奉(とも)の独り言

「オギャー」と泣きながら生まれてきました。
だから、死ぬ時は、笑って死ねるように生きたい!

乱を忘れず

2008年02月22日 | 松下幸之助「道をひらく」

熊本城 

二階に昇りたい。何とかして昇りたい、
という熱意のある人は、ハシゴを考える。
=松下幸之助=

 

「乱を忘れず」

景気がよくて、生活も豊かで、こんな姿がいつまでもつづけば、まことに結構である。しかし、おたがい人生には、雨の日もあれば、風の日もある。

景気にしても好況のときもあれば、不況のときもある。いつも平和な、いつも豊かなときばかりとは限らない。それが人生である。世の中である。

ところが、世の中が落ちついて、ある程度景気もよくなり、生活も向上して、いわゆる安穏な毎日がつづくようになると、いつしか、この世に中の実体を忘れ、人生のあり方を忘れ、日を送る。

それですむなら、それでもよかろう。しかしいつかは台風が来、あるいは不景気の波が立つ。そのときになっても、はたしてきのうに変わらぬ泰然の心境でいられるか、どうか。

いついかなる変事にあおうとも、つねにそれに対処してゆけるように、かねて平時から備えておく心がまえがほしいもの。「治にいて乱れず」である。

それがわかっていながら、しかもおたがいに今ひとつ充分でないのも、これも人間の一つの弱点であろう。

 

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「政治雑学NO1]

最近の国会中継を見てると、大臣達の国会答弁は
原稿の棒読みである。

何とも情けない・・・と感じるのは私だけ

では・・いつからこんな習慣がはじまったのか

昔の帝国議会には原稿はなく
活発な議論が交わされていました。 うるさいな~ 

ところが、太平洋戦争が近づくと、
軍部が答弁の内容をチェックするようになり
はてにはあらかじめつくらてた原稿を検閲し
それを読み上げることしか許されなくなったのです。

その習慣が今も続いているというわけです。
戦争も終わり、表現の自由が抑圧されることもない現在
大臣の心・頭で考えた答弁を聞きたいものです。

 

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