(老子 上篇 第一章)
「道」が語りうるものであれば、それは不変の「道」ではない。「名」が名づけうるものであれば、それは不変の「名」ではない。天と地が出現したのは「無名」(名づけえないもの)からであった。「有名」(名づけうるもの)は、万物の(それぞれを育てる)母にすぎない。まことに「永久に欲望から解放されているもののみが『妙』(かくされた本質)をみることができ、決して欲望から解放されないものは『徼』(その結果)だけしかみることができない」のだ。この二つは同じもの(鋳型)から出てくるが、それにもかかわらず名を異にする。この同じものを、(われわれは)「玄」(神秘)とよぶ。(いやむしろ)「玄」よりもいっそう見えにくいもの(というべきであろう。それは)、あらゆる「妙」が出てくる門である。
「世界の名著 老子 荘子」責任編集 小川環樹 中央公論社 昭和43年
富翁
「道」が語りうるものであれば、それは不変の「道」ではない。「名」が名づけうるものであれば、それは不変の「名」ではない。天と地が出現したのは「無名」(名づけえないもの)からであった。「有名」(名づけうるもの)は、万物の(それぞれを育てる)母にすぎない。まことに「永久に欲望から解放されているもののみが『妙』(かくされた本質)をみることができ、決して欲望から解放されないものは『徼』(その結果)だけしかみることができない」のだ。この二つは同じもの(鋳型)から出てくるが、それにもかかわらず名を異にする。この同じものを、(われわれは)「玄」(神秘)とよぶ。(いやむしろ)「玄」よりもいっそう見えにくいもの(というべきであろう。それは)、あらゆる「妙」が出てくる門である。
「世界の名著 老子 荘子」責任編集 小川環樹 中央公論社 昭和43年
富翁
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます