幸之助=

 

「あいさつをかわす」

さわやかな朝の空気を胸いっぱいに、わが家の前の道を掃除する。勤めの早い近所の人が向こうからやって来る。「おはようございます」「おはようございます」

何気なくとりかわすこの朝のあいさつは、毎日の習慣のように、何でもないことのように思えたりするのだが、わたしたちは。もう少しあいさつの大切さを考えてみたい。

「夕べは寒かったですね」という、おたがいにいたわりあう気持ちから出たこのあいさつで、あるいは「毎度お世話になっています」というこの感謝の気持ちから出たあいさつで、おたがいの用件にはいる。仕事がスムーズに動き出す。

だれが、考え出したものでもない。私たちの遠い祖先から伝わってきたこのあいさつというものは、いわばおたがいの毎日の暮らしの潤滑油とでもいった尊い働きを果たしているのである。

「お寒うございます」と言ったところで暖かくなるわけでもなし、というのは落語の中の話だけにしたいものである。

あいさつにもいろいろとあろうが、要は、私たちはもっと、あいさつというものを大切にしたい。明るく朗らに、あいさつをかわしあうことを心がけたいものである。

 

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熊本:天草
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写真・緒方弘之「素晴らしい自然」から

 

「市販のお菓子を使って・・・」

今日は、市販のお菓子を使って料理をモット美味しく???

サラダに”カール”というお菓子があいます。

チーズ味のカールを小さく砕いて、
サラダにふりかけるだけで

サクサクとした食感が最高です。

 

柿の種

スパゲティーカルボナーラに柿の種を
細かくつぶしてふりかける。

サクサク感と、柿の種のピリ辛さが
カルボナーラの味を引きたてます。

 

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敵に教えられる

2008年02月11日 | 松下幸之助「道をひらく」

 熊本・菊池渓谷

厳しくもあり、温かくもあるのが世間というものである。
いつも謙虚さを忘れず、希望を失わず、
着実に自分の道を歩めば、
いつかは世間の温かさに必ず触れることができよう。
=松下幸之助=

 

「敵に教えられる」

己が正しいと思い込めば、それに異を唱える人は万事正しくないことになる。己が正義で、相手は不正義なのである。いわば敵なのである。だから憎くなる。倒したくなる。絶滅したくなる。

人間の情として、これもまたやむを得ないかもしれないけれど、われわれは、わがさまたげとばかり思い込んでいるその相手からも。実はいろいろの益を得ているのである。

相手がこうするから、自分はこうしよう、こうやってくるなら、こう対抗しようと、あれこれ知恵をしぼって考える。そしてしだいに進歩する。

自分が自分で考えているようだけれど、実は相手に教えられているのである。相手の刺激で、わが知恵をしぼっているのである。

敵に教えられるとでもいうのであろうか。

倒すだけが能ではない。敵がなければ教えもない。従って進歩もない。だからむしろその対立は対立のままにみとめて、たがいに教え教えられつつ、進歩向上する道を求めたいのである。つまり対立しつつ調和する道を求めたいのである。

それが自然の理というもにである。共存の理というものである。そしてそれが繁栄の理なのである。

 

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写真:熊本県・菊池渓谷秋「緒方弘之写真集」
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写真は拡大して楽しんでください!

 

2007年9月23日にアップしたものです。
今日は、母の法要です。
手抜きをしてしましました!
 

 

「学生時代の話 」

私は、学生時代は、友人と二人で部屋を借りていました。

その、友人との思い出の話です。

友人はバイクが大好きで

暇を見つけては、一人でツーリングを楽しんでいました。

ある日

「tomo・・・丘の上に新しい公園が出来たらしい」
「今度、公園に遊びに行ってくる」と・・

「ヒェエ~・あんなところに公園が」
「嘘・・・・又なんで・・あんなところに」

「看板もチャンと立っとたばい!」
「しかし・・あそこなら・・見晴らしは最高かも」
「一緒ね行くか?」

「俺は遠慮しとく」

 

で・・・ある日、友人は一人で
バイクに乗って公園へ・・

 

「tomo・・・この前話した例の公園に行って来たばい」

「で・・・どうやった!」

「それがたい・・笑い話ばい」

「見晴らしは・・街中が見晴らせて最高!」
「ばってん・・・笑うなよ・・」

「な・・なん・・・」

 

公園と思いこんどったら

「墓地・・・墓・・墓・・・」
「******」
「なんじゃ~こりゃ~」ガッカリばい!

「メモリアル・パークと看板があったから
テッキリ公園と思いこんどったばい」・・

墓地のこつば・・メモリアル・パークって
tomoは知っとたぁ!

「知っとたよ・・新聞のチラシに入とるもん」


腹を抱えて笑いました!

 

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大事なこと

2008年02月09日 | 松下幸之助「道をひらく」

 福岡県:柳川市

社会生活は日々これ戦い、日々これ苦難。
そのときに心が動揺するかしないかは、
信念の有無で決まる。
=松下幸之助=

 

「大事なこと」

いかに強い力士でも、その勝ち方が正々堂々としていなかったら、ファンは失望するし、人気も去る。つまり、勝負であるからには勝たなければならないが、どんなにきたないやり方でも勝ちさえすればいいんだということでは、ほんとうに勝負とはいえないし、立派な力士ともいえない。勝負というものには、勝ち負けのほかに、勝ち方、負け方というその内容が大きな問題となるのである。

事業の経営においても、これと全く同じこと。その事業が、どんなに大きくとも、また小さくとも、それが事業であるかぎり何らかの成果をあげなければならず、そのためにみんなが懸命な努力をつづけるわけであるけれど、ただ成果をあげさえすればいいんだというわけで、他の迷惑をかえりみず、しゃにむに進むということであれば、その事業は社会的に何らの存在意識も持たないことになる。

だから、事業の場合もやっぱりその成果の内容━つまり、いかに正しい方法で成果をあげるかということが、大きな問題になるわけである。

むつかしいことかもしれないが、世に中の人びとが、みんなともども繁栄してゆくためには、このむつかしいことに、やはり成功しなければならないと思うのである。

 

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福岡県:柳川市
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 北原白秋生家      お堀めぐり            柳川うなぎ

 

 

「似たもの同士」

妻とは私の休みの日には必ず買い物に出かける。

まぁ~一週間分のおかずをの材料を買いに行くのである。

私は、妻の足代わりであり・・・荷物持ちである。

それは、仕方のないことで・・・
ある意味義務なのかもしれない考えている。

私が買い物カゴを持って、
妻が、買うものをカゴに入れるのであるが・・・

新鮮な魚を目にした私が

「オォー・これ買おうよ・・これで今夜、鍋にしようよ!」
と・・横に居る筈の妻を見ると・・・

そこには、見ず知らずの人・・・
妻はサッサ・サッサッと向こうの方で知らん顔
トホホ・・・・「済みません・・・」

この話を、友人にすると・・・」

 

それなら・・まだ・・救われるよ!

僕なんか、妻の買い物カゴと思って
欲しいものを、買い物カゴに入れたら・・・・
他の人の買い物カゴ・・・・だよ!

睨まれて・・・
「チョッと・・・おかしんじゃないの」って捨て台詞言われて・・・・

 

tomoも、友人の話を聞いて
(人の買い物カゴに入れるとは・・・馬鹿じゃない)
このドジ男が・・・と・チョッと思ったりして・・・

いつだって・・・tomoよりは上手・・・・
ウ~ン悔しいぃー


 

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花のように

2008年02月08日 | 松下幸之助「道をひらく」
                                           ソバの花

 帯に短し襷に長し
       =帯には短くて使えない、襷には長すぎてじゃまになる
        ことから、中途半端で使い物にならないことのたとえ=

      大好きだよ        日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

     ==================================================

                「花のように」

砂漠に見いだす清らかな泉は、旅行く人の喜びであり憩いであり、そして励ましである。荒涼たる山野に、毅然として咲き誇る一輪の花は、また旅人へのこよなき慰めとなり励ましとなる。

今の世の中が、荒野の如く荒れ果てているとは敢えて言わないが、それでもこのおかしな時代に、人びとの心は次第に落ち着きを失って、索然たる気配が感ぜられぬこともない。

おたがいに手をつなぎ、助け助けられながら生きねばならぬこの世の中である。人の心が砂漠の如く荒れ果ててはたまらない。せめてわれわれでけでも、清らかな泉のように、毅然たる一輪の花のように、強く正しく働いてゆこうではないか。

むつかしいことかもしれないが、自分の仕事に誇りを持ち、自分の働きに意義を感じるならば、わが身の処し方もおのずから見いだされてくるであろう。

どんな世に中になっても、あわてす、うろたえず、淡々として社会への奉仕を心がけてゆこう。その姿自体が、人びとにとってすでに大きな励ましとなり、憩いとなるのである。

花のように。泉のように。そこにわれわれの喜びもある。
                        松下幸之助「道をひらく

 

     ラブソング       日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」



 

             写真:阿蘇に秋に咲く花

 images images images images
 ツクシフウロ     ツルニンジン    コウライモエソウ  キツリフネ

 

このブログの記事は昨年の9月9日にアップしたものです。
今日は、小休止・・・ エヘヘ・

 

            「ウソのような本当の話 その4」

友人と食事に行ったときの話し

「ねぇ~・・何を食べようか?」

「私は・・・何でもいいですよ・・・」
「tomoさんに・・・任せます」

友人・・いつも・・優柔不断・・・何でもいいよ!

「じゃあ~・軽く・・うどんか、蕎麦にしますか?」

「あぁ・・・いいですね」

って、ことで、うどん屋さんに行ったときの事。

店員さんが、メニューを持ってきて
何にしようか迷っている時。

丁度・・・隣のテーブルに・・・ザルソバが・・
70歳を過ぎた仲の良い老夫婦・・・

 

その時、ザルソバを注文した、おじさん!


えぇ

 

ザルソバの上からつゆをドバァーと一気に

ドヒャ~~

つゆはアッと云う間に、テーブルにこぼれ

 

こぼした、当のおじいちゃんも
ドヒャ~・・・大慌て!オットットット

あばあちゃん「あんたは、本当・・・なんばしよっとかいた!」
ウン・・モォーオ

それを、一部始終見てたtomoと友人
笑いをこらえるのに・・・・ 大変!

 

おばあちゃんが、テーブル拭きと
おつゆを貰ってあげて・・・めでたし・・・めでたし!


その後、おじいちゃんが・・・
わたしゃ・・・あんたの、そばがいい・・・
と云ったかそうなぁ
その後、二人は仲良く、長生きをして、楽しく暮らしたそうな!

オイオイ・・・日本昔ばなし・・・かいな!テヘヘ

 
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恵まれている

2008年02月07日 | 松下幸之助「道をひらく」

佐賀県:伊万里・トンバイ橋 

まず“できない”という考えを捨てることだ、
そして一から新しい方法を生み出してみることだ。
=松下幸之助=
 

                   「恵まれている」

人間というものはまことに勝手なもので、他人をうらやみ、そねむことがあっても、自分がどんなに恵まれた境遇にあるか、ということには案外、気のつかないことが多い。だからちょっとしたことにも、すぐに不平がですし不満を持つのだが、不平や不満の心から、よい知恵も才覚もわきそうなはずがない。

そんなことから、せっかく恵まれた自分の境遇も、これを自覚しないままに、いつのまにか自分の手でこわしていまいがちである。

恵みにたいして感謝をし、その感謝の心で生き生きと働いたならば、次々とよい知恵も生まれて、自他ともにどんなしあわせな暮らしができることか、思えば愚かなことである。

だが恵みを知ることは、そう容易なことではない。古来の聖賢が、恵みを知れ、と幾万言を費やしてきても、実感としてこれを受け取る人はどれだけあるのだろう。

頭で理解はしていても、心に直接ひびかないのである。そこに人間の弱さがある。

お互いに修業をしよう。自分は恵まれているということを、直接、自分の心にひびかすために、日常の立居振る舞いに、今一度の反省を加えてみよう。

 

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佐賀県
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吉野ヶ里遺跡      伊万里      伊万里陶器     唐津城

 

 

「ドアと喧嘩」

職場の退社時間は17時15分である。

丁度、玄関の前を同僚が急いで帰ろうとしている。

「あぁ~お疲れさん、今日は早いですね」

振り向き様に、

同僚・・・「あぁ・・・お先します」と片手を上げながら

「アァ~・・・あぶ・・」

 

その、瞬間

 

ドスッ

玄関のドアに身体ごと・・・体当たり

急いでいたから、自動ドアが開く前に
又、私が声をかけたものだから、後ろ向きだったから・・

グラグラっとよろけて・・・

 

「大丈夫?」

「うん・・・大丈夫・・・」

「本当・・怪我しなくてよかったよ」

「じゃぁ~気を付けて帰ってね」
「それから・・・・ほら・・前のチャック開いてるよ」

 「ワハハ・・・」って照れ笑い

 

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心の鏡

2008年02月06日 | 松下幸之助「道をひらく」

熊本:池の川水源 

 今が最善だと思っても、
それは今日の最善であり明日の最善ではない。
物事は日々進歩している。
=松下幸之助=

 

 

      「心の鏡」          
                   

自分の身なりを正すためには、人はまず鏡の前に立つ。鏡は正直である。ありのままの姿を、ありのままにそこに写し出す。

自分のネクタイは曲がっていないと、がんこに言い張る人でも、鏡の前に立てば、その曲直は一目りょうぜんである。だから人は、その誤ちをみとめ、これを直す。

身なりは鏡で正せるとしても、心のゆがみまでも映し出しはしない。だから、人はとかく、自分のふるまいの誤りが自覚しにくい。心の鏡がないのだから、ムリもないといえばそれまでだが、けれど求める心、謙虚な心さえあれば、心の鏡は随処にある。

自分の周囲にある物、いる人、これはすべて、わが心の反映である。わが心の鏡である。すべての物がわが心を映し、すべての人が、わが心につながっているのである。

古の聖賢は「まず自分の目から梁(はり)を取りのけろ」と教えた。もうすこし、周囲をよく見たい。もうすこし、周囲の人の声に耳を傾けたい。

この謙虚な心、素直な心があれば、人も物もみなわが心の鏡として、自分の考え、自分のふるまいの正邪が、そこからありのままに映し出されてくるだろう。

 

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熊本の水源
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舟の口水源     塩井水源     池山水源     白川水源
くまもとには、環境省の「名水百選」に選ばれた名水が一つの県としては最も多い4ヶ所(菊池水源・轟水源・池山水源・白川水源)もある。またおいしい水全国第3位にも選ばれた。(昭和58年・旧厚生省「おいしい水研究会」選出。)「日本一の地下水都市」の名にふさわしく、くまもとの水道水はすべて豊かな地下水でまかなわれている。つまり、くまもとの水道水は天然のミネラルウォーター。

 

 

「縛られた!」

確か、tomoが高校三年生の時
思春期・・・

今でも、何で・・・あんなに怒られたのか

普通、あんな怒り方するか・・・
不思議でならない!

 

学校から帰ってきたら母もいない

コタツの上に財布が
(ホォー・・千円抜いておけ・・分からん・・分からん)

それで・・遊びに行って

 

帰って来たら、
母の形相が変わっているではないか?

バレタカナ~

と・思う間もないくらいに・・・

「tomoあんたは、お金盗んだね」
「盗人に育てた覚えはない・・」
「あんた、みたいな盗人は人のためにならん・・」
とか・・・言って

台所から・・包丁を・・・

ドヒャー

 

これには!さすがのtomoもビックリ

タタタ・・・・と逃げて・・
玄関に
靴も履かずに裸足で・・・ただ・・逃げる

後ろを振り向くと・・・
包丁を持った母が追いかけて来てる

村中を逃げ回る

それでも・・母が息を切らしながら・・ハァ・・ハァ
追いかけて来てる・・・

やっと・・・諦めたのか・・


確かに悪い事したけど・・・ここまでするか?
足元を見ると、裸足で逃げたものだから
血が出てる

兎に角、悪いのはtomoだから、誤るしかない
そう・・考えて家に帰ることに・・・

「母ちゃん、悪かった、僕が千円盗んだ」

「チョッと庭に来んね!」と母

 

庭の大きな枇杷の木にtomoは縛られて・・
反省しなさい・・・

小学生じゃないのに・・
縛るかい「*****」

小さな村だから・・・
皆に知れ渡って・・・

 

「tomo・・・何をしたとか?」
近所の人・・・みな・・縛られてるtomoに・・・

「いや・・チョッと・・・」トホホホ

始めて親から真剣に叱られた17歳の冬

 

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ファンがある

2008年02月05日 | 松下幸之助「道をひらく」

熊本: 霊巌洞

深い縁の力があっての人と人とのつながりである。
このつながり、縁の存在を、もっと大事に、
もっとありがたく考えたい。
=松下幸之助=


 

「ファンがある」

ファンというものはありがたい。相撲でも、それがひいきの力士であったなら、勝てば勝ったで無性に喜ぶし、負ければ負けたで心から同情する。

欲もなし得もなし。相手のどこかに、自分の好むよさを見つけて、そのよさにただ懸命に応援するのである。

だから、スポーツ人でも芸能人でも、自分のファンはとても大事にするし、そのファンの期待にこたえるべく、自分のよさをより一層伸ばすために、日夜精進を重ねる。そこに、スポーツ人、芸能人の向上の大きな励みがあるのだし、ひいてはスポーツ界、芸能界の発展の一つの大きな要素がある。

考えてみれば、私たちにもまたファンがある。芸能界だけではない。個人にも、お店にも、また会社にも、それぞれにそれぞれのファンというものがあるのである。そして陰に陽に力強い声援がおくられているのである。

おたがいに、この事業を改めて認識し直したい。そして、このありがたい自分のファンを、もっと大事にし、その好まれている自分のよさを、精いっぱい伸ばすようにつとめたい。そこに個人の、お店の、そして会社の繁栄の鍵がある。

 

 
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熊本:霊巌洞
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熊本市の西方、金峰山(きんぽうざん)山麓にある洞窟。うっそうと茂る樹木におおわれ、神秘的な霊場として知られる雲巌禅寺(うんがんぜんじ)の裏山にあり、洞窟内には岩戸観音(いわとかんのん)の名で知られる観音像が安置されています。晩年の5年間を熊本で過ごした宮本武蔵(みやもとむさし)が、この洞窟にこもって兵法書「五輪書(ごりんしょ)」を著したことは、あまりにも有名。霊巌洞の歴史は寺より古く、いい伝えによれば異国から観音像を運んでいるときに舟は転覆しましたが、観音像だけは板にのって流れ着き、霊巌洞に安置されたといいます。この洞窟には武蔵だけでなく、平安期の歌人・桧垣(ひがき)も訪れています。雲巌禅寺から霊厳洞に至る岩山を削った細道には、五百羅漢が安置されており、さまざまな表情を見せてくれます。

 

 

「私だけじゃなかった!

食卓に今日も、愛情のこもった料理が並ぶ。

煮付け・・・刺身・・・

子供の頃から、よく箸(ハシ)の持ち方が綺麗と言われたが・・・・

 

サトイモを箸でとろうとして

ツルッ・・・とすべると・・

 

「オォー・これまだ生きてる」

つい・・・言ってしまう!

 

先だって、友人と食事をした時

イカの刺身をとろうとした友人

ツルッとすべって、落として

「まだ生きてる・・・」と・・ポツリ一言

「プッ・・・」と思わず噴出した。
よかった 私だけじゃなかったんだ!

 

 

2008年度のサラリーマン川柳から
チョッと気に入ったものを・・・

ゴミだし日  すてにいかぬば  すてられる

母の味  三ツ星よりも  口に合い

忘れても  忘れた事に  気付かない

メタボまで  2センチあるわと  食べる妻  

新鮮と  買って十日も  冷蔵庫

花粉症  ボクはハナカミ  王子です

温暖化  おなかの肉は  段々化

鈍感力  持ってることさえ  気が付かず

 

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見方を変える

2008年02月04日 | 松下幸之助「道をひらく」

熊本:菊池渓谷・冬

塩の辛さはなめてみないとわからない。
“百聞百見は一験にしかず”である。
=松下幸之助=

 

「見方を変える」

富士山は西からも東からでも登れる。西の道が悪ければ東から登ればよい。東がけわしければ西から登ればよい。道はいくつもある。

時と場合に応じて、自由に道を変えればよいのである。一つの道に執すればムリが出る。ムリを通そうとするとゆきづまる。動かない山を動かそうとするからである。そんなときは、山はそのままに身軽に自分の身体を動かせば、そこにまた新しい道がひらけてくる。

何ごとにもゆきづまれば、まず自分のものの見方を変えることである。案外、人は無意識の中にも一つの見方に執して、他の見方があることを恐れがちである。そしてゆきづまったと言う。ゆきづまらないまでもムリをしている。貧困はこんなところから生まれる。

われわれはもっと自在でありたい。自在にものの見方を変える心の広さを持ちたい。何ごとにも一つに執すれば言行公正を欠く。深刻な顔をする前に、ちょっと視野を変えてみるがよい。それで悪ければ、また見方をかえればよい。

そのうちに、本当に正しい道がわかってくる。模索のほんとうの意味はここにある。そしてこれができる人には、ゆきづまりはない。おたがいにこの気持ちで、繁栄の道をさぐってみたいものである。

 

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写真:菊池渓谷(熊本県) 
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写真:緒方弘之「素晴らしい自然」から
雪の菊池渓谷はモノトーンの世界です。北国のような雪風景は一シーズンに数回です。しかも湧水が流れるため川床の雪は直ぐに溶け、まだら模様になってしまうので僅か一日のチャンスです。阿蘇山に雪が積んだタイミングを見計らっての撮影です。


 

「ネット・サーフィン」

たまに、ネットサーフィンを楽しむことがある。

調べたい事があって・・・

次から次へとサーフィンしていくと

突如として、訳の分からないページに跳ぶ

「H」画像である。

「オォー!ワンダフルビューティーフル」

いつもは、tomoの部屋に入ってこない妻

そんな時に限って必ず入ってくる

「******」

慌てて、画面を切り替えようとするけど・・・


フリーズ・・・
オォー。何てこったい!

しっかり・・・妻に見られる!

軽蔑されると・・・言い訳を「ペチャクチャ*****」と

 

ニコニコ顔の妻 

勘違いだよ・・・   トホホ!
「勘違いだからねぇ~」


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世間というもの

2008年02月03日 | 松下幸之助「道をひらく」

山鹿灯籠まつり(熊本県) 

誰にでも与えるものはある。
笑顔を与える、笑いを与える。
求める活動から与える活動へ転換をはかりたい。
=松下幸之助=

 

「世間というもの」

世間というものは。きびしくもあるし、また暖かくもある。そのことを、昔の人は「目明き千人めくら千人」ということばであらわした。いい得て妙である。

世間にはめくらの面もたくさんある。だから、いいかげんな仕事をやって、いいかげんにすごすことも、時には見のがされてすぎてしまうこともある。

つまりひろい世間には、それだけの包容力があるというわけだが、しかしこれになれて世間をあまく見、馬鹿にしたならば、やがて目明きの面にゆき当たって、身のしまるようなきびしい思いをしなければならなくる。

また、いい考えを持ち、真剣な努力を重ねても、なかなかこれが世間に認められないときがある。そんなときには、ともすれと世間が冷たく感じられ、自分は孤独だと考え、希望を失いがちをなる。

だが悲観することはない。めくら千人いれば、目明きもまた千人いるのである。そこに、世間の思わぬ暖かさがひそんでいる。

いずれにしても、いつも謙虚さを忘れず、また希望を失わず、着実に力強く自分の道を歩むよう心がけたいものである。

 

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 写真:熊本県山鹿市・山鹿灯籠まつり
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8月15日の「飾り灯籠」で幕を開ける山鹿灯籠まつり。
しっとりと優雅に舞う乙女の頭には金灯籠。 ゆらりゆらりと灯りがゆれる「千人灯籠踊り」の幻想的な美しさ、夜明かし祭りの名のとおり、大宮神社に奉納される「上がり灯籠」は17日0:00から行われます。

 

「あら!見てたのね

家族で、外食した時のこと。
私は、チャンポンと餃子を注文して。

テーブルの上には綺麗な小皿が・・

すっかり、私は餃子のタレを入れる小皿と
思い込み・・・・
その、小皿にタレを入れて・・・

 

注文した料理が一度に運ばれてきて

作っていたタレをつけて
餃子を一口・・・

あれ・・・テーブルを見ると小皿が・・・

私がタレを作った小皿は
何と・・・灰皿のようである・・・

「しまった・・」っと思った瞬間

隣のテーブルの人にしっかり見られている!

「アラ・・・見てたのね」である。

 

 

街に出かけて、歩いていると

店のウィンドー硝子に自分の姿が写っている。

少しネクタイが斜めになっている姿が・・・

ネクタイを直しで
ついでに・・・髪を整えて

全体の自分の姿を見ていると

 

店内から・・・そんな私を見ている人影

オットットッと!

気恥ずかしい
「あら!見てたので」である!

 

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岐路にたちつつ

2008年02月02日 | 松下幸之助「道をひらく」

 阿蘇・草千里

同じものを見ても喜ぶ人喜ばない人。
かえって不満を抱く人もある。
われわれは喜びを感じる人でありたい。
=松下幸之助=

 

「岐路にたちつつ」

動物園の動物は、食べる不安はなにもない。他の動物から危害を加えられる心配も何もない。きまった時間に、いろいろと栄養ある食べ物が与えられ、保護されたオリのなかで、ねそべり、アクビをし、ゆうゆうたるものである。

しかしそれで彼らは喜んでいるのだろうか。その心はわからないけれども、それでも彼らが、身の危険にさらされながらも、果てしない原野をかけめぐっているときのしあわせを、時には心に浮かべているような気もするのである。

おたがいに、いっさい何の不安もなく、危険もなければ心配もなく、したがって苦心する必要もなければ努力する必要もない。そんな境遇にあこがれることがしばしばある。しかしはたしてその境遇から力強い生きがいが生まれるだろうか。

やはり次々と困難に直面し、右すべきか左すべきかの不安な岐路にたちつつも、あらゆる力を傾け、生命をかけてそれを切りぬけてゆく━そこにこそ人間としていちばん充実した張りのある生活があるともいえよう。

困難に心が弱くなったとき、こうしたこともまた考えたい。

 

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写真:阿蘇・草千里
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周囲128kmに及ぶ世界最大級の陥没カルデラを持つ複式の火山・阿蘇山。阿蘇山は一帯の山を総じてそう呼びます。草千里ヶ浜は、阿蘇五岳の一つ鳥帽子岳の中腹に広がる草原で、阿蘇の代表的な景観として知られています。

 

 

「無題」

コンビニで弁当を買う
「温めますか?」って聞かれる

温めてもらいたい時は
「これ、温めてもらえますか?」って言う

でも・・家では「チーンして」って言う

コンビニの店員さんも家では「チーンして」って言ってるのだろうか?

 

靴を履いて、ちょうどその時に

「あぁ~忘れ物だ!」
と・思い出す

靴を履いたままヒザを立て
部屋まで忘れ物を取りに行く

靴を脱いで行った方が早かったかなぁ~トホホ

 

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風が吹けば

2008年02月01日 | 松下幸之助「道をひらく」

 熊本県:水俣・湯の児温泉

希望を失うな、明日に夢を持て。
夢を持つということが、人生においてどんなに大切なことか。
=松下幸之助=

 

 

「風が吹けば」

風が吹けば波が立つ。波が立てば船も揺れる。揺れるより揺れないほうがよいけれど、風が強く波が大きければ、何万トンの船でも、ちょっと揺れないわけにはゆくまい。

これを強いて止めようとすれば、かえってムリを生じる。ムリを通せば船がこわれる。揺れねばならぬときには揺れてもよかろう。これも一つの考え方。

大切なことは、うろたえないことである。あわてないことである。うろたえては、かえって針路を誤る。そして、沈めなくてよい船でも、沈めてしまう結果になりかぬない。

すべての人が冷静に、そして忠実にそれぞれの職務を果たせばよい。ここに全員の力強い協力が生まれてくるのである。

風のときほど、協力が尊ばれるときはない。うろたえては、この協力がこわされる。だから、揺れることを恐れるよりも、協力がこわされることを恐れたほうがいい。

人生は運不運の背中合わせといえる。いつ突如として風がおとずれるか、だれしも予期することはできない。

つねに自分のまわりを冷静にながめ、それぞれの心がまえを、しっかりと確かめておきたいものである。

 

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写真:熊本県水俣市・湯の児温泉
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桜の名所で、岬を半周するように満開のソメイ吉野のトンネルを抜けると、眼下にリアス式の入江が広がり、海と空は、あくまで青く澄んでいます。海沿いには、10数軒の温泉旅館が立ち並ぶ温泉街があって、海へと続く大洞窟温泉や絶景の露天風呂、新鮮な海の幸を食材にした料理が楽しめます。

 

 

「ブログ1周年です」

2月4日で「奉の独り言」も一周年になります。

母が膠原病、強皮症で昨年の2月2日に再入院
病状の進行が早すぎる、

「今回、二度と家に帰ることはないと思ってください」
「普通、健康な人が、この状態なら死んでます」
「母の場合はすこしづつ、病状が悪化してるから
この状態でも、生きていられたんですよ」って
医者に死の宣告を受けました。

病気と闘う母の姿を記録に残そうと
ブログを始めました。

その母も今年1月5日に他界しました。

一年近く病気と戦い
その間には、医者も退院することは出来ないと言っていたのに

何度となく、自宅にも帰ってきました。

車椅子に乗って花見にも行きました。

私のブログも1周年となり、閉鎖しようと
考えておりました。

母の初七日を過ぎて、
私も、胃潰瘍で下血し、14日間ブログの
更新をしませんでした。

ブログの入場者も1月19日には
一日48人と過去最低にもなりました。

自分の中では少し気が楽になり、これでブログを
閉鎖できると思っておりました。

皆様方の励ましのコメントには本当に
感謝の気持ちで一杯です。

一月いっぱいは、感謝の気持ちで休まず
ブログを更新しよう・・・・
そして。2月3日に「ブログ閉鎖の」案内を
出そうと考えておりました。

しかし、昨日は私のブログの入場者も
以前の入場者数からすると、少しは減りますが
509人と大勢の人に読んで頂いております。

本当に皆様には感謝です。

又、ブログを通して多くの方と知り合い。
励まされ、人の温かさにも触れることが出来ました。

又、一年頑張ってみるか・・・
その、勇気を皆さんから頂きました。

又、二周年に向け、頑張って行きます。
今後とも宜しくお願い申し上げます。


 

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